2014年7月

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いい男の話しをふたつ

昨日は、夕刻から憲政記念館で開かれた福島原発行動隊の隊長であった山田恭暉さんの偲ぶ会に参加した。山田さんとは3年ほど前に60年安保ブンド書記長の島成郎さんの奥様に紹介していただいた。福島原発行動隊は意表をつく提案であった。若者を廃炉現場に送るのは問題である。60過ぎのシニアが被爆しても発病する前に死んでしまうので、そうした人を送るべきだと主張していた。通信を読んで驚いたのは、原発行政を推進するのであれば、事故が起きたときに出動する決死隊をしっかり組織しての後のことにすべきだと主張しておられた。このような過酷な主張は軟弱な戦後民主主義のぬるま湯で育てられた世代からは出てこない。原発行政の本質を問う問題提起だと思った。原発行政には100%の安全神話などないことをも指摘していると思った。この覚悟なく、原発行政を進めることは無責任であるといっているのだ。事実、事故後の福島原発の現状は山田さんが指摘したとおりである。さらに東電は事故後4年目にはいったいまでも、福島原発行動隊の要求を受け入れようとはしていない。志半ばで山田さんは逝ったが、最後はすべての延命措置を拒否し、逝ったという。覚悟の死であったようだ。こんな時代でも、あのような人はいるのだと思った。 「繚乱の春 はるかなりとも」という本が出版された。小生も駄文を弄している。かつて1970年前後に名古屋旭ヶ丘高校から早稲田に進学し、多感な青年の多くが罹患した学生運動にかかり、数年前に不幸な事故で亡くなった男の追想集である。もちろん本人は追想集について知る由もないことであるが、高校時代にサッカー部でともに汗を流した一人の友人が奔走して、出版にこぎつけた。どうせ持つならこのような男を友人に持ちたいと思わせる、こんな時代の稀有な男の奮戦記でもある。 明日で7月も終わり。往く夏が惜しまれる今日この頃である。

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回帰フェアのポスターが出来ました

  暑中お見舞い申し上げます。 夏は佳境に入っている感じで暑い日が続いている。ここ一週間でセミの鳴き声も聞かれるようになった。これで甲子園が始まれば日本の夏も本番である。先週、達増岩手県知事にお会いしに日帰りで盛岡に行ってきた。帰りに東京駅に降り立ったらムッとする暑さで気分が悪くなった。盛岡は、ふるさと回帰運動への参加の要請と復興への取り組みが被災3県で遅れがちの中、その再生をどうするかの意見交換のために行ってきた。何か東北の歴史に立脚した社会運動の様なことでもできないか、語り合った。1時間に及んだ懇談は実り多いもので、来年春に予定している北東北3県の合同ふるさと回帰セミナーにも前向きな回答をいただいた。盛岡には大宮から乗車したが、なんと2時間弱で着いた。新幹線を使うと本当に東北は近くなったとつくづく思った。 東北の歴史は、常に時の朝廷に虐げられ、攻め滅ばされるという歴史をたどってきた。古くは坂上田村麻呂によるアテルイなど蝦夷の討伐や前9年、後3年の役による源頼義・義家親子による安倍一族の滅亡、さらには源頼朝による奥州平泉の藤原家の討伐など、近くは幕末の奥羽越列藩同盟の敗北などだ。この歴史に学びながら、東日本大震災からの東北の復興を図ることが求められていると考える。そのひとつの糧がふるさと回帰運動による都市と東北の人の交流・移住ではないかと考える次第だ。最近のふるさと回帰運動は放射能の関係もあり、子育て世代を中心に西日本が人気という面があるが、潜在的には東北も根強い人気がある。課題は受け皿をしっかり整備し、首都圏での情報の発信を行うことだ。 先々週の土曜日は最近動きを活発かしている広島がセミナーを開催されましたが、61組84名の方が参加された。この数を見て関係者たちはひとまずほっとしていたようだ。先週の土曜日は前段が群馬県。後段が鹿児島県。こちらも満員の相談者で、確実に移住希望者が全体として増えていることを実感させられた。 9月20日、21日の両日開催されるふるさと回帰フェアのポスターが出来上がった。昨年に続き、漫画の原画を使用しており、今年は漫画「銀の匙」の荒川弘さんの協力で作成。よい仕上がりと自負しています。夏の暑さもこれからが本番。ご自愛ください。

やっと梅雨が明けた

やっと政府は重い腰を上げた。政府に「まち・ひと・しごと創生本部」を設置するとか。期待している。増田元岩手県知事が代表を務める日本創生会議が先ごろシュミレーションした2040年に消滅可能性都市は896団体になる試算を明らかにした。2040年といえばだいぶ先のような気がするが26年先のことで、平成になって26年ということを考えれば、すぐ先のことである。抜本的な対策なしにはこの消滅可能性都市を守ることは難しいのではないだろうか。このデータ、とりわけ新しいデータではない。女性の出産可能年齢(20歳から39歳)を軸に厚労省の人口問題研究所が5年に1回行っているデータを解析したに過ぎない。女性の生涯で産む子どもの数を合計特殊出生率という。これが2・1人を下回ると人口減になるといわれてきた。すでに早い段階からこの問題は指摘されてきたが有効な対策が行われてこなかった。こうした傾向は先進国共通の問題で、こうした傾向を打破できたのは北欧を別にすればフランスくらいである。フランスは婚外子が多く、移民の子だくさんなどが理由に挙げられているのは御承知の通りだ。理由はいくつかあるが、子育て環境が大都市ほど悪い。待機児童の数や学童保育の足りなさなどが時々マスコミを賑わせている。女性の社会進出の拡大がアベノミクスの第3の矢のメニューに挙げられているが、現状は掛け声倒れになっている。 子育て環境について見てみると、大都市より地方の方が圧倒的に良い。最近のふるさと回帰運動を見てみると「安全・安心」をキーワードに西日本が人気となっている。自然環境の良いふるさと(地方)で子育てをしたいという世代が急増しているのだ。ここに消滅可能性都市の消滅を免れるヒントがあるのではないだろうか。前回述べた鳥取県の4年で移住人口2000人の達成は子育てにやさしい県をスローガンにした取り組みが功を奏したといっていいようだ。 移住者受け入れに向けて動き出した広島県が19日(土曜日)に県としてのセミナーを開催した。福山市をはじめ庄原市・江田島市・呉市・府中市などが参加、久しぶりのことでどのくらい集まるのが不安のようであったが61組84名の参加で仕掛けた県担当はほっとしていた。いくつかの自治体に反応を聞いたが非常に反応が良かったといっていた。しっかり受け皿を整備して9月のふるさとフェアに参加したいと語っていた。全県が東京にブースを開設し、急ピッチで受け皿の整備に力を入れれば、ふるさと回帰運動はさらに大きく膨らんでいく。この取り組みが政府の「まち・ひと・しごと創生本部」をしっかり下支えできればと願ってやまない。

今年のスイカは甘い

今年も鳥取からスイカが届いた。ブランド品の大栄のスイカで、早速宗像主任が手際よく切って全員でいただいた。今年はとりわけ甘く感じたが出来はどうだったのだろうか。今日の東京は久しぶりの夏空で太陽ががんがん照り付けており,絶好のスイカ日よりであった。例年このスイカが届くと夏。今日は、時期はずれの大型台風が沖縄の南方にあり、週末には日本列島を縦断するような勢いである。そのため、明日とあさってに予定していた出張はあさって分がチャンセルとなった。楽しみにしていただけに残念。 先々週に続き、先週も北海道にいってきた。今度は函館。これも恒例になっている60年安保闘争の全学連委員長の殻牛健太郎さんの没30年、お墓建立024年の追悼会であった。年々、年老いてあの函館山のふもとにある市営墓地の坂もきつくなって来ている。今年も天気はよく、函館湾は夏の暖気の中で輝いていた。その海を眺めながら、墓参ももう24年になるのかと一人感じ入ってしまった。今回は60年安保ブンドの篠原浩一郎氏、当時の太平洋ひとりぽっちの堀江青年とレットゴーセーリングクラブをやった五島氏、それに一水会顧問の鈴木邦夫氏,映画プロデューサーの花房東洋氏、現在唐牛健太郎自伝を準備中の佐野真一氏も加わって盛り上がった。 それにしても、安部総理には困ったものだ。540年前に全学連が命を賭けて取り組んだあの安保反対闘争。テーマは再び戦争は繰り返してはならないだった。その危険極まりない集団的自衛権の行使が一内閣の閣議決定でやすやすと行われるとは信じられない。せめて堂々と国会での議論こそが望まれる。 ふるさと回帰運動は引き続き、好調で6月もまた、1000件を超える来場者に沸いた。6日の岡山のセミナーにはまたもや300名を越える来場者が押しかけ人気の高さを内外に明らかにした。

広島が動き、中国ブロックは受け皿ができた

今年も半分が終わった。早いものである。昨日は、九州北部は大雨。長崎は50年に一度の豪雨とか。長崎には雨が似合うといっても豪雨では仕方がない。あのオランダ坂を雨に濡れた紫陽花を眺めながらゆっくりと歩く、登りつめればグラバー邸。そこからは長崎港が一望できる。最後に訪れたのは何時の事であったろうか。異国情緒漂う長崎は好きな町の一つだ。 月末の28日から2泊3日で今年も知床に行ってきた。前理事長の立松和平君の始めた毘沙門祭に参加したのだ。この毘沙門祭も今年で20回目。よく守られているといっていい。地元斜里町の佐野博氏が資材をなげうって守っているのだ。今年も京都、奈良仏教界の大御所、京都の有馬頼底、奈良の大野玄妙両猊下以下、40名を超える僧侶が結集し、地元の方々を含め300名規模の例祭となった。当日は天気も良く、夏の日が僧侶たちの頭に容赦なく降り注いでいた。晴れ渡った空には新緑の木々の間から真っ白い雲がぽっかりと浮かんでいるのが見えた。そして、ワッペイ君がいたらなーと思った。 中国ブロックは、これまで広島県以外のすべての県が有楽町の情報センターにブースを構えているが、中心となる広島県がこれまで動きがなかった。その広島県がいよいよ動き始めた。6月27日に日帰りで広島市を訪れ、第1回広島県交流・定住促進協議会研修会で「地域の特色を活かした定住促進について」と題して講演をしてきた。そして、今月14日からは県庁担当者が2カ月半程度、有楽町でふるさと回帰運動についての研修を受け、移住相談も受け付け、本格実施に備えることになった。日本全国をブロックで分けると、東北は仙台に、北陸は金沢に、中国は広島に、九州は博多に人口が一極集中の傾向がある。全国レベルでは東京に1極集中だ。そうしたことから、いままでそれぞれの都市が所在する県はこのふるさと回帰運動には熱心ではなかった。それなりに人口が集中していたのだ。しかし、そうともいえないような状況となり、今回広島が先陣を切って動き出すことになった。広島が動けば、ブロック全体が受け入れ態勢が整うことになり、3・11の大震災以降、人気を集める中国地方はさらに全国一の移住人気ブロックとなる。これは強みだ。鳥取県の4年で2000名の目標を3年でクリアした実績は伊達ではない。受け皿さえ整備できればふるさと回帰支援センター東京への月1000件の問い合わせ件数はさらに拡充していくことは必然である。 地方の頑張りと東京のふるさと回帰支援センターの頑張りは表裏の関係にある。どちらが表でも裏でもない。いっしょに地方からいまの日本を変えているのだ。中国ブロックに対する期待は大きい。願わくばふるさと回帰運動を牽引していただきたい。

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