2014年3月

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桜はまだか | セミナー VIEW MORE

桜はまだか

ここ2~3日、朝夕はまだ寒いが日中はすっかり春めいてきた。コートを脱ぐのもあとわずかでないだろうか。桜も昨日、開花宣言が発せられた。春は冬の厳しい寒さがあるからまた一段と季節の移ろいに対する喜びが深いのかもしれない。 春を想うとまず目に浮かぶのは菜の花畑、あの菜の花の匂いはふるさとを思い起こさせる。そして、小川のせせらぎ。透き通るようなきれいな水の中を泳ぐ小鮒のスリムな姿は私を夢中にしたものだ。まさに、小鮒釣りしかの川がふるさとにはあったのだ。しかし、その川も小鮒もすっかり見ることはなくなった。淋しい限りだ。私たちの心を励まし、慰める自然の崩壊は激しい勢いで進んでいるようだ。その結果、人心の荒廃は進んでいるようだ。失ったものは帰らない。大切にしなければと思う今日この頃だ。 18日には久しぶりに山梨県に呼ばれて講演にいった。昨年6月のブース開設以降、人気沸騰という感じの山梨県であるが、さらに地域の受け皿を強化しようと従来からあった富士の国やまなし農村休暇邑協会とやまなし二地域居住推進協議会が合体し、あらたに「富士の国やまなし移住・交流推進協議会」を設立することになり、その総会で講演したのだ。この協議会には県下7市町村をはじめ、農林業団体、商工業団体、観光業団体、不動産業団体などが参加している。山梨県は人気は高いが地域の受け皿がもう一つと言われてきたが、その課題の克服に向けて体制が確立されたようだ。 先週の連休の谷間の土曜日に長野県のセミナーが開かれた。大町市や長野市、木島平村、原村、辰野町などが一堂に会した。さすが人気の長野県、そこに64名の移住希望者が集まった。会場は人気むんむん。子連れのお母さんと若者の姿が目立った。最近、ジワリと若者のUターンが増えていると聞くが、なるほどと思わせるものがあった。また、今週の日曜日はこれまた人気の飯山市。すでに25名の申し込みが寄せられている。年度末ということもあるのだろうが若者の姿が目立つようだ。 3月は別れの季節といわれるが、ふるさと回帰支援センターでも3名の方が巣立っていった。とくに星君は5年頑張っていただいた。当初から5年を目途にということだったので、満期終了ということになる。少ない人数の中で頑張ってもらった。心から感謝したい。そして、幸多い人生を祈りたい。  

今年、ふるさと回帰運動が爆発するか?

もう、今日は彼岸の入りとか、やっと待ちに待った春がそこまで来ているようだ。昨日の日曜日は日差しが強く、春本番のような陽気でした。散歩したのですがいたるところの梅が満開でした。桜もいいが、梅はまた格別の趣きがあるように思います。 そうしたなかで30年近い付き合いの山口県知事であった山本繁太郎氏の訃報が届いた。体調を崩し、退職したばかり。マスコミ報道によれば胃がんだったとのこと。志半ばでの退職はさぞ無念であったのではないだろうか。人一倍責任感の強い男だっただけに。何年か前に、福田内閣の目玉の政策であった地域再生統合本部事務局長に就任した時、これで「ハムさんとふるさと回帰運動を一緒にできるね」と言ってくれた。その後、数カ月で衆議院選挙に立候補した。彼は官僚として、この仕事を全うしたいと言っていた。だが、官僚は政治家から声がかかったら断れない運命なんだと言っていた。断ったらその時は官僚をやめることが前提であると言っていた。昨年3月、早稲田の先輩の彦由さんの17回忌で周防大島に行ったとき、わざわざ駆けつけてくれた。そして、義兄弟の錦帯橋の棟梁・海老崎さんが持ってきた獺祭の大吟醸で乾杯し、再会を約束した。心から冥福を祈りたい。 13日から14日にかけて徳島県三好市に行ってきた。池田町など数自治体が合併してできた市で、自治労の仲間の黒川さんが市長を務めている。シニア世代のU・Iターンを受け入れて地域再生をめざしたいと意気込んでいた。徳島県が全く動かない中でよくぞ決意していただいたと心強かった。さっそく会員になり、頑張りたいと言っていた。今年は地元の池田高校も久しぶりに選抜に出場する。活躍を期待したい。この地では7年前からNPO「ふるさと力」がクラインガルテン事業を県産材を活用した積み木ハウスで手がけ、成功している。大いに期待できそうだ。東京へ帰ってきたら徳島県の美波町が初めてセミナーを開催していた。そこになんと40名の移住希望者が集まった。三好市と言い、美波町と言い、やっと徳島県の自治体が動き出した。四国の人気は高知と言われ、それなりに結果を出しているが、気候、人柄、食べ物など徳島は高知にそん色がない。コラボを強め、協力して売り出したら大いに人気が出ること間違いなしと思うがいかがであろうか。 何と、最近わかったが1月、2月と相談件数が1000件を上回った。昨年7月以来の大台だ。どうも今年はふるさと回帰運動が爆発しそうな予感がする。自治体の皆さん、仕掛けるなら今ですよ。

東北はいったいどうなってしまうのか

今日3月11日は東日本大震災から3年になる。早いものである。しかし、現地はどうなのだろうか。人口の流失に歯止めがかからないという話を聞くと胸が押しつぶされそうな息苦しさを禁じ得ない。復興が遅々として進んでいないのである。政治が機能していないのではないかと思われる。復興庁はなにをしているのかと思う。一昨日、テレビを見ていたら宮城県知事が復興計画について委員会の決定を待って決めたいと言っていた。すでに災害から3年もたっているというのに何を言っているのかと思った。そんな悠長なことを言っている場合かと思った。委員会では、それぞれ勝手なことを言うにきまっている。3年たっても議論しているようじゃ10年たってもまだ議論することになるのに決まっている。被災者の気持ちがわからないのだ。この現状は、政治が機能していないといっていい。政治家として最低の素養である責任を取るという視点がないのだ。 私が生まれ、育った福島の浜通りは、被災3県の内でもさらに人口の流失が激しいようだ。とくに福島第一原発からの放射能に汚染された水の流出はどうにもならない。一日400トンもの汚染水が出され、抜本的な対策ができない状態だ。にもかかわらず、政府は原発の再稼働の政策を進めようとしている。先の大戦についても誰も責任を取らなかったが、今回の原発事故も誰も責任を取らず、なし崩し的に原発の再稼働を行おうとしている。この国は、こうした大きな過ちについてはすべてほっかぶりを決め込み、曖昧にして同じ過ちを繰り返してきた。懲りない国民性ともいうべきものがあるようだ。しかし、希望はある。一昨日の脱原発集会には3万2000人が集まったという。この時代、これが希望でなくてなんだというのか。しかし脱原発集会が希望とは、戦後こんなに悲しい時代はあったのだろうか・・・。 昨日発売の月刊文芸春秋の特集は「第二の敗戦 団塊こそが戦犯だ」。売るために編集者もいろいろ考えるのだろうが、それにしても酷過ぎる。この国は欧米に比べても徹底して学生運動をした団塊世代の活動家を社会から排除してきた。そのつけが、いままわってきていると言ってもいいだろう。あの時代、優秀だった奴は学生運動をやっていた。学生運動をやらないような奴は信用されなかった。ベトナム戦争が闘われ、爆撃機は沖縄からベトナムへ出撃していた。こうしたやむに已まれぬ社会に対する想いが学生運動に走らせた。先の大戦においても特攻を志願した兵は何としても祖国を守らなければという想いから特攻を志願したのだった。基本のところは同じで、分かる気がする。 東日本大震災からすでに3年。わが東北はこれからどうなっていくのだろうか。そして、齢66歳の私にできることはあるのだろうか。 大震災 ふるさと想い 涙する

春はまだか

 2月は過ぎるのが早かったような気がする。寒い日も多かった。大雪だって2回も降った。2回目は珍しく10日以上いつまでもという感じで残った。しかし、3月に入って梅は満開で、日当たりの良いところは菜の花だってさき始めている。高校はもう休みに入っているようで朝の通勤電車は大分すいていて座れ、楽である。季節の変わり目、学生たちの旅立ちの季節なのだ。大学・社会それぞれの道はあるのだろうが、是非希望を失いことなく、全力投球で頑張ってほしい。いまの日本は若者にとって希望の持ちにくい世の中となっているが、しかし希望を失うことなく挑戦し続ければ、自ずと道はまだ開くことはできると思う。もし、そうでなかったらこの国は一挙にしぼんでしまうことになりかねない。  過日、宮崎県の西都市がセミナーを開催した。県央に位置し、日本一と言われる宮崎牛とピーマンなどの施設園芸が盛んな地域で、おいしいが高いことで一躍有名になった完熟マンゴーの産地でもある。東日本ではそれほど知られる地域ではないが豊かで温暖な地域である。このセミナーにも11名の相談者が訪れ、熱心な応答が行われた。これにも私は移住先としての九州の人気ぶりを見た思いがする。  また、新年度からのブース開設が明らかになってきた。現段階では、県議会の承認の関係で明らかにできないがいくつかの県が開設で予算を計上している。東北のある県は専従相談員を配置して取り組むことにしている。これは最近、粘り強い取り組みで目に見える形で成果を上げてきている秋田県に続けとばかりの姿勢だ。また、大阪にもあらたに中国地方のある県と一時お休みしていたハウスメーカーが復活する。そのほかにもいくつかの県がブース開設に向けて検討を続けている。ふるさと回帰運動は次年度、さらに大きく羽ばたく勢いである。  個人的なことだが、昨日は1960年の安保闘争を指導した全学連委員長の唐牛健太郎さんの30回忌であった。すでに70歳代も半ばとなったかつての勇者たち約200名が国会前の憲政記念館に集まり往時をしのんだ。10年遅れの70年安保闘争を全共闘の一人として戦った小生も出席、事務方を担った。また7月5日(土)午後3時にはお墓のある函館市民墓地集合で墓参会も計画されている。

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