2012年11月

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ふるさと回帰支援センターが設立10周年に | ふるさと回帰支援センター VIEW MORE

ふるさと回帰支援センターが設立10周年に

11月13日、東京交通会館でふるさと回帰支援センターの設立10年のお祝い会を開催した。一口に10周年と言っても山あり、谷ありで大変であった。しかし、過ぎてしまえばそれらもみんな懐かしいことのような気がする。当日はJA全中の萬歳会長をはじめ、構成団体からの理事各位や会員自治体関係者など150名の方々が出席され、大いに盛り上がった。萬歳会長は「JA全中としても、この運動を引き続き、しっかり支えていきたい」と決意を語った。   このお祝い会は2部構成で、1部は顧問の菅原文太氏の記念講演。この中で菅原さんは率直に「10年になるか、よく頑張った」と感想を話され、また最近マスコミを賑わせている「いのちの党」にも触れ、人が粗末に扱われているいまの社会を抜本的に壊さなければならない、と語った。   その後、遠野山里ネットからの差し入れ、遠野産のホップで作られているビールで乾杯、10年間の歴史を振り返った。ここ数年のふるさと回帰運動の盛り上がりもあって、会場では、様々なグループが思い思いの感想を述べ合い、用意したビールはすべて売り切れた。また、参加者には記念のマグカップと10年史が配られた。   この間、取り組んできた内閣府の復興支援型地域社会創造事業のインキュベーション事業が、10日の福島市で開催した18回目のビジネスコンペでの9名の認定者で予定された90名の起業家の認定を終了した。応募者総数は231名、合格率39%であった。後半の応募者は被災3県を中心に各地で開催されたインターンシップ事業の180時間の研修を終えた方々が応募されたこともあって、合格率が高かった。1000年に一度とも言われた東日本大震災からの復興は、日が暮れて途遠しの感もあるが、起業家の事業が成功するよう引き続きしっかりとしたフォロー体制を組み、応援する決意である。    

南三陸町で考えたこと

東日本大震災から1年7カ月、初めて宮城県南三陸町を訪ねた。内閣府の復興支援型地域社会雇用創造事業の12回目のビジネスコンペを、南三陸町まちづくり推進機構の事務所で開催したことによるものだ。この事務所は、徳島産の杉材をふんだんに使用して建てられた。すべてが無垢材で作られたもので、近づいただけで杉の匂いに包まれるような感覚だった。   ビジネスコンペでは、書類審査を通過した6名のプレゼンテーションが行われ、早稲田大学の堀口健治教授を審査委員長に5名の審査委員による厳正な審査により、復興に熱い想いを懸けたふるさと起業家が5名誕生した。今回は、事前に180時間に及ぶインターンシップを実施し、その延長線上にビジネスコンペが位置付けられたことにより、認定者が多かった。これまでの平均認定率が26%に留まっていたことから考えると驚くような結果だった。   その南三陸町だが、津波の被害は目を覆うものがあった。高さ5メートルを超えるような堤防は、津波によって簡単に突破されたようであった。その結果、町全体が津波にのまれた形になった。町の防災センターに最後まで残り、町民に対し必死に避難を呼び掛けた女子職員がいたことで有名になった建物は、鉄骨だけが残り、いまでもぽつんと立っていた。その姿は彼女の姿に連なり、涙を誘った。そして、彼女の冥福を祈らずにはいられなかった。   南三陸町の現在は、瓦礫こそ片づけられているが復興にはまだまだ遠く、どこから手をつけたらいいのかもわからない状況であった。こうした中で、復興の一助になればと、今回のビジネスコンペにエントリーし、起業を目指す方々の健闘にはただただ頭が下がるばかりだ。なんとか成功してほしいと願うばかりである。

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