2012年5月

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チャリテイー・オペラコンサートを開催しました | 日常 VIEW MORE

チャリテイー・オペラコンサートを開催しました

5月14日、千鳥ヶ淵のイタリア文化会館でチャリテイー・オペラコンサートを開催した。イタリア文化会館は初めてだったが、一歩中に入ればそこはヨーロッパという感じの建物で、音響効果のしっかり計算された立派な会館であった。 このコンサートはイタリアのオペラ歌手2名が、東日本大震災からの復興に取り組んでいる被災者の方々を応援したいが何か役に立てることがあるのかと考えた末に、歌で元気づけたいとコンサートを開催することになった。この動きを聞いたわが国のオペラ界を代表する歌手男女12名、伴奏3名の方々も参加を希望し、かつてない大掛かりなものになった。 コンサートでは歌劇「セヴィリアの理髪師」、「フェガロの結婚」、「椿姫」などよく知られた13の歌劇から、それぞれ1曲が選ばれて披露された。特に8名のソプラノ歌手の澄んだ歌声は聴衆を魅了した。 このコンサートは、14日以外にも、13日には宮城県石巻市、15日は福島市、16日はいわき市の久ノ浜小学校、同小名浜第2中学校で開催される。小名浜第2中学校は、私の母校であり、卒業以来約50年ぶりに訪れることになった。いい意味で、生徒諸君にカルチャーショックを与え、彼らの人生に何らかの希望を与えることになればと思っている。 このコンサートを主催し、世界のいろいろな分野の方々が日本のことを気にかけ、頑張ってほしいと思っていることを改めて実感させられた。公演の最後に、出演者全員で文部省唱歌「ふるさと」を合唱していただいた。その澄んだ歌声を聴きながら、今回の大震災で起きた福島原発事故によって放射能で汚染されたふるさとの山や海を思い起こし、涙が流れて仕方がなかった。政府は、東京電力は、とんでもないことをやってしまったのだと怒りが込み上げてきた。

42年振りの原発の全停止

季節の移ろいは、動き始めると早い。 今年の冬はことのほか寒く、長かった。 4月になっても初めの頃はコートが手放せなかった。 梅も咲くのが例年よりもだいぶ遅かった。 なぜなら、一昨年の2月8日に親友の立松和平君が逝ったが、その夜に詠んだ句が「立松が 逝った夜にも 梅香る」だったからだ。(今年2月に行った3回忌で、参加者全員の意思で来年から2月の第一土曜日の午後に下谷の法昌寺で「遠雷忌」として偲ぶ会を開催することになった。) それが、桜が咲いたと思ったらいつの間にか散り、今頃は津軽海峡を渡っているはずだ。その後の花ミズキも、もう散り急いでおり、牡丹も、もう散り始めている。すでに新緑の候なのだ。 そこで問題になっているのが夏場の電力不足問題だ。政府は、どこよりも電力不足を指摘されている関西電力の大飯原発を再稼働させたいようだが、近隣自治体を含めた合意形成が出来ないでいる。それもそうだ。福島第一電発の事故によってかろうじて積み上げてきた原発の「安全神話」が脆くも崩れ、原発立地自治体にとどまらず、多くの自治体が放射能によって汚染され、いつになったらふるさとに帰ることができるのか全く見通しが立っていない。原発は事故が起きたら大変なことになるといわれてきたが、勝手に作られた「安全神話」を真に受け、容認してきた。それが、初めて原発事故の恐ろしさを実感させられたから、おいそれと再稼働を認めることができないのは当然だ。 そして今日、5月6日、1970年以来42年ぶりに国内の50基すべての原発が停止した。テレビでは、再稼働賛成、反対の住民の声を流しているが、賛成の住民は自分の生活が成り立たなくなるので動かしてほしいと意見を述べている。言うのは自由だが、一旦、事故が起きた時、その方々はどう責任を取るというのだろうか。いや、責任などとれるはずもない。命で購ってもどうにもならない。 ここは一番熟議の時だ。 福島県浜通り出身の私として、放射能で汚された山や川、そして生活の糧を得てきたあの美しい海を見る度に、二度と再び原発を稼働させてはならないと思っている。今回の福島第一原発の事故についても、いまだ誰も責任を取っていないし、誰にも責任など取れない。そういうことをやっておきながらの再稼働はあまりにも無責任である。

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