大飯原発の再稼働で想うこと

過日、夏場の電力不足を理由に野田総理は大飯原発の再稼働を決めた。総理はまだ福島第一原発事故が何を引き起こしたのかわかっていないのではないかと思う。突き付けられたものが何だったのかもわかっていないのではないかとも思われる。

あの事故から1年3カ月が過ぎたが、現地はまだほとんど手つかずの状況にある。事故の原因も、津波によるものか、地震によるものかも明らかになっていない。万を超える地域住民は避難したままにあり、ふるさとには帰っていない。帰れる見込みのない人も多い。地域の環境も放射能に汚染されたままで農業もできないところある。さらに海も汚染され、現在まで操業自粛が続いている。漁の再開にはまだ見通しも立たない。

こうした状況での再稼働は信じられない。これからの我が国の原子力行政をどうするのかも決まらず、まして今後のエネルギー政策だって決まっていない段階での再稼働は、結局はこれまでの原子力行政に逆戻りとなりかねない。これではまったく意味がない。総理は、過日の会見で責任は私がとると大見得を切ったが、福島の事故を見る限り、現在まで誰も責任を取っておらず、いったん事が起きれば総理大臣でも責任など取れないほどの被害を地域社会に与えることになることは明らかだ

こうした現状を見る限り、何も学んでいないことになる。もう一度事故が起きれば多分、この国は滅ぶことになる。それほど深刻な問題を突き付けていることを知るべきだ。そして、この問題を人任せにすることもそろそろにしないと本当に大変なことになることも知るべきだ。いつからこの国は、こんな無責任がまかり通る国になってしまったのか。

句会

私たちの句会は18年目。
先週末、友人たちと6カ月ぶりに句会を開いた。場所は法師温泉。

初めて開催してから、もう18年になる。酒を飲んでいて、句会でもやろうかとなったのかもしれない。メンバーは十数人。2年前に亡くなった立松和平君、映画監督として活躍している高橋伴明君。毎日新聞の社会部長を務めた清水光雄君。大地を守る会の藤田和芳会長もメンバーだ。他にも弁護士の三島浩司さん、医者となった鈴木基司君。
そうそうたるメンバーがしこたま酒を飲んで、他人の句をこき下ろす。これがストレス発散に良いようだ。誰一人として、もうやめようと言い出す人はいない。結果、こんなにも続いてしまったわけである。

中心は65年から66年にかけて闘われた早稲田大学の学費値上げ反対闘争の中心人物の一人彦由常宏氏だ。18年もやって少しは上達したのかと問われれば下を向くしかないものがあるが、それはそれでいい。第一回目は群馬の宝川温泉であった。

このようにして人生は積み重ねられ、櫛の歯が欠けるように一人ひとり逝ってしまう。中心人物だった彦由氏も逝って来年は17回忌となる。彦由氏が眠る周防大島の先の沖家室島での13回忌に、これでお仕舞にしようかと言ったら立松君が17回忌もやろうと頑強に言い張ったが、彼もいなくなった。

しかし、句会は続く。今回の季題は「ラムネ」と「紫陽花」であった。参加者は9名。3句読んで名前を明らかにせず選んでもらう方式で、トップは合計9票入った鈴木基司君で久しぶりに恵比須顔であった。小生はいつもながらの女々しい句を詠んで合計7票と善戦した。

チャリテイー・オペラコンサートを開催しました

5月14日、千鳥ヶ淵のイタリア文化会館でチャリテイー・オペラコンサートを開催した。イタリア文化会館は初めてだったが、一歩中に入ればそこはヨーロッパという感じの建物で、音響効果のしっかり計算された立派な会館であった。

このコンサートはイタリアのオペラ歌手2名が、東日本大震災からの復興に取り組んでいる被災者の方々を応援したいが何か役に立てることがあるのかと考えた末に、歌で元気づけたいとコンサートを開催することになった。この動きを聞いたわが国のオペラ界を代表する歌手男女12名、伴奏3名の方々も参加を希望し、かつてない大掛かりなものになった。

コンサートでは歌劇「セヴィリアの理髪師」、「フェガロの結婚」、「椿姫」などよく知られた13の歌劇から、それぞれ1曲が選ばれて披露された。特に8名のソプラノ歌手の澄んだ歌声は聴衆を魅了した。



このコンサートは、14日以外にも、13日には宮城県石巻市、15日は福島市、16日はいわき市の久ノ浜小学校、同小名浜第2中学校で開催される。小名浜第2中学校は、私の母校であり、卒業以来約50年ぶりに訪れることになった。いい意味で、生徒諸君にカルチャーショックを与え、彼らの人生に何らかの希望を与えることになればと思っている。

このコンサートを主催し、世界のいろいろな分野の方々が日本のことを気にかけ、頑張ってほしいと思っていることを改めて実感させられた。公演の最後に、出演者全員で文部省唱歌「ふるさと」を合唱していただいた。その澄んだ歌声を聴きながら、今回の大震災で起きた福島原発事故によって放射能で汚染されたふるさとの山や海を思い起こし、涙が流れて仕方がなかった。政府は、東京電力は、とんでもないことをやってしまったのだと怒りが込み上げてきた。

42年振りの原発の全停止

季節の移ろいは、動き始めると早い。

今年の冬はことのほか寒く、長かった。
4月になっても初めの頃はコートが手放せなかった。
梅も咲くのが例年よりもだいぶ遅かった。

なぜなら、一昨年の2月8日に親友の立松和平君が逝ったが、その夜に詠んだ句が「立松が 逝った夜にも 梅香る」だったからだ。(今年2月に行った3回忌で、参加者全員の意思で来年から2月の第一土曜日の午後に下谷の法昌寺で「遠雷忌」として偲ぶ会を開催することになった。)

それが、桜が咲いたと思ったらいつの間にか散り、今頃は津軽海峡を渡っているはずだ。その後の花ミズキも、もう散り急いでおり、牡丹も、もう散り始めている。すでに新緑の候なのだ。

そこで問題になっているのが夏場の電力不足問題だ。政府は、どこよりも電力不足を指摘されている関西電力の大飯原発を再稼働させたいようだが、近隣自治体を含めた合意形成が出来ないでいる。それもそうだ。福島第一電発の事故によってかろうじて積み上げてきた原発の「安全神話」が脆くも崩れ、原発立地自治体にとどまらず、多くの自治体が放射能によって汚染され、いつになったらふるさとに帰ることができるのか全く見通しが立っていない。原発は事故が起きたら大変なことになるといわれてきたが、勝手に作られた「安全神話」を真に受け、容認してきた。それが、初めて原発事故の恐ろしさを実感させられたから、おいそれと再稼働を認めることができないのは当然だ。

そして今日、5月6日、1970年以来42年ぶりに国内の50基すべての原発が停止した。テレビでは、再稼働賛成、反対の住民の声を流しているが、賛成の住民は自分の生活が成り立たなくなるので動かしてほしいと意見を述べている。言うのは自由だが、一旦、事故が起きた時、その方々はどう責任を取るというのだろうか。いや、責任などとれるはずもない。命で購ってもどうにもならない。

ここは一番熟議の時だ。
福島県浜通り出身の私として、放射能で汚された山や川、そして生活の糧を得てきたあの美しい海を見る度に、二度と再び原発を稼働させてはならないと思っている。今回の福島第一原発の事故についても、いまだ誰も責任を取っていないし、誰にも責任など取れない。そういうことをやっておきながらの再稼働はあまりにも無責任である。

事務所引っ越し報告パーティー

東京は雨。
花冷えの寒さで一度脱いだコートを着て出勤した。

過日開催した事務所引っ越し報告パーティーには多くの方に顔を見せていただき、事務局もてんてこ舞いの忙しさでした。NPOの構成団体の連合、全中、JF全漁連、農業会議所、大地を守る会などの副事務局長や専務理事たちが顔揃えていただきました。うれしい限りですが、責任の重さもひしひしと感じさせられました。また、大分県竹田市の首藤市長、埼玉県の鶴ヶ島市の藤縄市長、行動する首長会議の代表幹事の一人である長野県木島平村芳川村長、各県の東京事務所の方々。さらには嶋津顧問や地域活性化センターの石田理事長、同事務局長も忙しい中、参加いただきました。御礼申し上げます。

祝電も多数いただき、友人の猪瀬東京都副知事からも熱いメッセージが寄せられました。6年前の虎ノ門パストラルから東銀座への引っ越しの時も多くの方に来ていただきましたが、今回はさらに多くの方の出席をいただきました。ありがたいことと感謝しております。

ただ、残念なことが一つありました。友人の皆吉衆議院議員からいただいた「森伊蔵」をあんまりうれしいので提供したのですが、飲もうと思ったときには、もう無くなっていました。これは残念で、心残りでした。



昨日、日曜日でしたが、前からの約束もあり、香川県の相談会を事務所が休みにもかかわらず特別に開きました。そこになんと92組147人もの方が詰めかけ、こちらが確認しているだけでも11組の方を会場関係で断る始末でした。
5月中旬には岡山のセミナーも予定されており、最近の相談者の急増ぶりは大変なものがあり、せっかく事務所を引っ越したにもかかわらず間に合わないような状況です。

確実に、都市から地方への人の移住が始まっているようです。昨年の3・11以降、すべての面で時代が変わり目に来ているのではないでしょうか。戦後67年の暮らしを、しっかりととらえ返してみることが必要なようです。

中上健次の墓参り 

 過日、和歌山県古座川町に出かけた。理由は古座川町にある県の定住センターの業務委託をふるさと回帰支援センターが受けており、新年度の業務内容についての説明と訓示を行うためだ。

すでに山桜は満開だった。その山桜に誘われるように、新宮市まで足を延ばし、懸案だった懐かしき畏友・中上健次氏(戦後生まれの初めての芥川賞作家)の墓を訪ねた。

彼は新宮市の出身で、紀州にこだわりぬいた作家だった。
私が学生の頃にはよく早稲田に来ていた。そこで知り合い、以後よく二人で飲みに行ったりした関係であった。彼は酔うと荒れてよく人を殴ったといわれており、立松和平君は酒席での同席は回避することがよくあった。彼は私の前ではそのようなそぶりは見せず、いい酒であった。

もう亡くなられて18年になる。訪ねた墓はよく管理されているようであった。
人影もなく、ひっそりと18年の歳月を積み上げ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。墓に供えられた黄色い花が春の風に揺れていた。上空は風が強いようで大きな木の梢を鳴らしていた。



あー中上氏はここで休んでいるのかと想い、かつて二人で飲み歩いた夜のことなどを思い出してみた。
すでに私も齢60も半ばに達し、残された時間は少なくなってしまったが、とも生きた時代は永遠に心に生きていると思った。

新宮駅の観光案内で中上氏の墓を訪ねたら親切に教えてくれた。駅の外に出たら潮のにおいがしたような気がした。中上氏はここで育ったのかと思ったらフッと路地から彼が出てくるような気がしてならなかった。そして、何かこみあげてくるものがあった。

逝ってふるさと回帰し、ふるさとの墓地に眠る。
これもまた一つのふるさと回帰であることは間違いない。忘れられない一日となった。

ふるさとブログをスタートします

 4月から東銀座にあった事務所を有楽町駅前の交通会館に引っ越ししました。理由は簡単で最近の相談者の急増に対応するためです。

 理由はいくつかあるのですが、一つは昨年の3・11以降、国民の意識が変化し始めていることにあるようです。消費型の暮らしに対する見直しの機運が高まっていることです。さらに、被災3県からの住民の流出などがあるようです。放射能からの逃避もあるようです。このように、ふるさと回帰運動は設立以来の活性化で、理由はともかく、やっと10年の苦労が日の目を見たという感じになっています。

 また、このほど仙台市に東北本部事務所を開設しました。これは昨年度予算の3次補正にあった震災復興型地域社会雇用創造事業のコンペで事業者の一員として12団体の一つとして選ばれたことによるものです。当面、この間取り組んできた「ふるさと起業塾」の具体化として1年間、被災地に入り、90名の起業家と400名のインターンシップ事業に取り組みます。

 福島県出身としてふるさとの復興のために何か役に立ちたいと思っていた身としては願ったりかなったりの事業です。昨年の震災直後からふるさと再生カンパに取り組み600万円を超えるカンパを集中していただき、被災各県の会員自治体を中心に物資の救援や金銭の支援に取り組んできましたが、もうひとつふるさと回帰新センターらしい震災復興事業ができないものかと考えていたところですので、しっかり取り組もうと決意しているところです。

 HPのリニューアルに伴い、懸案であったブログを今日から開始します。月に何回書けるかわかりませんが頑張りますので期待してください。

 皆さん、もう花見はしましたか?
 いつのころからか、花見をするたびにもうあと何回出来るのかと思うようになりました。人生の盛りが過ぎたということを意識し始めたことによるものでしょうか。最後にふるさと回帰運動で社会貢献できることができて本当に良かったと思っています。

 皆さん!一緒にやりましょう。
 私たちの大好きなこの国の持続可能な発展のために。