今年の夏から秋をふり返る

数日前の土曜日の夕方、空は一面の鰯雲であった。火のように薄赤く染まった一面の空は、あたかもふるさとまで続くのかと思われるような広がりであった。家路を急ぎながらも幾度も幾度も振り仰ぎ、見入ってしまった。

今年の夏はことのほか暑かった。8月下旬の自治労大会で訪れた函館は、この時期こんなに暑いなんて言うことは近年なかったことだと地元の人は口をそろえていた。

9月はふるさと回帰フェア2012で1カ月が駆け足で去ってしった。10月も現在取り組んでいる復興支援型地域雇用創出事業に追われ、半ばだ。そんな日々の中で振り仰げば夕焼けに染まった鰯雲、もう秋なんだと思った次第である。

自治労大会は、雇用延長の恩恵に浴し、ちょうど35年務めた自治労の最後の大会であった。かつての雑然とした中にも、熱気があふれ、独特の雰囲気があったがそれも消え、ずーっとスマートに大会になった。時代は流れた、老活動家の出る幕ではないのだと思った次第だ。最後の大会が函館というのも何かの縁、60年安保闘争の全学連委員長の唐牛健太郎氏の眠る地、彼の想いを引き継ぐなどという大袈裟なことではないが、一生の仕事に労働運動を選んだことを墓前に報告できたことはよかった。

復興支援型地域社会創造事業のビジネスコンペで10月初旬に約30年ぶりに遠野市を訪れた。30年前はまだ30歳代と若く、無茶なことをやったり、言ったりもして関係者には大いに迷惑をかけたかもしれないが、それも今で懐かしい思い出となっている。遠野は駅前もすっかりきれいになり、東北を代表するような地方都市に生まれ変わっていた。昨年の3・11大震災では岩手県沿岸部の後方支援の出撃地として大いに有効性の高い支援を行っていると話題になったが、その支援活動を担った遠野山里ネットと組んでこの支援事業に取り組んでいるが古くからの中継基地だった、その役割は何百年たっても変わっていないことが証明され、先人たちの目の確かさを改めて教えられた気がした。

盛りだくさんだったふるさと回帰フェア2012(東京会場)

早稲田大学でのふるさと回帰フェアも4回目、通算で8回目の「ふるさと回帰フェア2012」も無事、終了した。台風の余波の影響で空模様は怪しかったが何と持ち、終了後に雨が降った。参加自治体、参加人数は、ほぼ昨年並み。秋の3連休という絶好の行楽日に重なった割には健闘したのではと考える。ただ最近のふるさと回帰運動の高まりを反映したものとなったかどうかは?がつくものであった。

今年は前夜祭と本番とも、予算の関係もあり記念講演ではなくシンポジュウム2本を用意した。前夜祭は「ふるさと暮らしから考えるエコな暮らし」をテーマにパネルデスカッションを行ったが、原発問題が前面に出たパネルとなってしまった。それはそれで大切なことであるがふるさと回帰にうまく話しをつなげられなかったことはコーディネーターの問題であったと反省している。ただ、各パネリストはユニークで、各界で活躍中という人が多く、発言も面白く大いに学ぶところもあった。とくにキャンドル・ジュン氏は有名女優のご主人で、全身タツーという姿が目を引いたが、心はきれいな方で、そのピュアな考え方や生き方には大いに共鳴するものがあった。

本番の17日のシンポジュウムは「東日本大震災の復興のキーワードは何か」をテーマに、現在被災3県で復興支援型の地域社会雇用創造事業に取り組んでいる4団体の代表が勢ぞろいした。問題提起は金子郁容慶応大教授が行い、パネルデスカッションに入った。

金子教授は政府の新しい公共円卓会議(鳩山内閣)や新しい公共推進会議(菅内閣)の座長を務めたこの分野の第一人者で、パネリストはいずれも論客とあって、中身の濃い討論が行われた。(詳細は11月上旬発行100万人のふるさと秋号)

特に東日本大震災の復興がハード面のみが重視されていることに対する批判や地域住民の自立にはソフト面、とりわけ起業家の育成が欠かせないことなどが、具体的事例を挙げながら語られた。

このシンポジュウムに引き続いて行われた「復興六起」の第6回ビジネスコンペでは6名の発表者に対し3名の起業家が認定された。これらのテーマはふるさと回帰運動の発展形として、若者のふるさと回帰に伴い、若者が地域で暮らすためには不可欠なもので、日本社会の活性化には避けて通れない課題となっているものである。

また、ゆるキャラフェスティバルや野良着ファッションショ―、ニッポン全国ふるさと市場も開催され、フェアを盛り上げた。

観光甲子園とは?

観光甲子園をご存知でしょうか。

観光甲子園とは4年前から行われている高校生による観光プランコンテストのことで、主催は「観光甲子園」大会組織委員会、事務局は神戸夙川学園大学に置かれている。今年も8月26日に神戸の神戸夙川学園大学で開催された。北海道から沖縄までの76校から158のプランの応募があり、本選に残った10校がそれぞれのプランに熱弁をふるった。

そして、厳正な審査の結果、松江市立女子高がグランプリの文部科学大臣賞、同じく山形県立鶴岡中央高等学校が観光庁長官賞を受けた。

松江女子高のプランは「Let’s縁きりふれっしゅ~松江ではじまる新しい自分旅~」というプランで、「断捨離」をテーマに、不要なものを断ち、捨て、執着から離れることを通して自分が変わる第一歩の旅を提案している。とくに出雲地方ということで縁結びの神となるところを、逆手に取って縁切りから始めるというという発想が面白く、高校生らしい思い込み一杯のプランであった。

もう一つのグランプリの鶴岡中央高は「“脱・ありきたりの旅”PART2~被災地と庄内を結ぶ“WinWin”な癒しツアー~」というテーマで、被災地支援の被災地観光ではなく、被災地の物販を庄内で行うことを通して交流観光につなげていくという意欲的な企画であった。

 

2003年の観光立国の決定から、観光庁の設立と国を挙げて海外からの観光客の誘致に取り組んできた。しかし政府の意気込みとは別に、現状においては福島第一原発事故の影響もあって観光客の足は伸び悩んでいる。こうした中で、観光甲子園の提起をうけて、高校生たちが観光プランの作成を切り口に、地域の活性化や再生取り組み、その輪が着実に広がってきている。

この取り組みは、地域の文化や歴史を知り、さらには地域の見直し、あらたな地域の創造につながる。都市と農山漁村との格差が拡大する一方の現状からは、次の時代を展望できる新しい大切な視点と考える。さらなる発展を願わざるを得ない。

 

酷暑の夏に想うこと

 

 

歳の所為でもあるのかもしれないが、今年の残暑はことのほか厳しいようだ。であるからか、蝉の鳴き声も一段と大きいようだ。

 

今年のお盆も、ふるさと回帰支援センターはしっかりと休みを取った。せめて、お盆くらいは帰省し、どっぷりとふるさとの良さに浸って、これからのふるさとのことを考えてみようと、NPO設立以来、休みにしている。しかし、残念ながら昨年、今年と帰省することはできなかった。常磐線がいまだに寸断され、復旧の見通しが立っていないこともあるが、帰るべきふるさとの実家が先の東日本大震災の津波によって土台まで流されたからだ。帰れないから帰りたくなるのが人情である。そんなこともあって今年のお盆は、ふるさとの思い出にふけった。

 

私の生まれ故郷は、福島県相馬市の原釜という漁村である。自慢は白砂青松の海岸線がどこまでも続いていたことである。東北のどこにもあるような漁村ではあったが、幼いころはこんなに素晴らしいところは他にはないと思っていた。これが数十年前に埋め立てられて、相馬港という港に変えられている。そこで私のふるさとは心の中にしかないと思うようになった。その漁村にいたのは小学校の6年までである。

 

親友立松和平は酔うといつも、ふるさとを取り戻すためにはセメントに塗り込められた日本中の海岸線のそれを引きはがして、白砂青松を取り戻さなければならないといっていた。東日本大震災からの復興事業のひとつに白砂青松の海岸の復活をテーマにする地域もあってはいいのではないだろうか。

 

さらにもうひとつ、今年の東京のお盆は天気も良かったことあったが、空の雲が白く光り輝いてことのほか美しかったことだ。いつまで眺めていても飽きなかった。夏空に浮かぶ白い雲とはこんなに美しいものかとあらためて思った次第だ。

何事の起こりしやは明らかならず

このところ脱原発の行動が大きなうねりとなっている。昨29日も国会包囲デモが行われ、数十万人が炎天下の中、集まったという。戦後のこの国を振り返ると、こうしたデモが行われたのは1960年の安保反対闘争、60年代末の全国学園闘争があげられるが、今回のこのデモはこれまでのデモとはおもむきを少々異にする。先にあげた2つのデモは政治闘争のおもむきが強いが、今回の運動は生活、暮らしという観点からの運動のような気がする。したがってデモ参加者も女性が多いようだ。生活や暮らしへの危機感から出発している分だけ、安易な妥協というものは難しいようだ。この運動がどのような軌跡を辿り、いかなる社会を招へいするのかは軽々には論じられないが、何か新しい時代へと道を拓くものになりそうな予感がするのは私だけではあるまい。

政府の方は、烏合の衆と侮っているような節があるが、どっこい対応を間違えると大化けするような気がする。先にも書いたように生活に根ざした運動であるだけにそのうち下火になるような質の運動とは思えない。早めの対応こそが肝要と考える。

 

28日の土曜日、夕方6時から長野県の阿部知事も参加したセミナーを有楽町のふるさと回帰支援センターで開催した。他に飯山市の足立市長、田舎暮らし「楽園信州」推進協議会の玉村豊男名誉会長も参加、長野のふるさと暮らしの受け入れ状況やこれからの取り組みについて活発な意見交換が行われた。中でも、足立飯山市長からはすでに飯山市では145世帯もの移住者を受け入れていることが紹介され、参加者の関心を引いていた。3・11の原発事故以降、福島県に代わって長野県が来訪者人気のトップになっている。知事自らがセミナーに出席するなどふるさと回帰の受け皿への意気込みは強い。

また、3・11以降のふるさと回帰のニーズが急増していることもあって、現在いくつかの県や市からブース開設の問い合わせが来ている。一か所でも多くのブースの開設はさらに来訪者の増加につながる。期待は大きい。

復興六起が始まった

昨年の3次補正で決まった内閣府の復興支援型地域社会雇用創造事業のうち、ふるさと回帰支援センターで取り組むことになった90名の社会的起業支援事業とインターンシップ事業400名がいよいよ始まった。実施場所は岩手、宮城、福島、茨城の被災県と福島からの避難者が多い米沢市、新潟県の長岡市など。

今週末の14日には第一回のビジネスコンペも岩手県北上市で開催される。すでに4月に仙台市には4月に東北本部事務所を開設していた。

今日は、あの東日本大震災から1年4カ月、しかし被災地の多くはいまだ手つかずのところも多く、これからも長い道のりを行くことになるようだ。とくに福島は原発の影響もあり他県に比べ大幅に遅れている。

昨日は福島県相馬市でこの事業の内閣府主催の現地説明会があった。生まれ故郷ということもあって参加し、この事業への応募をお願いしたが反響は多かった。しかし、予算が足りず、90名の起業家の支援ではどこまでニーズに応えられるか心もとない面もある。一方では、今日の東京新聞によれば昨年度は予算執行が遅れ、6兆円も残ったとあった。もったいないことである。いまさらながら、お金は使ってこそ生きる。ましてや復興予算はなおさらである。

 

帰りに、4月に避難解除になった南相馬市の小高区を訪れた。ここは被災当時のまま、家屋も無残な姿をさらけ出していた。海沿いの広々とした水田は作付けが禁止され、見渡す限り夏草が生い茂っていた。あの美しい日本の原風景ともいえる田園風景はどこにもなかった。原発事故はこうした面からも自然も人の心も荒廃させている。

蛍の乱舞を観た

一昨年から農水省の「食と地域の『絆』づくり選考委員」を仰せつかっている。その関係で過日、優良事例に選ばれた24地域の中の愛媛県内子町と北海道南富良野町を選考委員の方々と訪れる機会があった。

それぞれの地域ともさすがと思わせる内容で、地域住民の方々の地域の活性化にかける意気込みは、大いなるものがあり、非常に勉強になった。特に内子町では地域の景観の保全と古民家の活用による都市との交流事業に取り組み、成果を上げていた。そこでのポイントは、地域活性化に思いをはせる住民相互の心あわせがうまくいっていることにあるように感じた。また、地域にはふるさと回帰した若者も参加した形での企業組合方式による炭焼き事業にとりくむケースもあり、町並み保存による取り組みで全国に名をはせてきた内子町の新しい取り組みの一端を見た気がした。

夜にもなれば、古民家の周りは蛙の大合唱。川沿いまで行くとそこは何と蛍の乱舞、あたかもクリスマス・ツリーのような状況であった。あれだけの蛍を見たのは初めてのことで、これだけでも十分に売りになるのではないかと思った。売りになるといえば、内子町は栗の産地で、直径5センチもあろうかという栗が産出される。何とかこの栗のブランド化を模索中、宿題として預かり、戻った次第である。

大飯原発の再稼働で想うこと

過日、夏場の電力不足を理由に野田総理は大飯原発の再稼働を決めた。総理はまだ福島第一原発事故が何を引き起こしたのかわかっていないのではないかと思う。突き付けられたものが何だったのかもわかっていないのではないかとも思われる。

あの事故から1年3カ月が過ぎたが、現地はまだほとんど手つかずの状況にある。事故の原因も、津波によるものか、地震によるものかも明らかになっていない。万を超える地域住民は避難したままにあり、ふるさとには帰っていない。帰れる見込みのない人も多い。地域の環境も放射能に汚染されたままで農業もできないところある。さらに海も汚染され、現在まで操業自粛が続いている。漁の再開にはまだ見通しも立たない。

こうした状況での再稼働は信じられない。これからの我が国の原子力行政をどうするのかも決まらず、まして今後のエネルギー政策だって決まっていない段階での再稼働は、結局はこれまでの原子力行政に逆戻りとなりかねない。これではまったく意味がない。総理は、過日の会見で責任は私がとると大見得を切ったが、福島の事故を見る限り、現在まで誰も責任を取っておらず、いったん事が起きれば総理大臣でも責任など取れないほどの被害を地域社会に与えることになることは明らかだ

こうした現状を見る限り、何も学んでいないことになる。もう一度事故が起きれば多分、この国は滅ぶことになる。それほど深刻な問題を突き付けていることを知るべきだ。そして、この問題を人任せにすることもそろそろにしないと本当に大変なことになることも知るべきだ。いつからこの国は、こんな無責任がまかり通る国になってしまったのか。

句会

私たちの句会は18年目。
先週末、友人たちと6カ月ぶりに句会を開いた。場所は法師温泉。

初めて開催してから、もう18年になる。酒を飲んでいて、句会でもやろうかとなったのかもしれない。メンバーは十数人。2年前に亡くなった立松和平君、映画監督として活躍している高橋伴明君。毎日新聞の社会部長を務めた清水光雄君。大地を守る会の藤田和芳会長もメンバーだ。他にも弁護士の三島浩司さん、医者となった鈴木基司君。
そうそうたるメンバーがしこたま酒を飲んで、他人の句をこき下ろす。これがストレス発散に良いようだ。誰一人として、もうやめようと言い出す人はいない。結果、こんなにも続いてしまったわけである。

中心は65年から66年にかけて闘われた早稲田大学の学費値上げ反対闘争の中心人物の一人彦由常宏氏だ。18年もやって少しは上達したのかと問われれば下を向くしかないものがあるが、それはそれでいい。第一回目は群馬の宝川温泉であった。

このようにして人生は積み重ねられ、櫛の歯が欠けるように一人ひとり逝ってしまう。中心人物だった彦由氏も逝って来年は17回忌となる。彦由氏が眠る周防大島の先の沖家室島での13回忌に、これでお仕舞にしようかと言ったら立松君が17回忌もやろうと頑強に言い張ったが、彼もいなくなった。

しかし、句会は続く。今回の季題は「ラムネ」と「紫陽花」であった。参加者は9名。3句読んで名前を明らかにせず選んでもらう方式で、トップは合計9票入った鈴木基司君で久しぶりに恵比須顔であった。小生はいつもながらの女々しい句を詠んで合計7票と善戦した。

チャリテイー・オペラコンサートを開催しました

5月14日、千鳥ヶ淵のイタリア文化会館でチャリテイー・オペラコンサートを開催した。イタリア文化会館は初めてだったが、一歩中に入ればそこはヨーロッパという感じの建物で、音響効果のしっかり計算された立派な会館であった。

このコンサートはイタリアのオペラ歌手2名が、東日本大震災からの復興に取り組んでいる被災者の方々を応援したいが何か役に立てることがあるのかと考えた末に、歌で元気づけたいとコンサートを開催することになった。この動きを聞いたわが国のオペラ界を代表する歌手男女12名、伴奏3名の方々も参加を希望し、かつてない大掛かりなものになった。

コンサートでは歌劇「セヴィリアの理髪師」、「フェガロの結婚」、「椿姫」などよく知られた13の歌劇から、それぞれ1曲が選ばれて披露された。特に8名のソプラノ歌手の澄んだ歌声は聴衆を魅了した。



このコンサートは、14日以外にも、13日には宮城県石巻市、15日は福島市、16日はいわき市の久ノ浜小学校、同小名浜第2中学校で開催される。小名浜第2中学校は、私の母校であり、卒業以来約50年ぶりに訪れることになった。いい意味で、生徒諸君にカルチャーショックを与え、彼らの人生に何らかの希望を与えることになればと思っている。

このコンサートを主催し、世界のいろいろな分野の方々が日本のことを気にかけ、頑張ってほしいと思っていることを改めて実感させられた。公演の最後に、出演者全員で文部省唱歌「ふるさと」を合唱していただいた。その澄んだ歌声を聴きながら、今回の大震災で起きた福島原発事故によって放射能で汚染されたふるさとの山や海を思い起こし、涙が流れて仕方がなかった。政府は、東京電力は、とんでもないことをやってしまったのだと怒りが込み上げてきた。