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3県合同移住相談会を開催します

知り合いを通して、ベトナム国内の反中国デモの情報が入ってきた。本来同じ共産圏内の両国だが、従来からそんなに仲良い関係ではないようだ。かつて1979年には中越戦争もしている。この時は中国がベトナムを懲らしめるために攻め込んだが、手痛い目にあい、撤退している。今回は一方的な中国の西沙諸島での石油の掘削開始が問題。ベトナムは一歩も引かない決意のようで、国内的にはデモは禁止だが、政府黙認で国内各地で大規模のデモが展開されているようだ。中国系企業が襲われ、死者も出ている。デモ隊は企業に行って「どこの国の会社か」と聞いて、壊しているようだ。日本企業は日の丸を掲げるよう申し合わせているとのこと。中国の膨張主義には困ったものだ。国内問題を外に転嫁しているのだろう。そもそも国の統治システムが壊れているのではないだろうか。 6月15日(日)、初めて人気の山梨・長野・静岡が一堂に会し、3県合同移住相談会&セミナーを有楽町駅前の交通会館12階カトレアAで、ふるさと回帰支援センターの主催で開催する。人気ランキング1、2がそろって出展。先週末の岡山、香川の移住相談会もそれぞれ100名を優に超える参加者が押し掛けたとか。こちらも多数の参加が期待される。3県からは県をはじめ市町村など34団体がブースを開設するので、参加者に相談できなかったなどの迷惑をかけることが無いよう万全の対応をめざしているので是非参加してください。成功すれば、こうした形でのセミナーも随時開催したいと考えている。 今週初め、福島県のいわき市長からふるさと応援大使の委嘱を受けた。40名に委嘱したようで、秋吉久美子さん、ケーシー高峰さん、などが各界から選ばれ、東日本大震災からの一日も早い復興を誓い合った。 http://www.minpo.jp/news/detail/2014052015777  

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桜はまだか

ここ2~3日、朝夕はまだ寒いが日中はすっかり春めいてきた。コートを脱ぐのもあとわずかでないだろうか。桜も昨日、開花宣言が発せられた。春は冬の厳しい寒さがあるからまた一段と季節の移ろいに対する喜びが深いのかもしれない。 春を想うとまず目に浮かぶのは菜の花畑、あの菜の花の匂いはふるさとを思い起こさせる。そして、小川のせせらぎ。透き通るようなきれいな水の中を泳ぐ小鮒のスリムな姿は私を夢中にしたものだ。まさに、小鮒釣りしかの川がふるさとにはあったのだ。しかし、その川も小鮒もすっかり見ることはなくなった。淋しい限りだ。私たちの心を励まし、慰める自然の崩壊は激しい勢いで進んでいるようだ。その結果、人心の荒廃は進んでいるようだ。失ったものは帰らない。大切にしなければと思う今日この頃だ。 18日には久しぶりに山梨県に呼ばれて講演にいった。昨年6月のブース開設以降、人気沸騰という感じの山梨県であるが、さらに地域の受け皿を強化しようと従来からあった富士の国やまなし農村休暇邑協会とやまなし二地域居住推進協議会が合体し、あらたに「富士の国やまなし移住・交流推進協議会」を設立することになり、その総会で講演したのだ。この協議会には県下7市町村をはじめ、農林業団体、商工業団体、観光業団体、不動産業団体などが参加している。山梨県は人気は高いが地域の受け皿がもう一つと言われてきたが、その課題の克服に向けて体制が確立されたようだ。 先週の連休の谷間の土曜日に長野県のセミナーが開かれた。大町市や長野市、木島平村、原村、辰野町などが一堂に会した。さすが人気の長野県、そこに64名の移住希望者が集まった。会場は人気むんむん。子連れのお母さんと若者の姿が目立った。最近、ジワリと若者のUターンが増えていると聞くが、なるほどと思わせるものがあった。また、今週の日曜日はこれまた人気の飯山市。すでに25名の申し込みが寄せられている。年度末ということもあるのだろうが若者の姿が目立つようだ。 3月は別れの季節といわれるが、ふるさと回帰支援センターでも3名の方が巣立っていった。とくに星君は5年頑張っていただいた。当初から5年を目途にということだったので、満期終了ということになる。少ない人数の中で頑張ってもらった。心から感謝したい。そして、幸多い人生を祈りたい。  

能登は世界の旅行ガイドブックでも話題に

2月は逃げるように終わると言われますが、今日はもう24日。早いもので残すところあと4日です。しかし、今年は記録的な大雪が2回も降り、長く記憶にとどめられるのではないでしょうか。 昨日はまだところどころに残雪がある近所を散歩しましたが、梅がもう満開のところもあり、甘い香りを漂わせていました。確実に季節は巡りつつあるようです。 週末の22日(土)には久しぶりに石川県がセミナー開催しました。 来年春、待望の新幹線が長野を経て北陸まで入ることもあって、北陸地域では観光、移住、二地域居住への期待が高まっており、そのための県主催の懇談会もすでにスタートしています。 こうした動きを背景にセミナーの参加者は21名に達し、手ごたえを感じ取っていたようです。参加した県内の受け皿の一つである能登定住・交流機構の高峰事務局長もこれからと決意を固めていました。2月8日(土)には石川県の穴水町が初めてのセミナーを開催する予定でしたが、大雪のためにやむを得ず開催中止に至った穴水町の担当者も挨拶にお越しになりました。是非セミナー開催に向けて、再チャレンジを目指したいと言っておられました。 オーストラリアの若者の旅行バイブルと言われている「ロンリープラネット」という旅行ガイドブックは、世界中で親しまれています。この「ロンリープラネット」が発表した「Best in Travel 2014」の地域部門(お勧めの観光地)で“北陸”が第4位に選ばれました。このように北陸はいろんなところで話題になっているようです。 そして、23日(日)には、山梨県のセミナー開催枠を利用して、韮崎市が初めてセミナーを開催しました。こちらも28名の参加者を集め、初開催としては手ごたえのある実績を積んだようです。 昨年6月に移住と就職の相談体制を構築した山梨県は市町村の受け皿の整備が課題でしたが、こうして1か所ずつ整備が進めば、移住者も増えていくことになるのは明らかで、さら期待が膨らみます。

大雪でも広島県がセミナー開催

東京は2月8日、朝から45年ぶりの記録的な大雪となりました。都心でもところによっては30センチになろうかという積雪でした。45年前の大雪は覚えており、図書館でアルバイトをした帰り、都電も止まり、神楽坂まで歩いて帰った記憶があります。 この日は、前理事長の立松和平君の4回忌。彼が作家としてデビューし、最初に売れ、映画化もされた遠雷という小説に因んで昨年から遠雷忌と命名し、執り行うことになって2回目になります。あいにくの雪ということで遠方からの参加者は交通の関係で参加をあきらめた方もあり、30名弱の参加者でした。深々と降る雪のなかに福島泰樹住職の読経が消えてゆく様は心震えるものがありました。 その後の講演も福島住職に話していただきました。最初に会ったのが1970年であったこと。立松君は当時流行であった肩までの長髪であったことなどが語られました。みんな元気がありましたが明日が見えない、辛く苦しい時代でした。 その後、雪の降り振りは酷くなっていきましたが、せっかく予約したのだからと直会に行ったのですが、気がつけば外はすでに20センチは雪が積もっている状況でした。予想外の大雪で交通網は寸断され、普通は1時間のところも2時間はゆうに掛る混乱ぶりでした。 9日は都知事選挙の投票日だったが予想通り投票率は伸びず、既成政党に乗った候補の圧勝となりました。結果をみると田母神氏が意外と善戦、若者の票を集めたとのこと。やはり、脱原発派は統一候補を探ることなく自公の押した舛添候補に勝てるはずはなく、残念なことです。選挙は、まず勝つことなく何も変わらないことは自明で、主義や主張を優先させる限り、何もまた変わらないことも自明。これが戦後日本の政治であった。いつになったら政治とは何かを理解し、一歩踏み込んだ対応でこの閉塞状況を突破できるのかと思ってしまいます。 大雪の8日も有楽町のふるさと暮らし情報センターではセミナーが開催されました。開催したのは広島県。人気の中国地方で、もう一つ動きの見えなかった広島県でしたが、やっと動き出しました。参加した自治体は呉市をはじめ9団体。雪をものともせずに参加した移住希望者は何と32名を超え、中国地方の人気の高さを証明する形となりました。 日も雪の残る中、長野県が開催。一部キャンセルした自治体も出たが8自治体が参加し、そこに40から50名の移住希望者が参加という状況でした。 こうした話しを聞くと、丁寧に、丁寧に、移住希望者の思いを大切に相談に乗っていきたいものと思うばかりです。

今日は節分

今日は節分、季節を分ける日だ。明日から立春。「春は名のみの風の寒さや」という歌があるが、それでも暦の上では春なのだ。ちらほらと梅の便りも聞く。今日までの農水省の六次化の起業家育成のセミナー開催地の和歌山県古座川町の定住センターの圃場の梅も満開のはずだ。 先週30日、帝国ホテルで自治労結成60周年の集いがあり、出席すべく日比谷を歩いていたら鹿児島県のアンテナショップの前で、指宿の菜の花を配っていた。思わず立ち寄り、一輪いただき、家に持ち帰って飾ったら、我が家は一気に春となった。この時期のこうしたプレゼントは心和ませるものがある。 指宿には一昨年の12月、宮崎県の高原町に講演に行った折に足を延ばし、砂風呂に浸かった。その時も菜の花は満開で、空豆の白い花も満開であったような気がする。私の机の前には、開聞岳の麓が菜の花で埋め尽くされた絵葉書が張ってある。沖縄戦で知覧から出撃した特攻隊の若者たちが最後に日本に別れを告げた山である。開聞岳を見るたびにそのことを想い出し、思わず涙する。 年が明けても、ふるさと暮らしセミナーの開催は順調に推移している。1月31日(金)は新潟県上越市が久しぶりにセミナーを開催し、テレビ新潟も取材に入った。翌2月1日(土)は千葉県主催で9市町村が集まってのセミナーを開催し、20家族31名が参加した。各自治体のブースには数組ずつの相談者が相談に押しかけた。さすが人気の千葉県というところか。午後からは会津振興局が開催、こちらも若者の移住希望者が熱心に相談する姿があった。 昨日は都知事選挙の投票日までの最後の日曜日。銀座は候補者が入れ代わり立ち代わり街頭演説に押し掛け、大変な熱気だったとか。事務所の下は有楽町イトシア前ということで時々候補者が来て、演説会を開く。ついこの間も小泉元総理が青いダウンを着込み、元気な声を張り上げていた。2001年のヨハネスブルクでの環境サミットでお会いして以来、初めて本人を見たが、齢は否めなかったが、それでも元気であった。なにが元総理を街頭に立たせるのか、大いに見習いたいと思った次第。いずれにしても選挙戦はあと5日だ。皆さん、投票に行きましょう。

今年のふるさと回帰運動を振り返る

今年も残すところあとわずかになりました。 ふるさと回帰運動の一年を振り返ると、全体としては運動全体の底上げが図られた1年であったと総括できます。 人気県別ランキングのトップ5にランキングされている県がしっかりとこの運動を牽引しており、それらの県に続く10県程度の県が地域に根を張った取り組みで健闘しているようです。そのグループに続く10県程度の県が次年度に向けてブース開設の検討などをはじめ、動き出しているという状況であると考えています。このグループの動きが具体化すれば、ふるさと回帰運動は勝手に走り出すのではないかと考えます。 こうなってくると、やっとふるさと回帰運動が、当初の目標であった国民運動になっていくのではないかと思います。目先のことを考えれば一喜一憂してしまいがちですが、10年単位で地方自治体の今後を考えると人口減と高齢化問題が深刻なものとなり、ズシンと腹に効いてくるような気がします。 日本の人口は2008年をピークに減少に入り、人口は2010年に1億2806万人であったものが27年後の2040年には1憶728万人と2078万人も減少すると推計されています。この人口減少は過疎地から徐々に都市部へと広がっていきます。 持続可能な地域づくりのためには、今がぎりぎりのところに至っているのではないでしょうか。都市と地域の交流・移住における、この運動の重要性が今こそ問われているようです。 先週の土曜日には10月のセミナーが台風の接近で中止になった長崎県が五島市など10自治体の参加のもとでセミナーを開催し、29名の方が参加されました。 このセミナーには県の担当課長も参加され、「たくさんある離島への移住を何としたいのだが……」と言っておられました。「ならば。具体的な離島暮らしの提案をしてみたらどうですか?」とアドバイスしておきました。立ち止まって考えていても何も変わりません。まず、歩き出し、そして考え、さらに歩き続けることが肝要なのではないでしょうか。実現は来年になると思いますが、長崎の離島に絞ったセミナー開催に期待したいものです。 また、日曜日の山梨県と山梨中央銀行がコラボしたセミナーには若者を中心に38名が参加、盛況でした。6月にブース開設し、月の相談係数が200件を超えて人気だった山梨ですが、その頃はシニア世代が60%と他県に比べてシニア世代が多い特徴がありましたが、ここにきてインターネットでの発信も丁寧に行ってきた結果、若者の相談が増えてきているようです。 情報発信に工夫すれば、セミナーの参加者も変わります。当たり前のことですがこれがなかなかできないのが現実です。確実に、誰でもいいからわが町に来てほしいという段階は過ぎているようです。いまやふるさと回帰運動は対象者を絞った提案と、それに見合った・効果的な情報発信の仕方などの工夫が重要になってきています。

山梨県の実力を見た

6日、梅雨明けした。満を持したような勢いで東京は一気にむせ返るような暑さとなっている。 今年も6月最後の週に知床に行き、先週末は函館に行き、北海道の夏を経験しているので、今夏の急な梅雨明けは身体に応える。   函館は、60年安保闘争の全学連委員長の唐牛健太郎の墓建立23回忌で行ったもの。来年は没30回忌ということで、久しぶりに歴史を検証する文化講演会を函館で開催することを参加者一同で確認した。 今年の墓参りには、かつては立場を異にし、以降、叱咤激励し合う関係というのか奇妙な信頼関係にある(私はそう思っている)一水会の最高顧問鈴木邦男氏も参加された。前から一度参加したいと言われていたので誘った次第で、今回初めて実現したものである。 これまでも会えばあいさつはしてきたが、今回初めて少し話をさせていただいたのだが、義に篤い、心に響くものを持った人であった。鈴木氏も福島県ゆかりの方ということで、一緒に函館最古の寺院・高龍寺に行った。そして境内にある「傷心残目の碑」もお参りした。このお寺は最後の函館戦争の時の病院で、負傷した会津の兵が立てこもったところ。そこを突然襲った津軽や松前の兵によって医師を含む兵が惨殺され、火をつけられたことで、この碑が建立されている。143年前のこととはいえ、こうしたところにもふるさと・福島のゆかりの地があり、ひどい目に合っている。歴史の残酷さを想わざるを得なかった。     ついに記録が更新された。 といってもそれはセミナーの参加者の数についてである。昨日の岡山県の移住相談会の参加者が159組269名に達した。夕方4時で締め切ったため、相談できなかった人もあったとか。それにしてもすごい数である。中国地方の人気は衰えてはいないようだ。同日は、JR東日本と組んだ長野県佐久市のセミナーも開催された。こちらは大人の休日クラブ会員限定のセミナーであったが、こちらも満員の盛況ぶりで、ふるさと回帰運動の広がりを実感させられる一日となった。 このほど、6月一カ月の来訪者の集計が明らかになったが、何と2年前の2011年の東日本大震災以来の950件を越える数の多さになった。その理由はいくつかあろうと思うが、一番は6月から山梨県がふるさと回帰支援センター内に人員を配置したブースを開設し、移住と就職相談を合わせて対応していることによるもののようだ。来客も一カ月で170件を越えた。断トツのトップの集客である。周辺地域の相談が増えたり、負けてはいられないと周辺地域もPRに注力したこともあり、いい意味での相互作用による相乗効果による結果が生まれているのではないだろうか。事務局としてもある程度の結果は予想されたが、こんなに早く成果が出るとは思わず、山梨県の実力を見せつけられた気がする。

動き始めた高知県の移住対策 

7月になった。まだ梅雨は上がってはいないが、今日は朝から暑く、夏背広がうっとうしいような気がした。梅雨明けも近いのではないだろうか。 6月29~30日、恒例の毘沙門祭で北海道・知床に行ってきた。彼の地は前理事長の立松和平君が愛してやまなかった地で、ログハウスまで購入し、滞在したこともある地である。そこに早稲田の先輩で歌人、法華経の住職でもある福島泰樹さんの協力で毘沙門堂を建立したのが19年前、毎年例大祭を行っている。それに参加したのである。知床は、今年は寒く、5月に60cmも雪が降るなどして、知床横断道路は開通が遅れて、やっと7月1日からということだ。ただ、今回は天気が良く、暖かさも十分で知床の夏を満喫することができた。   地元の農家の人に話を聞くチャンスがあり、TPP問題について伺ったが不安は大きいようだ。このままTPPへの参加が強行されれば1/3の農家は離農せざるを得ないのではないかということであった。明治になって本格的な北海道への入植が始まって100年にはなるのだろうか、荒野を開墾し、今や広大な農地となった、豊かな大地が離農ということで荒廃していくのは悲しい。まして、この大地と格闘してきた先達を想うと他に手がないのかと心から思う。 ただ単に、利益を得ることを第一に考え、国の形や姿、食料安保や自給率の確保を考えず、アメリカの要求に屈し、国を売るようなことは「百害あって一利なし」と言わざるを得ない。すでに人心の荒廃はとめどなく広がる現状において、さらに悪化することは明らかである。「衣食足りて礼節を知る」のは当然のことである。格差社会を拡大することによって、この愛すべき国土を荒廃させてはならない。   さて、いよいよ高知県の移住への取り組みが本格化してきたようだ。5月の東京交通会館での相談会には83名の参加があり、大いに賑わったが、6月30日にもまたふるさと回帰支援センターで相談会を開催し、56名の参加者を得た。今回はゲストにビックコミック誌の「釣りバカ日誌」の主人公・浜崎伝助のモデルとも言われる黒笹慈幾さんをお呼びして、高知暮らしの楽しみ方を語っていただいた。この取り組みのキャンペーンポスタ―もまたいい。チャッチコピーは「高知県はひとつの大家族やき。」で、ちゃぶ台の前に高知出身の広末涼子が座っている。このレトロさが目立つようだ。

岡山の相談会に155人が参加した

昨日は大寒とか、暦の上でも一年で一番寒い時期だ。14日の成人の日は朝から雪、夏のカキ氷のようにどんどん積もった。数年ぶりの大雪とかで転んで怪我した人が1000名を超えたとテレビで報道していた。日曜ごとに観ている朝8時からのサンデーモーニングの女性キャスターも腕を肩から吊るして登場していた。あれから一週間になるが日陰ではまだ雪が残っている。寒さはこれからが本番、ご自愛ください。   さて、一昨日書店で手にした浜田宏一イェール大教授の「アメリカは日本経済の復活を知っている」は興味深い本であった。円高、デフレは日銀の金融政策の失敗によるものと断定している。ほぼ、すべての先進国が金融緩和を行う中で、唯一、わが国のみが逆の政策を行っている事実を明らかにしている。日本の金融関係者の多くは、デフレは一概に悪いものではないと考えていると指摘している。 また、民主党政権の財務大臣など金融関係大臣の人選についても批判している。全くの素人を配置し、その結果、財務省、日銀の跋扈を許したとしている。財務大臣に至っては、この金融危機の中、最近読んだ本は「鬼平犯科帳」と回答している事実を上げ、これでは問題があるとしている。 円高、デフレの現実は、国内産業の空洞化を招き、地方は企業に撤退などで大きなダメージを受けている、内容は多岐に渡り、一般的な読み物としても十分に楽しめる一冊である。 この円高、デフレについて私は、政府が有効な手を打っていないことから、その理由をアメリカが日本に対し影響力を行使し、行わせているものと考えていた。しかし、事実は違っていたことになる。反省しなければならない。   年明けのふるさと回帰支援センターは引き続き、活況を呈している。19日のセンターの来訪者数は記録を更新した。この日は土曜日とあって2回のセミナーが行われた。前段はこの間人気が急上昇している岡山県の相談会とあって11自治体が16のブースを開設し、そこには何と155名の参加者が集まり、セミナーコーナーは人で溢れかえった。 後段も人気の長野県のセミナーで5自治体が参加し、46名が相談に訪れた。前日18日の山形県川西町のセミナーは原田町長自らが参加。これまた10名の来場者があり、盛り上がったセミナーとなっていた。今後も毎週セミナーが予定されている。是非、HPをチェックし、今や国民的な運動になりつつあるふるさと回帰運動に注目していただきたい。

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何事の起こりしやは明らかならず

このところ脱原発の行動が大きなうねりとなっている。昨29日も国会包囲デモが行われ、数十万人が炎天下の中、集まったという。戦後のこの国を振り返ると、こうしたデモが行われたのは1960年の安保反対闘争、60年代末の全国学園闘争があげられるが、今回のこのデモはこれまでのデモとはおもむきを少々異にする。先にあげた2つのデモは政治闘争のおもむきが強いが、今回の運動は生活、暮らしという観点からの運動のような気がする。したがってデモ参加者も女性が多いようだ。生活や暮らしへの危機感から出発している分だけ、安易な妥協というものは難しいようだ。この運動がどのような軌跡を辿り、いかなる社会を招へいするのかは軽々には論じられないが、何か新しい時代へと道を拓くものになりそうな予感がするのは私だけではあるまい。 政府の方は、烏合の衆と侮っているような節があるが、どっこい対応を間違えると大化けするような気がする。先にも書いたように生活に根ざした運動であるだけにそのうち下火になるような質の運動とは思えない。早めの対応こそが肝要と考える。   28日の土曜日、夕方6時から長野県の阿部知事も参加したセミナーを有楽町のふるさと回帰支援センターで開催した。他に飯山市の足立市長、田舎暮らし「楽園信州」推進協議会の玉村豊男名誉会長も参加、長野のふるさと暮らしの受け入れ状況やこれからの取り組みについて活発な意見交換が行われた。中でも、足立飯山市長からはすでに飯山市では145世帯もの移住者を受け入れていることが紹介され、参加者の関心を引いていた。3・11の原発事故以降、福島県に代わって長野県が来訪者人気のトップになっている。知事自らがセミナーに出席するなどふるさと回帰の受け皿への意気込みは強い。 また、3・11以降のふるさと回帰のニーズが急増していることもあって、現在いくつかの県や市からブース開設の問い合わせが来ている。一か所でも多くのブースの開設はさらに来訪者の増加につながる。期待は大きい。

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