東北はいったいどうなってしまうのか

今日3月11日は東日本大震災から3年になる。早いものである。しかし、現地はどうなのだろうか。人口の流失に歯止めがかからないという話を聞くと胸が押しつぶされそうな息苦しさを禁じ得ない。復興が遅々として進んでいないのである。政治が機能していないのではないかと思われる。復興庁はなにをしているのかと思う。一昨日、テレビを見ていたら宮城県知事が復興計画について委員会の決定を待って決めたいと言っていた。すでに災害から3年もたっているというのに何を言っているのかと思った。そんな悠長なことを言っている場合かと思った。委員会では、それぞれ勝手なことを言うにきまっている。3年たっても議論しているようじゃ10年たってもまだ議論することになるのに決まっている。被災者の気持ちがわからないのだ。この現状は、政治が機能していないといっていい。政治家として最低の素養である責任を取るという視点がないのだ。
私が生まれ、育った福島の浜通りは、被災3県の内でもさらに人口の流失が激しいようだ。とくに福島第一原発からの放射能に汚染された水の流出はどうにもならない。一日400トンもの汚染水が出され、抜本的な対策ができない状態だ。にもかかわらず、政府は原発の再稼働の政策を進めようとしている。先の大戦についても誰も責任を取らなかったが、今回の原発事故も誰も責任を取らず、なし崩し的に原発の再稼働を行おうとしている。この国は、こうした大きな過ちについてはすべてほっかぶりを決め込み、曖昧にして同じ過ちを繰り返してきた。懲りない国民性ともいうべきものがあるようだ。しかし、希望はある。一昨日の脱原発集会には3万2000人が集まったという。この時代、これが希望でなくてなんだというのか。しかし脱原発集会が希望とは、戦後こんなに悲しい時代はあったのだろうか・・・。

昨日発売の月刊文芸春秋の特集は「第二の敗戦 団塊こそが戦犯だ」。売るために編集者もいろいろ考えるのだろうが、それにしても酷過ぎる。この国は欧米に比べても徹底して学生運動をした団塊世代の活動家を社会から排除してきた。そのつけが、いままわってきていると言ってもいいだろう。あの時代、優秀だった奴は学生運動をやっていた。学生運動をやらないような奴は信用されなかった。ベトナム戦争が闘われ、爆撃機は沖縄からベトナムへ出撃していた。こうしたやむに已まれぬ社会に対する想いが学生運動に走らせた。先の大戦においても特攻を志願した兵は何としても祖国を守らなければという想いから特攻を志願したのだった。基本のところは同じで、分かる気がする。

東日本大震災からすでに3年。わが東北はこれからどうなっていくのだろうか。そして、齢66歳の私にできることはあるのだろうか。
大震災 ふるさと想い 涙する

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