南三陸町で考えたこと

東日本大震災から1年7カ月、初めて宮城県南三陸町を訪ねた。内閣府の復興支援型地域社会雇用創造事業の12回目のビジネスコンペを、南三陸町まちづくり推進機構の事務所で開催したことによるものだ。この事務所は、徳島産の杉材をふんだんに使用して建てられた。すべてが無垢材で作られたもので、近づいただけで杉の匂いに包まれるような感覚だった。

 

ビジネスコンペでは、書類審査を通過した6名のプレゼンテーションが行われ、早稲田大学の堀口健治教授を審査委員長に5名の審査委員による厳正な審査により、復興に熱い想いを懸けたふるさと起業家が5名誕生した。今回は、事前に180時間に及ぶインターンシップを実施し、その延長線上にビジネスコンペが位置付けられたことにより、認定者が多かった。これまでの平均認定率が26%に留まっていたことから考えると驚くような結果だった。

 

その南三陸町だが、津波の被害は目を覆うものがあった。高さ5メートルを超えるような堤防は、津波によって簡単に突破されたようであった。その結果、町全体が津波にのまれた形になった。町の防災センターに最後まで残り、町民に対し必死に避難を呼び掛けた女子職員がいたことで有名になった建物は、鉄骨だけが残り、いまでもぽつんと立っていた。その姿は彼女の姿に連なり、涙を誘った。そして、彼女の冥福を祈らずにはいられなかった。

 

南三陸町の現在は、瓦礫こそ片づけられているが復興にはまだまだ遠く、どこから手をつけたらいいのかもわからない状況であった。こうした中で、復興の一助になればと、今回のビジネスコンペにエントリーし、起業を目指す方々の健闘にはただただ頭が下がるばかりだ。なんとか成功してほしいと願うばかりである。