夜桜を見に行こう

今年の東京の桜の開花は観測史上2番目の早さであった。理由は冬が寒く、3月に入って急に暖かくなったことによるそうだ。しかし、満開となるや花冷えが続き、なんとか4月に入っても散り急ぐこともなく残っている。

そんなこともあって今日は、学生時代の友人と新宿・花園神社の夜桜に行く予定にしている。かの神社はかつて、1960年代は境内で唐十郎率いる状況劇場が紅テントを張って公演したところで有名だ。親しい友人で大学の先輩でもある現代舞踏の巨匠・麿赤児さんもその重要なメンバーであった。桜も多く、私にとって桜と言えば花園神社というくらいで、かつて細かった木も今や見上げるような大きさとなっている。ここにも歳月の長さを感じさせられる。40年以上にわたって毎夜のごとくゴールデン街に出撃したが、春になれば酔って多くの仲間たちと夜桜を楽しんだもので、今は懐かしい。

 

今日から4月。

実はふるさと回帰支援センターの事務所は今日からレイアウトを大幅に変更した。これによって、より充実した相談体制が可能な形としていくことができる。直接の理由は、6月から山梨県が複数名の職員を配置してふるさと回帰運動に取り組むことによるものである。その他、3、4自治体がブース開設に向けての調整が入っており、センターはさらに賑やかになっていくものと思われる。

そんなこともあって、今日は朝からスタッフ会議を招集した。そして、マンネリを排し、提案型のふるさと回帰運動をめざそうと訓示した。日々新たに、これこそが現在のふるさと回帰運動のめざすべき方向であると考える。今や、この運動は当初の団塊世代の田舎暮らしのフォローのための運動から質的変遷を遂げ、現在に至っている。それは単なるいなか暮らしではなく、持続可能な暮らしをテーマにした文化運動的側面も加味されてきているといってよいようだ。

 

一昨年からの2年頑張ってくれた藤本君に代わり、福井県若狭町から池田和哉君(41歳)が出向で派遣されてきた。新しい戦力として期待も高い。是非、声をかけてください。

何から何まで、おかしなことが多すぎる。

東京の桜が咲きました。観測史上最速に並ぶ早さだということです。

今年の冬はことのほか寒く、耐え難かった日もあった。にもかかわらず、観測史上最速の桜の開花とは驚きであった。今日、所要で市ヶ谷に行ったが、3分咲きというところか。彼岸の入りとなったとはいえ、暦はまだ3月中旬。何かおかしいような気がする。過日は気温が25度まで上がり、夏日とか。翌日は20度以上も下がり、冬に逆戻り。今日も今日とて、外は強風が吹きすさんでいる。

東京有楽町の6階のふるさと回帰支援センターの私の後ろのガラス窓はヒューヒューと風が吹き抜けるたびに虎落笛が啼くような始末だ。

なんだか、気象の変動が激しすぎるようだ。

 

しかし、激しすぎるのは気象の変動だけではない。

ここにきての株価の上昇も半端ではない。かつて、23年前にパンクしたバブルの頃は自治労運動に没頭し、株価や住宅の値上がりにはしょせん縁がないとその動向に目配せをしていなかったが、今回は別だ。こんなことでこんなに株が上がっていいのかと思うほどに上がっている。世の中、こんなものだと言ってしまえばそれだけなのだが、それにしてもこれだけ上がるにはそれなりの根拠がいるはずなのにそれが見当たらない。誰かが「買いだ」といった瞬間から一気に我先に「買い」が「買い」を呼んでいるようだ。また、どこかで暴落し、泣く人が出るのは必定だ。人心も荒廃するだろう。

加えて、TPPも安倍総理は参加を表明した。これまた「みんなで渡れば怖くない式」でいこうとしている。冷静に考えれば、問題は日米間の問題につきる。12か国中6か国とはFTAが成っている。問題は日米間の問題である。過日のワシントンでのトップ会談で合意したなどと自民党は言っているが、オバマ大統領の権限で合意できるような仕組みにはなっていないことは明白だ。ここでもフレームアップが行われている。新聞は事実を書いていない。この間の新聞の主張はあまりにもいい加減だ。この国をどこに連れて行こうとしているのだろうか。TPP参加後の地方の荒廃は目に浮かぶようだ。目先のカネ(円)に、この国の地方やふるさとの山や川、田園風景を託すことはできない。ここは今後の21世紀の日本をどのような国にしていくのかを賭けた論争こそ不可欠であると考えるが、いかがであろうか。

 

調子に乗りすぎている自民党に21世紀の国の姿まで託すことは難しいのではないだろうか。過日、百田尚樹氏の「永遠のゼロ」を読んだ。突っ込みは浅く、驚くようなことは書いていなかったが、特攻隊のなんたるかを真剣に学んだことがなかった人には一読を進めたい。途中で何回も涙が止まらなくなる場面があった。現在に生きる人々は、先の大戦のことや若くして死んでいった先輩諸兄の無念さに思いをはせることがあってしかるべきではないだろうか。

 

このことを前提に置くと、この国は何から何までエッと思うようなことが多すぎる。

でも私はこのふるさと回帰運動に賭けていく決意です。

そして、ふるさとを、故郷の山河を守りたいと心底から思っています。

熱い想いが人を動かすのではないか?

毎年、政府予算が固まる段階にあわせて、各自治体の担当者を対象にした研修セミナーを開催してきました。今回は12月に政権が交代し、政府予算が固まるのも遅かったため、例年よりも若干遅れての開催となりましたが、今年も30道府県57団体69名の参加で開催しました。

 

今年で8回目となるこのセミナーは、都市と農山漁村の交流・移住に取り組む総務省、農水省の担当課長が来て、それぞれの省の政策や予算について説明するなど、他の団体では聞くことのできない中身の濃いものとなりました。

 

また、記念講演は養老孟司先生(脳学者)に「ふるさと回帰に求められる人物像とは」をテーマにお話しいただきました。先生はその中で、人の命はだれのものかという問題提起を行い、子どもの自殺問題に触れながら、人の命はその人のものではなく、まして子ども自らが命を絶つなどということはあってはならないことだと言い、こうした社会状況の問題を指摘されました。

 

2日目は明治大学の小田切先生が「ふるさと再生と外部人材」をテーマに問題提起。

ふるさと再生の戦略とその具体化にふれ、ざわめきを作ることの大切さを上げ、そのためにも交流事業の重要性を指摘されました。そして、誇りの持てなくなった地域は消滅していくと語られました。この問題提起は分かりやすかったと参加者からも好評でありました。

 

先進事例報告は、最近話題の徳島県神山町NPOグリーンバレーの大南理事長が「創造的過疎を目指して」と題して報告。町の将来にとって、必要と思われる「働き手」「起業家」を逆指名するワーク・イン・レジデンスの取り組みや神山町移住交流支援センターでは地域課題の解決に貢献できる人や、起業家・子どものいる若者夫婦を優先して支援するなど、明確なまちづくり方針に基づいて運動していることなどを紹介しました。

 

こうした内容から、今回のセミナーは参加者アンケートの回答は約90%の参加者が「非常に良い」「よい」と答えるなど、成果のあるものとなりました。こうしたことから言えることは、惰性を廃し、日々新たな気持ちで一つ一つのことに熱い想いを込めて取り組むことこそが共感を呼び、人を動かすのではないかということです。

主催者として、できる限り参加者の問題意識に寄り添う形での運営に心掛けたことがあってこそ実現できたことだと改めて感じました。

 

16日の熊本県が主催する移住相談会には現在のところ53組94名の参加申し込みがあるなど、初めての相談会としては参加予定者数も多く、西日本への人気の高さを証明するものとなっています。

今こそ、各地の受け入れ態勢の整備とふるさと回帰運動への参加が求められている時期はなかったのではないでしょうか。また、移住希望者を呼び込むためのブース開設も、余地がありますので是非検討いただきたいと思います。

第1回遠雷忌が行われました

前理事長の立松和平君が逝って4年になります。この8日が命日です。

 

昨年の3回忌の席で、誰が言うともなく、毎年偲ぶ会をやろうということになり、数多ある作品から立松君の出世作である小説「遠雷」にちなんで遠雷忌と命名することに全員一致で決まりました。その時、毎年月命日の2月第1土曜日に、場所は彼のお墓のある下谷の法昌寺(福島泰樹住職)でということになり、先週の土曜日の2日に第一回が行われました。

参加者は約40名。高校、大学時代の仲間を中心に、大学の卒論で立松和平を書いた方や歌舞伎「道元の月」を上演した歌舞伎座の大沼専務、遠く知床からも佐野博さん、番屋の船頭大瀬さんなどゆかりの方々が集まりました。

 

遠雷忌はまず、福島住職の読経で始まり、焼香の後、福島住職が立松君と1971年に初めて出会った頃のなれ初めから始まる法話。次いで筑波大名誉教授で立松研究の第一人者と言われる黒古一夫氏の「立松文学の今日的意義について」の記念講演が行われました。この中で黒古教授は、立松文学は少しも色あせておらず、もっともっと読まれていい文学であることを強調していました。

その後、直会の席では、歳月の流れは早いというがもう4年になるのかと立松君を偲び、往時を語り合いました。参加者からは先の3・11の東日本大震災や福島第一原発の事故など、立松君が生きていたらどのようなコメントを述べたのだろうか、等というコメントもありました。

 

友人たちのカンパで建てられた立松君の慰霊碑は知床(斜里町日の出)にあり、毎年6月の第1日曜日に彼が建立した知床・毘沙門堂の前で毘沙門祭(総代・高橋伴明監督)が執り行われており、今年も6月9~10日に開催されます。その頃は原生花園のハマナスも満開で、知床は1年で一番いい時で、毎年行くのを楽しみにしているところです。

岡山の相談会に155人が参加した

昨日は大寒とか、暦の上でも一年で一番寒い時期だ。14日の成人の日は朝から雪、夏のカキ氷のようにどんどん積もった。数年ぶりの大雪とかで転んで怪我した人が1000名を超えたとテレビで報道していた。日曜ごとに観ている朝8時からのサンデーモーニングの女性キャスターも腕を肩から吊るして登場していた。あれから一週間になるが日陰ではまだ雪が残っている。寒さはこれからが本番、ご自愛ください。

 

さて、一昨日書店で手にした浜田宏一イェール大教授の「アメリカは日本経済の復活を知っている」は興味深い本であった。円高、デフレは日銀の金融政策の失敗によるものと断定している。ほぼ、すべての先進国が金融緩和を行う中で、唯一、わが国のみが逆の政策を行っている事実を明らかにしている。日本の金融関係者の多くは、デフレは一概に悪いものではないと考えていると指摘している。

また、民主党政権の財務大臣など金融関係大臣の人選についても批判している。全くの素人を配置し、その結果、財務省、日銀の跋扈を許したとしている。財務大臣に至っては、この金融危機の中、最近読んだ本は「鬼平犯科帳」と回答している事実を上げ、これでは問題があるとしている。

円高、デフレの現実は、国内産業の空洞化を招き、地方は企業に撤退などで大きなダメージを受けている、内容は多岐に渡り、一般的な読み物としても十分に楽しめる一冊である。

この円高、デフレについて私は、政府が有効な手を打っていないことから、その理由をアメリカが日本に対し影響力を行使し、行わせているものと考えていた。しかし、事実は違っていたことになる。反省しなければならない。

 

年明けのふるさと回帰支援センターは引き続き、活況を呈している。19日のセンターの来訪者数は記録を更新した。この日は土曜日とあって2回のセミナーが行われた。前段はこの間人気が急上昇している岡山県の相談会とあって11自治体が16のブースを開設し、そこには何と155名の参加者が集まり、セミナーコーナーは人で溢れかえった。

後段も人気の長野県のセミナーで5自治体が参加し、46名が相談に訪れた。前日18日の山形県川西町のセミナーは原田町長自らが参加。これまた10名の来場者があり、盛り上がったセミナーとなっていた。今後も毎週セミナーが予定されている。是非、HPをチェックし、今や国民的な運動になりつつあるふるさと回帰運動に注目していただきたい。

天孫降臨の町を訪ねて

新年あけましておめでとうございます。

ふるさと回帰支援センターは、新年は7日からのスタートでした。正月は久しぶりにゆっくりし、昨年話題になった「海賊と呼ばれた男(上・下巻)」を読みました。出光興産の出光佐三氏の自伝ともいえるような本で、明治人の気骨溢れる奮闘記、経営理念も学ぶべきところもあり、面白く読ませていただきました。

年末には、宮崎県高原(たかはる)町に呼ばれ、ふるさと回帰運動の現状、これから取り組むための必要なこと、いまなぜふるさと回帰なのかなどについて話をさせていただきました。全国的には遅きに失した感はありますが、3・11以降のふるさと回帰運動の設立以降のかつてない盛り上がり、とりわけ瀬戸内・九州が人気という背景もあり、成果が期待できそうです。町は、人口減に歯止めをという町長の固い決意のもと、町を上げて取り組む決意をし、すでに役場を横断したプロジェクトも立ち上がっています。高原町は霧島連山のふもとに位置する風光明媚な町で、天孫降臨の神話のふるさとで知られています。移住者アンケートの立地条件の第一には「自然環境のいいこと」が挙げられており、その条件にぴったりというところです。

 

政権交代した安倍自民党は、喜びを隠しきれないような雰囲気を漂わせながらスタートしています。7日の連合の賀詞交換会では、かつての60年安保闘争で退陣した岸内閣を引き継いだ池田内閣を彷彿させるような経済政策、とりわけ給与所得の引き上げを語っていました。一方、民主党はあいさつの場すら無いような有様で、悲哀を囲うような状況でありました。安倍総理は、20年にも及ぶこの国を覆う閉塞感を一掃しようとの想いなのでしょうが、危うさが否めません。ただ市場の反応は早く、株は急速な勢いで上がっています。今夏の参議院選挙まで、政治も株価も目が離せないようです。

 

ふるさと回帰運動は、引き続き丁寧な対応でこの盛り上がりを引き継いでいく決意です。

本年もよろしくお願いいたします。

何だか嫌なムードになってきたようですね

総選挙は自民・公明の圧勝となりました。3年前は民主党の圧勝、さらにその前は自民党の圧勝。やはり選挙制度に問題があるのではないでしょうか。

それにしても3・11の影響による福島原発事故という歴史的な事故後の総選挙にもかかわらず、原発推進の党が政権の座に就くとは一体どうしたことでしょうか。すでに、原発事故は風化してしまったのでしょうか。あるいは毎週金曜日に官邸前に集まって脱原発の声を上げている人々の動きが敬遠され始めているのでしょうか。脱原発もパフォーマンスの域を出ず、誰も真剣に脱原発など思ってはいないのでしょうか。

これによって消費税の増税も計画通り進められるでしょうし、自主憲法も前回の安倍内閣時に教育基本法が強行されたように、一気に強行されるのではないでしょうか。

 

誰かが言っていたが、今回の総選挙が将来あの時の総選挙が分岐点だったといわれかねない選挙になる可能性が否定できない結果となってしまった。

国の帰すうを決定しかねない重要な政策課題が山積みの中での総選挙にもかかわらず、政策論争は全くなく、できもしない美辞麗句の羅列で議員が選ばれていくこの現実を、何とむなしいことか、とため息が出てくる。

国政に比べ、東京都知事選は友人の猪瀬候補が石原前知事に勝るとも劣らない得票で当選した。国会議員の当選者の訳のわからないコメントに比べ、彼のコメントは具体的でわかりやすい。5年にわたる副知事の経験が十分に生かされているものだった。政治は「口より実行」を絵に描いたよう人物で、今後に期待できる。同じ団塊世代でも、この国家の過渡期に引退する人があると思えば、新たにデビューする人もいる。

この選挙結果は、何かを団塊世代に問うているような気がしてならない。老いてはいられないぞと思った次第である。

「いのちの党」船出シンポに出席しました

ふるさと回帰支援センター発足以来、顧問に就任していただいている菅原文太さん(俳優)が呼び掛けた標記「いのちの党」のシンポジュムが12月5日、目白のフォーシーズンズ・ホテルで開催された。

 

このシンポには菅原さんの多彩な交友関係から約100名の多彩な方々が参加、「現在と未来の選挙民と立法府、行政府に提言するための、志を持つ個人の穏やかな集まり」と位置付けられた党(集まり)。現在、山梨県北杜市で農業法人を立ち上げ、農業に取り組んでいる菅原さんらしく、この党の志には「消費を楽しむ三次産業の社会から、生産を楽しむ一次、二次産業の社会への転換をめざし、そのために生産基盤となる地方に眼差しを注ぎ、かけがえのない価値を持つ農山村を再生し、活力をつける政策を提言する」と謳っている。

 

開会あいさつは福島県双葉町の井戸川克隆町長、脳学者の茂木健一郎、京都大の田中克名誉教授が行い、基調講演は「いのちの森の防潮堤」構想を提案し、今回の東日本大震災をうけて、青森から福島までの海岸線に南北300キロの「森の長城」建設を呼び掛けている横浜国大の宮脇昭名誉教授が行った。

 

この中では、それぞれユニークな発言が続き、大いに盛り上がったが、私には井戸川町長のあいさつが胸を打った。町長は、7000人双葉町民を代表し、帰るに帰れない双葉町の現状を訴えた。すでに、昨年の3・11から1年9か月、全国各地に散らばってしまった町民に思いをはせ、埼玉県加須市に仮の役場を置き、自らもそこに暮らしながら頑張ってきている。こうした現状において、国になり、県は全く今後の展望も明らかにせず、国策として造られた原発の事故についても謝罪もなく、某大臣は来て、支援しますというが、そもそも絶対安全と言って建設したものが事故を起こした以上、責任を持って、原状回復すべきものなのに現在まで放置している。町民がまとまって暮らす場所の確保を要請しても、県は一切回答せず、黙りこくるばかりと訴えた。立場を置き換え考えてみればわかるが、町長の立場としてやりきれない想いを抱えたままの1年9か月。この国の無責任さには語る言葉もない。巷では、相変わらず出来もしない、いいことばかりをちりばめた言葉による選挙運動が行われているが、どこにも被災者を想いやる言葉はない。この現実を放置した脱原発はない。いつからこの国はこんなにもいい加減な国になっていったのかと嘆かわしく思う。

 

残念な鳩山元総理の引退

鳩山元総理とは同じ世代である。そんなこともあって、これまで一貫して注目してきた。しかし、いつまでたっても硬さが残る政治家であった。もう少し柔軟であってもよかったかも知れない。かつて、高知に選挙で入っていた時に民主党代表として応援に来たことがあった。帯屋町の中央公園で演説会があった。鳩山代表は、いきなり西郷南洲遺訓の一説を語り始めた。有名な「地位もいらない、名誉もいらない」というくだりだ。南国の日差しの中に立つ彼がまぶしく見えた。あれはいつのことか。

 

その後、政権交代があり、彼は総理になった。その頃から彼が遠くなった。気負いもあったのかもしれないが、言っていることが解かりにくくなった。結局、沖縄問題でやめざるを得なくなったのだが、言っていることは正論であった。ただ外交問題がらみの安全保障問題は相手のある話しであり、総理が言っても、成るものと成らないものがある。それは経緯があり、相手国の世界戦略もある。段階を踏んでしか、成らないことも明らかだ。本質的には国の存亡に関わる以上、簡単には行かない。これからの国のめざすべき方向をしっかりと提示し、国民的議論を背景に解決しなければならない。それを急ぎすぎた。

 

今回の引退は、彼らしいといえばそれまでであるが、国民には分かりにくい。庇を貸して母屋を取られたようなものだ。消費増税提案以降の民主党は、鳩山民主党とは明確に異なる。言っていることが言い訳がましく理解しにくい。今回の引退も、もう少し議論があってもよかったと考える。本人は引退すればいいが、彼を含んだ民主党を支持してきた支持者はどうなるのか。彼なり、菅氏なり、小沢氏なりがいての民主党だったはずなのだが、そういった人たちの影が薄く、すでに出た人もいる。時代の転換点なのだから、もっと丁寧な議論こそが求められたはずだ。このままでは政治家としても、総理経験者としても失格と言わざるを得ない。

 

総選挙も目の前だが、3・11という歴史に残る震災の後、しかも福島原発という、従来からの価値観が足元からひっくりかえるような大問題が発生し、復興への道筋も見えない中で、10を超える政党が乱立し、結局争点がぼやけている。鳩山氏の引退は氷山の一角かも知れないが、はたして底には何が隠れているのか。目を凝らして、注視が必要と考える。そして、なによりも投票は行かなければならない。

ふるさと回帰支援センターが設立10周年に

11月13日、東京交通会館でふるさと回帰支援センターの設立10年のお祝い会を開催した。一口に10周年と言っても山あり、谷ありで大変であった。しかし、過ぎてしまえばそれらもみんな懐かしいことのような気がする。当日はJA全中の萬歳会長をはじめ、構成団体からの理事各位や会員自治体関係者など150名の方々が出席され、大いに盛り上がった。萬歳会長は「JA全中としても、この運動を引き続き、しっかり支えていきたい」と決意を語った。

 

このお祝い会は2部構成で、1部は顧問の菅原文太氏の記念講演。この中で菅原さんは率直に「10年になるか、よく頑張った」と感想を話され、また最近マスコミを賑わせている「いのちの党」にも触れ、人が粗末に扱われているいまの社会を抜本的に壊さなければならない、と語った。

 

その後、遠野山里ネットからの差し入れ、遠野産のホップで作られているビールで乾杯、10年間の歴史を振り返った。ここ数年のふるさと回帰運動の盛り上がりもあって、会場では、様々なグループが思い思いの感想を述べ合い、用意したビールはすべて売り切れた。また、参加者には記念のマグカップと10年史が配られた。

 

この間、取り組んできた内閣府の復興支援型地域社会創造事業のインキュベーション事業が、10日の福島市で開催した18回目のビジネスコンペでの9名の認定者で予定された90名の起業家の認定を終了した。応募者総数は231名、合格率39%であった。後半の応募者は被災3県を中心に各地で開催されたインターンシップ事業の180時間の研修を終えた方々が応募されたこともあって、合格率が高かった。1000年に一度とも言われた東日本大震災からの復興は、日が暮れて途遠しの感もあるが、起業家の事業が成功するよう引き続きしっかりとしたフォロー体制を組み、応援する決意である。