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鹿児島県 志布志市で新しい活動が始まる

昨日は二十四節気の雨水とか、雪が雨になる季節という。うれしいですね。歳だからなのか、すっかり寒さには弱くなってしまった。つい数年前まではやせ我慢もできたはずなのに、近頃はやせ我慢なんてとてもとても、という感じである。 一昨日、マリ・クリスチィーヌさんが事務所を訪ねてくれた。彼女とは観光甲子園の審査会で毎年1度会う関係だ。ただ、3年前になるが、彼女が応援する宮城県の「復興の桑プロジェクト」をふるさと回帰支援センターが実施した復興六起(第1次産業の6次化で起業することで東日本大震災からの復興をめざす取り組み)に応募いただき、合格させたことで、時々その後の取り組みの報告をいただいている。今回は、その桑の葉のパウダーで「復興の桑チョコレート」を今年のバレンタインデーで仙台市の藤崎デパートで販売。なんと人気NO1の売れ上げを記録したとのこと。復興支援型地域社会雇用創造事業はこのように地域で雇用を生み出しながら継続されている。食してみたが大人の味で歯ごたえもあり、おいしいものだった。今度は何に加工し、復興の桑プロジェクトを発展させてくれるのか楽しみである。 もうひとつ、うれしい話を。友人の東京新聞のM氏の紹介で鹿児島県志布志市から来客があった。この2人、なかなかユニークな人で現状の報告やこれからの夢などを語ってくれた。すでに彼らの仲間は全国から40名にも達しようという規模で志布志市に集まっている。東大を初めとした高学歴のかつ多彩な顔ぶれ(バレーダンサー、漫画家あり)が揃っている。そして、手始めに市と連携し、ソーシャルネットワーク複合型の自主メディア「シシガーデン」を開局し、さらに多方面へと活動を拡大することを目指している。活動の中心は(株)ふじやま学校で会長は東大出の坂本君。衣・食・住を基本とした関連事業を考えているようだ。活動を支えているのは地元出身で、19歳で渡米し、英国にも滞在した北本邦子さん、アサーションマネージメントならびにステノグラフィーの国内第一人者とか。手始めに始められた「衣」の事業収益金で賛助企業会員になって帰られたが、今後の活躍が楽しみである。新しい形のふるさと回帰運動の次のステップを踏もうとしている集団が志布志に出来つつあるといっていいだろう。 明日から久しぶりで高知に行く。出身母体の自治労から人口減対策のシンポをやるから来てほしいとお呼びがかかった。2020年に東京でオリンピックを構え、一方で「まち・ひと・しごと創生本部」を展開と、分かりにくい施策の展開だがどこで暮らすのを選ぶのは国民一人ひとり。首都・東京の動きと全国各県の動向を報告してくるつもりです。

岩手山は見えず

2月も残すところ10日あまりとなりました。早いものです。東京も梅がほころび始め、春は近いと思わせる陽気となってきています。先週は日帰りで盛岡に講演に行ってきました。岩手県下の市町村を集め、ふるさと回帰運動の現在を、そして今後の見通しを話してほしいと頼まれ、出かけた次第です。あいにく天気ははっきりせず、楽しみにしていた岩手山の勇姿は拝むことはできませんでした。当日はNPOの認定審査日とバッテングし、どうするのか悩みましたが、運動を優先し、出かけた次第です。岩手は、私の盟友とも言える大地を守る会の藤田和芳君のふるさとでもあり、好きな県のひとつです。付き合ってみてもしっかりと手ごたえを感じさせる方が多いような印象を持っています。遠くは前九年後三年の役の主戦場で、言い方を変えれば最も東北的な感じのする地域だといってもいいと思います。岩手県は移住者希望ランキングでは2010年は4位、2011年は5位と上位につけていた実績もあり、4月以降、本格的に受け入れ態勢を再構築すれば大いに期待できるのではないでしょうか。 昨日、岐阜県古田肇知事が視察に見えられました。盛り上がるふるさと回帰の状況を見に来たというところでしょうか。気負ったり、威張ったりするようなところのない、それでいてこちらの話のツボはしっかり押さえて突っ込んでくる方で好感が持てました。岐阜県は明治大の小田切教授のゼミと毎日新聞の移住者の実績調査でも長野県や島根県の上を行く移住実績を挙げている県で、今後の展開が楽しみな県と言っていいでしょう。 13日には富山県の朝日町の町長が見えられました。前にも訪ねて頂いたのですが今回は新年度から町としてふるさと回帰支援センターにブースを開設する方向で調整が進みそうということで来られた。もし、それが実現すれば初めてのことで大いに話題になるのではないだろうか。市レベルでは、長野県の飯山市や駒ヶ根市、鹿児島県の伊佐市などがあるが町では初。しっかりと受け止めて成果に繋がるようがんばりたいと思っている。伊佐市といえば時代劇俳優の榎木孝明氏のふるさと。その榎木氏が友人に連れられて初めてふるさと回帰支援センターに寄られました。 人口減が深刻な各地の自治体、何らかの起死回生の策が求められていることは確かだ。何でもいいからまず動き出すことから始めたらいかがでしょうか。うまくいかなかったら、見直せばいいのだから。何もせずに立ちつくしているだけが一番だめなのではないだろうか。

新年のごあいさつ

 新年明けましておめでとうございます。どのような気持ちで新年を迎えられたことでしょうか。今年は、先の大戦から70年の節目の年になります。この年を振り返るに、国としては、それなりにうまく運営できた70年といってもいいのではないでしょうか。政治も経済も、何よりも先進国の中で唯一、一度も戦争をしなかった国でいられたのは大きいと思います。紆余曲折はあったとしても、国土が焦土と化した敗戦から立ち上がり、世界に冠たる経済大国になれたことも大きかったと思います。社会保障制度の充実も、それなりの水準に達しているといってもいいでしょう。  しかし、これからは難しいと思います。世界情勢が複雑化し、国内外の矛盾も拡大していくでしょう。こうした中でしっかりと国のかじ取りをしないと戦争に巻き込まれかねないことも起きてくるのではないでしょうか。その意味で、今年は重要な一年となるような気がします。国内的には、貧富の差が拡大する中で、人口減社会に突入したわが国のこれからをどうするのかが問われる重要な1年になるように思います。とくに、都市と地方の格差問題は深刻です。この問題は一朝一夕には解決できません。それなりの時間を必要とします。戦後70年をかけて現在に至ったように、同じとはいかないまでも、それなりの時間をかけて、この格差を是正していくくらいの気持ちで取り組むことが必要だと思っています。  ふるさと回帰支援センター的には、当面は田舎暮らしを社会運動にするためにも、そうしたことが評価される環境を整える必要があると思います。そのためにも、すでに地方に移住した人の暮らしの事例紹介から、田舎暮らしの楽しみ方を紹介し、こうした暮らしならしてみたいという共感を呼ぶ取り組みをやってみたいと思います。そのためには価値観の多様化を認める社会づくりが重要です。振り返れば、戦後は国を挙げて、東京をはじめとした大都市にこそ夢と希望があるとキャンペーンを展開してきました。多くの若者を大都市に集め、大量生産-消費-廃棄のダイナミズムで経済成長を達成してきたのです。人口減に突入した現在、従来型の発想から視点を変え、少量・多品種生産型の多様なニーズにあわせた成熟社会向けの持続可能な暮らしをめざすべきだと考えます。今年は、こうした価値観のもとに地方への移住が社会運動になる一年になればと思っています。効率優先から非効率を評価する一年になれればと思っています。「まち・ひと・しごと創生本部」も本格稼働するでしょう。地方創生は1内閣の一過性の取り組みではなく、日本国の国づくりの基本政策として取り組めることを願っています。時代を越えて、ふるさとの風景は水田が広がり、山は緑であってほしいと思います。  昨年12月に増床・拡充したふるさと回帰支援センターの情報センターも本格稼働します。現在までに21県が専従相談員を配置した形でのブース開設を希望しています。現段階では5県に留まっている専従相談員が、急増ということになり、相談体制が格段に充実することになります。また、各県や各市町村の主催するセミナーも昨年度は136回でしたが、今年度は5階と6階の2か所で開催可能となり、200回を超えての開催になります。また、県や市町村を超えた多人数参加のセミナーは東京交通会館のイベントホールなどを使用した開催も可能となり、さらに充実していくことになります。 今年もふるさと回帰支援センターはスタッフ一同誠意を持って頑張りますのでよろしくお願いいたします。皆様方にとって実り多き一年となりますよう願っています。

地方議員の来訪が続く

10月14日は午後2時から六本木のミッドタウンでふるさと回帰支援センターの理事を設立当時から受けていただいている加藤登紀子さんのデビュー50周年パーティーに招待され、行ってきました。早いものです。ちょっと先輩ですが同じ時代を生きてきて、彼女の歌には大いに励まされたときもありました。更なる活躍を祈念するばかりです。年末恒例のほろ酔いコンサートは東京交通会館の前の有楽町駅反対側のよみうりホールで12月26.27.28日の3日間行われます。時間を作って久しぶりに参加してみたいと思っています。 最近、全国の自治体からの視察が急増しています。9月議会も終わり、視察が増えてきているのでしょう。15日は、なんと宮崎県会の「人口減少・地域活性化対策特別委員会」所属の17名の議員団が来られました。まち・ひと・しごと創生本部への要請に引き続いてこられたようで、7年ほど前に有志の議員団が一度調査に来られて以来の訪問でした。口々に、その変わりように驚かれていました。当時は月当たりの相談件数は100人未満だったはずです。それが月当たり1,000人越えになりました。若者の移住希望者が増え、さらに各年代が20%前後の移住希望という状況になっているからです。その前段では山形県村山市議会の4名の方にもお訪ねいただきました。山形県は東北の中ではふるさと回帰運動が遅れており、他県の状況を聞き、「何とかしなければ」と帰っていかれました。各議員が関心を持ち、その気になって動き出せば地域は変わります。ふるさと回帰運動に王道はありません。一人ひとりが決意し、ふるさと回帰しなければ何にも変わりません。運動はまだまだ始まったばかりです。視察大歓迎です。是非、足を運んでください。 自治体主催のセミナーも相変わらずです。先週の日曜は秋田県八峰町が久しぶりに開催しました。ハタハタとブナ林が有名ですが、参加者に配布した梨が抜群でした。食いしん坊のスタッフは口にほおばると「スイカのように甘いね」と言っていました。水分が多く、絶品の梨でした。ご馳走様でした。 東京も近頃はすっかり秋めいて、朝夕は上着が恋しい季節となりました。金木犀も咲き始め、なんか人恋しい季節となっています。国会論戦も佳境に入り、「まち・ひと・しごと地方創生特別委員会」の論戦に注目しています。来週の25日(土曜日)、大阪でのふるさと回帰フェアがシティプラザ大阪のホテルで開催されます。私も参加し、皆様をお迎えします。一人でも多くの参加を期待しています。

宇沢弘文教授のご冥福を祈る

明日で9月も終わり。朝夕すっかり秋めいて、かすかに金木犀の香りがするようになってきた。こころなしか庭の木々の色づいてきたようだ。夕方も6時になるとすっかり暗くなってきた。秋はいつの間にか身辺に忍び寄ってきているようだ。 そうしたなかで、最近、訃報が多いような気がする。昨日は社民党の土井たか子氏が逝った。1990年の参議院選挙では「山が動いた」と勝利宣言をしたことを昨日のように覚えている。護憲派の論客でメリハリの聴いた発言が記憶に残る。その数日前には宇沢弘文教授も逝った。先生の社会的共通資本論は自治労的には納得できる理論でよく講演にも来て貰った。あれは何時だったか、宮古島で自治研究集会を開催し、記念講演は宇沢先生だった。満天の星空の元で何人かで先生を囲んで語り合った。ノーベル経済学賞にも御せられた先生であったが、偉ぶったところのない先生であった。連合時代には衆院選の投票率を上げる取り組みを行い、いまは無くなった新宿厚生年金会館で講演会を開き先生にも来て頂いた。あれが最後だった。終了後、隣の水炊きの「玄海」で食事会を開いたが、隣に座った加藤登紀子さんを捕まえて、「なんだ、ただのおばさんじゃないか」といきなり言い放った。加藤さんは、「あらー先生、いやだー」と恥ずかしがった。率直なものの言いようは、素直な性格の表れだったのか、理論と行動が一緒で、思い立ったらすでにチャレンジしていたように思う。三里塚問題でも尽力され、その結果、過激派に狙われ,SPを連れていたときもあった。健脚で、半ズボンにリックを背負い、どこへでも歩いていったりもしていた。新宿ゴールデン街にも出没。酒がまためっぽうに強かった。尊敬できる学者であった。心からご冥福を祈りたい。合掌   先週の土曜日には和歌山県と山形県のセミナーが開催された。和歌山県は大阪で月1回は定期的にセミナーを開催するなど精力的にふるさと回帰運動に取り組んでいるが東京での開催は久しぶりであった。近畿圏では早い段階からこの運動に取り組み、全国で唯一、定住センターを南紀・古座川町に置くなど、受け入れ態勢も調っている県で、近年は移住者を対象にした起業家の支援事業で成果を上げている。この日は32名の移住希望者が参加した。県からは課長以下も参加し、次年度以降への更なる取り組み強化を決意していた。また、その後に開催された山形県には12名が参加。鶴岡市、飯豊町、朝日町がブースを構え、移住相談を受けていた。山形県は、かつてはブースを構え積極的な受け入れに取り組んでいたが、最近の急激な移住希望者の増加に対応し切れてないような感がある。食文化の豊かさでは知られた県である分、もったいない。事実、ふるさと回帰支援センターの裏、銀座1丁目のアンテナショップのレストランは開店4年目に入ったがいまだに予約が出来ない状況である。   成功裡に終わったふるさと回帰フェア2014から1週間。一山越えた感があるものの、マスコミを含め人の動きはあわただしい。すでに次年度の会場の仮予約も行われている。参加自治体へのアンケートもメールで出させていただいている。結果も速やかにご連絡するようにしたい。会計報告もまた同様にしたい。都市と農山漁村の交流・移住の取り組みは政府も動き出し、これから数年が社会的に定着し、人口減が急速に進むなかで地域社会が生き残れるのか否かをかけた正念場を迎えることになりそうである。心して取り組みたい。 大阪でのフェアでお会いしましょう。

地球は壊れているのか?

今年は天候不順が著しい。豪雨ともいえる大雨が全国各地で猛威を振るっている。とくに、広島市の雨には驚いた。死者はすでに72名を越えた(8/29現在)。現地を見ていないが山の裾野まで住宅開発が行われ、それが根こそぎ豪雨で崩れたようだ。人災といっていいのではないだろうか。ハザードマップは整備されていたのだろうか。1時間に100ミリを越える豪雨も珍しくない昨今、ハザードマップの整備や土砂災害危険地域の指定などを急ぐべきと考える。ただ、当事者は土地の値段が下がるからとそうした指定に抵抗しているようだ。人間の業といえよう。近年、こうした災害が多発しているが、水はけひとつをとっても都市の構造がこうした豪雨に対応できない構造になっているようだ。東京などでも、降雨による道路の水没は日常茶飯事である。これも温暖化の影響ということのようだ。地球は壊れているのだろうか、壊れたらアウト。しかしその前に人類は死滅する。うまく折り合いをつけて共存していくしかない。そうした時代に入っているのだ。 ブログの間が開いた。読者の皆さんには申し訳なかった。昨年あたりから、さらにふるさと回帰運動が盛り上がり、多忙を極めていることが遅れた理由だ。先週は久しぶりに沖縄に行った。沖縄の定住対策事業のコンペに合格し、その事業の一環としてふるさと回帰支援センターの取り組みと全国状況を話すためだ。行くたびに思うのだが、沖縄は南国ムードがいっぱいだ。最近は空港から町に出るのに海底トンネルが出来て便利になっていた。ホテルにはアジアからのお客が大勢いた。これを見る限り、リゾート地となっている。こうした光景を見る限り、米軍の基地の島には見えない。しかし、一方の現実は違う。戦後69年、実質米軍に占領されたままである。辺野古の埋め立ては強行されようとしている。24日には現地で抗議集会が開かれた。那覇からはバスで現地に向かったが、予定の倍の26台で反対集会に参加し、盛り上がったようだ。この情報、本土ではマスコミは取り上げない。また、11月の県知事選挙、翁長氏が優勢とのことだ。辺野古の埋め立てには根強い反対があるようだ。 8月3日に九州で宮崎県に続き2県目で、今年からブースを構え、離島の人口減をはじめ県内への移住対策に本腰を入れ始めた長崎県がセミナーを開いた。それがなんと、2013年の移住地域人気ランキング5位の熊本県と同日開催となったが、ほとんど引けのとらない76名の参加者があった。受け皿さえ用意できれば九州は潜在的人気が高く、移住希望者も多いことがあらためて明らかになった。ブースを開く自治体が増えれば、それを目当てに移住相談者が増える。この好循環を大事にしたい。

またも相談件数が1400件超え

8月ももう11日。ようやく甲子園も始まりました。日本中が真夏となる。セミがなき、じりじり照りつける太陽がまぶしく、時折吹き抜ける風が風鈴をならす。そんな夏は好きだ。原発事故さえなければわがふるさとにはそんな夏があった。今年は台風が奄美方面にあり、本土をうかがっているようだ。どうも今年は台風が多い、海水温が高いことが原因のようだ。そういえば、先日訪ねてきた知床の友人は、かの地でもイカや秋刀魚が取れず、ブリや本マグロの値が上がっているといっていた。海の中も異常気象が起きているようだ。 最近高止まりの傾向がある移住の相談件数、7月も1400件を越えたとの報告があった。セミナーが多く、その参加者も多かったがそれにしても昨年7月も1400件を越えており、2年連続の1400件越えはうれしい。夏休み、水遊び、蝉取り、ふるさとと連想ゲーム的にふるさとが思われるのかもしれないが驚きだ。事実、日中から若者が相談に来る。後から後からという感じで、その合間に自治体関係者が話を聞きに来る。夕方になると疲れを感ずるときもある。そういう時はビールがうまい。昨年から今年にかけて壁が一枚抜けたのかもしてない。それ以外に適当な理由が見当たらないほどの多さだ。言い方を変えるとNPO結成12年目にしてやっと結果が出始めたのかもしれない。先週は鳥海山のふもとの秋田県由利本荘市の副市長さんにお訪ねいただいた。前の東銀座の事務所にも県庁職員として来訪いただいたとのこと。今回は副市長として最近のふるさと回帰運動の現状を知り、何とか本格的にこの運動に参加したいということであった。秋田県は健闘しているがまだまだ受け皿の体制が弱く、移住に繋がっていないと率直に意見を述べた。期待したい。 今週は13日からお盆休みを取らせていただきます。設立以来、お盆は田舎に帰ろうといってきた。率先して休み、ふるさとに帰り、日本のふるさとを満喫して秋の取り組みのために英気を養おうといってきたのだ。青森の専従相談員の野呂君も青森に帰るとのこと。今までは漠然と帰っていたが、今度からはきっと別な目線でふるさとを見てくるのではないかと期待している。お盆休みが終わればすぐに9月、10回目のふるさと回帰フェアがやってくる。はじめての国際フォーラムでの開催、それはそれでまた果たして人はくるのかと心配の種は尽きない。残暑お見舞い申し上げます。

いい男の話しをふたつ

昨日は、夕刻から憲政記念館で開かれた福島原発行動隊の隊長であった山田恭暉さんの偲ぶ会に参加した。山田さんとは3年ほど前に60年安保ブンド書記長の島成郎さんの奥様に紹介していただいた。福島原発行動隊は意表をつく提案であった。若者を廃炉現場に送るのは問題である。60過ぎのシニアが被爆しても発病する前に死んでしまうので、そうした人を送るべきだと主張していた。通信を読んで驚いたのは、原発行政を推進するのであれば、事故が起きたときに出動する決死隊をしっかり組織しての後のことにすべきだと主張しておられた。このような過酷な主張は軟弱な戦後民主主義のぬるま湯で育てられた世代からは出てこない。原発行政の本質を問う問題提起だと思った。原発行政には100%の安全神話などないことをも指摘していると思った。この覚悟なく、原発行政を進めることは無責任であるといっているのだ。事実、事故後の福島原発の現状は山田さんが指摘したとおりである。さらに東電は事故後4年目にはいったいまでも、福島原発行動隊の要求を受け入れようとはしていない。志半ばで山田さんは逝ったが、最後はすべての延命措置を拒否し、逝ったという。覚悟の死であったようだ。こんな時代でも、あのような人はいるのだと思った。 「繚乱の春 はるかなりとも」という本が出版された。小生も駄文を弄している。かつて1970年前後に名古屋旭ヶ丘高校から早稲田に進学し、多感な青年の多くが罹患した学生運動にかかり、数年前に不幸な事故で亡くなった男の追想集である。もちろん本人は追想集について知る由もないことであるが、高校時代にサッカー部でともに汗を流した一人の友人が奔走して、出版にこぎつけた。どうせ持つならこのような男を友人に持ちたいと思わせる、こんな時代の稀有な男の奮戦記でもある。 明日で7月も終わり。往く夏が惜しまれる今日この頃である。

今年のスイカは甘い

今年も鳥取からスイカが届いた。ブランド品の大栄のスイカで、早速宗像主任が手際よく切って全員でいただいた。今年はとりわけ甘く感じたが出来はどうだったのだろうか。今日の東京は久しぶりの夏空で太陽ががんがん照り付けており,絶好のスイカ日よりであった。例年このスイカが届くと夏。今日は、時期はずれの大型台風が沖縄の南方にあり、週末には日本列島を縦断するような勢いである。そのため、明日とあさってに予定していた出張はあさって分がチャンセルとなった。楽しみにしていただけに残念。 先々週に続き、先週も北海道にいってきた。今度は函館。これも恒例になっている60年安保闘争の全学連委員長の殻牛健太郎さんの没30年、お墓建立024年の追悼会であった。年々、年老いてあの函館山のふもとにある市営墓地の坂もきつくなって来ている。今年も天気はよく、函館湾は夏の暖気の中で輝いていた。その海を眺めながら、墓参ももう24年になるのかと一人感じ入ってしまった。今回は60年安保ブンドの篠原浩一郎氏、当時の太平洋ひとりぽっちの堀江青年とレットゴーセーリングクラブをやった五島氏、それに一水会顧問の鈴木邦夫氏,映画プロデューサーの花房東洋氏、現在唐牛健太郎自伝を準備中の佐野真一氏も加わって盛り上がった。 それにしても、安部総理には困ったものだ。540年前に全学連が命を賭けて取り組んだあの安保反対闘争。テーマは再び戦争は繰り返してはならないだった。その危険極まりない集団的自衛権の行使が一内閣の閣議決定でやすやすと行われるとは信じられない。せめて堂々と国会での議論こそが望まれる。 ふるさと回帰運動は引き続き、好調で6月もまた、1000件を超える来場者に沸いた。6日の岡山のセミナーにはまたもや300名を越える来場者が押しかけ人気の高さを内外に明らかにした。

広島が動き、中国ブロックは受け皿ができた

今年も半分が終わった。早いものである。昨日は、九州北部は大雨。長崎は50年に一度の豪雨とか。長崎には雨が似合うといっても豪雨では仕方がない。あのオランダ坂を雨に濡れた紫陽花を眺めながらゆっくりと歩く、登りつめればグラバー邸。そこからは長崎港が一望できる。最後に訪れたのは何時の事であったろうか。異国情緒漂う長崎は好きな町の一つだ。 月末の28日から2泊3日で今年も知床に行ってきた。前理事長の立松和平君の始めた毘沙門祭に参加したのだ。この毘沙門祭も今年で20回目。よく守られているといっていい。地元斜里町の佐野博氏が資材をなげうって守っているのだ。今年も京都、奈良仏教界の大御所、京都の有馬頼底、奈良の大野玄妙両猊下以下、40名を超える僧侶が結集し、地元の方々を含め300名規模の例祭となった。当日は天気も良く、夏の日が僧侶たちの頭に容赦なく降り注いでいた。晴れ渡った空には新緑の木々の間から真っ白い雲がぽっかりと浮かんでいるのが見えた。そして、ワッペイ君がいたらなーと思った。 中国ブロックは、これまで広島県以外のすべての県が有楽町の情報センターにブースを構えているが、中心となる広島県がこれまで動きがなかった。その広島県がいよいよ動き始めた。6月27日に日帰りで広島市を訪れ、第1回広島県交流・定住促進協議会研修会で「地域の特色を活かした定住促進について」と題して講演をしてきた。そして、今月14日からは県庁担当者が2カ月半程度、有楽町でふるさと回帰運動についての研修を受け、移住相談も受け付け、本格実施に備えることになった。日本全国をブロックで分けると、東北は仙台に、北陸は金沢に、中国は広島に、九州は博多に人口が一極集中の傾向がある。全国レベルでは東京に1極集中だ。そうしたことから、いままでそれぞれの都市が所在する県はこのふるさと回帰運動には熱心ではなかった。それなりに人口が集中していたのだ。しかし、そうともいえないような状況となり、今回広島が先陣を切って動き出すことになった。広島が動けば、ブロック全体が受け入れ態勢が整うことになり、3・11の大震災以降、人気を集める中国地方はさらに全国一の移住人気ブロックとなる。これは強みだ。鳥取県の4年で2000名の目標を3年でクリアした実績は伊達ではない。受け皿さえ整備できればふるさと回帰支援センター東京への月1000件の問い合わせ件数はさらに拡充していくことは必然である。 地方の頑張りと東京のふるさと回帰支援センターの頑張りは表裏の関係にある。どちらが表でも裏でもない。いっしょに地方からいまの日本を変えているのだ。中国ブロックに対する期待は大きい。願わくばふるさと回帰運動を牽引していただきたい。

3県合同移住相談会を開催します

知り合いを通して、ベトナム国内の反中国デモの情報が入ってきた。本来同じ共産圏内の両国だが、従来からそんなに仲良い関係ではないようだ。かつて1979年には中越戦争もしている。この時は中国がベトナムを懲らしめるために攻め込んだが、手痛い目にあい、撤退している。今回は一方的な中国の西沙諸島での石油の掘削開始が問題。ベトナムは一歩も引かない決意のようで、国内的にはデモは禁止だが、政府黙認で国内各地で大規模のデモが展開されているようだ。中国系企業が襲われ、死者も出ている。デモ隊は企業に行って「どこの国の会社か」と聞いて、壊しているようだ。日本企業は日の丸を掲げるよう申し合わせているとのこと。中国の膨張主義には困ったものだ。国内問題を外に転嫁しているのだろう。そもそも国の統治システムが壊れているのではないだろうか。 6月15日(日)、初めて人気の山梨・長野・静岡が一堂に会し、3県合同移住相談会&セミナーを有楽町駅前の交通会館12階カトレアAで、ふるさと回帰支援センターの主催で開催する。人気ランキング1、2がそろって出展。先週末の岡山、香川の移住相談会もそれぞれ100名を優に超える参加者が押し掛けたとか。こちらも多数の参加が期待される。3県からは県をはじめ市町村など34団体がブースを開設するので、参加者に相談できなかったなどの迷惑をかけることが無いよう万全の対応をめざしているので是非参加してください。成功すれば、こうした形でのセミナーも随時開催したいと考えている。 今週初め、福島県のいわき市長からふるさと応援大使の委嘱を受けた。40名に委嘱したようで、秋吉久美子さん、ケーシー高峰さん、などが各界から選ばれ、東日本大震災からの一日も早い復興を誓い合った。 http://www.minpo.jp/news/detail/2014052015777  

持続可能な国づくりに寄与します

5月も、もう中旬。気が付くと周りは滴るような青葉の季節となっている。空気もおいしく、日本人であること、日本に暮らすことに喜びを感じている。この国が、集団的自衛権の憲法解釈の変更で揺らいでいる。最近の戦争は国対国ではなく、アメリカの場合などではアメリカ対テロ組織になるなど、どこでも戦場になる危険性がある。難しい話である。この状況で集団的自衛権の発動は巻き込まれる危険性が極めて高い。どうなるのだろうか。 日本創成会議(座長・増田寛也元岩手県知事)が過日、消滅可能性都市896自治体を公表し、各方面で話題になっている。これは人口の再生産力に着目し、「20から39歳」の女性が減少し続ける限り人口減に歯止めがかからないことに各種データから明らかにし、2040年の人口減少がどうなるかを予測したものである。 その結果、2010年から40年までの間に「20から39歳の女性人口」が5割以下に減少する自治体数は、現在の推計に比べ大幅に増加し、896自治体になるとし、これらを「消滅可能性都市」としたものである。そして、こうした市町村が8割以上に達する都道府県は青森、岩手、秋田、山形、島根の5県に上るとしている。5割以上になると24道府県。人口が1万人以下の市町村は523自治体で全体の29・1%になるとしている。自治体関係者にとって深刻なデータであるが、看過するわけにはいかないことだと思う。増田さんは2期12年の岩手県知事経験者であり、ことの重要性は人一倍分っているのではあるまいか。大胆な提言である。 この情報を見て、政府の諮問機関は初めて人口数値目標「50年後も1億人」を示し、本格的な対策をとることを明らかにした。「瓢箪から駒」というべきか、高齢化社会が来ると言えば、猫も杓子も高齢化、少子化と言えばまた同じ、場当たり的な対応に終始してきたが、国家目標としての人口の数値目標が示されたことにより、政策もさらに具体的なっていくのではないだろうか。久しぶりにわかりやすい提案と言える。 このことに関わって、ふるさと回帰運動も役割の一端を担うことができるのではないかと思っている。最近の若者や子育て世代のふるさと志向、子育てを田舎でやりたいという希望者の増加もあり、この国家目標に寄与したと思っている。

努力しても報われない社会を許さない

連休、いかがお過ごしでしょうか。風の便りによれば、弘前城址公園の桜は満開とか、一度訪ねられることをお勧めいたします。岩木山をバックにした桜は、それは素晴らしいものがあります。桜の木の下には死体が埋まっている、と詠んだ詩人がいましたが、それほどに見事なものです。西行の和歌に「願わくば 花の下にて 春死なむ この如月の 望月のころ」なんていうのもありましたね。桜の散り際の美しさを読んだものです。 新年度がスタートしましたが、ブース開設に踏み切れず、次年度以降にと言っていた県の担当者の来訪が続いています。4月27日(日)のNHKニュースで若者のふるさと回帰が増加していると取り上げられたこともあるのかもしれません。地域で実感するよりもさらに東京では人が動いているのではと確認に来ているようです。 送り出す東京側と受け入れる地方では自ずと感触は違います。居住人口をはじめ、地域のスケールが違いすぎるようです。その原因はと言えば、明確に若者の価値観が変わり始めているといっていいでしょう。この価値観がなぜ変わったのかと言えば、東京で働くことに希望が持てなくなったということがあるようです。努力しても報われない社会がいつの間にか創り上げられ、気がつけば格差社会が厳然と存在するようになってしまっているのです。 その最たるものが、不安定雇用職員の急増です。臨時・パート・嘱託などの形でしか雇用されないのです。その数2000万人です。これではいくら努力しても賃金は上がらないのです。この現実から、地方での暮らしに可能性を見出し、移住を志向する若者が増えているようです。この現象は希望の持てない社会の中で数少ない希望の持てるものです。 この若者の田舎暮らしの動きに関しては5月12日の午後6時10分からのNHKの首都圏ニュースと本日23時30分からのNHK NEWSWEB、5月4日のNHKBSのBiz+サンデーでも再度取り上げられるようなのでご覧ください。 よいG・Wを・・・・。

今年、ふるさと回帰運動が爆発するか?

もう、今日は彼岸の入りとか、やっと待ちに待った春がそこまで来ているようだ。昨日の日曜日は日差しが強く、春本番のような陽気でした。散歩したのですがいたるところの梅が満開でした。桜もいいが、梅はまた格別の趣きがあるように思います。 そうしたなかで30年近い付き合いの山口県知事であった山本繁太郎氏の訃報が届いた。体調を崩し、退職したばかり。マスコミ報道によれば胃がんだったとのこと。志半ばでの退職はさぞ無念であったのではないだろうか。人一倍責任感の強い男だっただけに。何年か前に、福田内閣の目玉の政策であった地域再生統合本部事務局長に就任した時、これで「ハムさんとふるさと回帰運動を一緒にできるね」と言ってくれた。その後、数カ月で衆議院選挙に立候補した。彼は官僚として、この仕事を全うしたいと言っていた。だが、官僚は政治家から声がかかったら断れない運命なんだと言っていた。断ったらその時は官僚をやめることが前提であると言っていた。昨年3月、早稲田の先輩の彦由さんの17回忌で周防大島に行ったとき、わざわざ駆けつけてくれた。そして、義兄弟の錦帯橋の棟梁・海老崎さんが持ってきた獺祭の大吟醸で乾杯し、再会を約束した。心から冥福を祈りたい。 13日から14日にかけて徳島県三好市に行ってきた。池田町など数自治体が合併してできた市で、自治労の仲間の黒川さんが市長を務めている。シニア世代のU・Iターンを受け入れて地域再生をめざしたいと意気込んでいた。徳島県が全く動かない中でよくぞ決意していただいたと心強かった。さっそく会員になり、頑張りたいと言っていた。今年は地元の池田高校も久しぶりに選抜に出場する。活躍を期待したい。この地では7年前からNPO「ふるさと力」がクラインガルテン事業を県産材を活用した積み木ハウスで手がけ、成功している。大いに期待できそうだ。東京へ帰ってきたら徳島県の美波町が初めてセミナーを開催していた。そこになんと40名の移住希望者が集まった。三好市と言い、美波町と言い、やっと徳島県の自治体が動き出した。四国の人気は高知と言われ、それなりに結果を出しているが、気候、人柄、食べ物など徳島は高知にそん色がない。コラボを強め、協力して売り出したら大いに人気が出ること間違いなしと思うがいかがであろうか。 何と、最近わかったが1月、2月と相談件数が1000件を上回った。昨年7月以来の大台だ。どうも今年はふるさと回帰運動が爆発しそうな予感がする。自治体の皆さん、仕掛けるなら今ですよ。

東北はいったいどうなってしまうのか

今日3月11日は東日本大震災から3年になる。早いものである。しかし、現地はどうなのだろうか。人口の流失に歯止めがかからないという話を聞くと胸が押しつぶされそうな息苦しさを禁じ得ない。復興が遅々として進んでいないのである。政治が機能していないのではないかと思われる。復興庁はなにをしているのかと思う。一昨日、テレビを見ていたら宮城県知事が復興計画について委員会の決定を待って決めたいと言っていた。すでに災害から3年もたっているというのに何を言っているのかと思った。そんな悠長なことを言っている場合かと思った。委員会では、それぞれ勝手なことを言うにきまっている。3年たっても議論しているようじゃ10年たってもまだ議論することになるのに決まっている。被災者の気持ちがわからないのだ。この現状は、政治が機能していないといっていい。政治家として最低の素養である責任を取るという視点がないのだ。 私が生まれ、育った福島の浜通りは、被災3県の内でもさらに人口の流失が激しいようだ。とくに福島第一原発からの放射能に汚染された水の流出はどうにもならない。一日400トンもの汚染水が出され、抜本的な対策ができない状態だ。にもかかわらず、政府は原発の再稼働の政策を進めようとしている。先の大戦についても誰も責任を取らなかったが、今回の原発事故も誰も責任を取らず、なし崩し的に原発の再稼働を行おうとしている。この国は、こうした大きな過ちについてはすべてほっかぶりを決め込み、曖昧にして同じ過ちを繰り返してきた。懲りない国民性ともいうべきものがあるようだ。しかし、希望はある。一昨日の脱原発集会には3万2000人が集まったという。この時代、これが希望でなくてなんだというのか。しかし脱原発集会が希望とは、戦後こんなに悲しい時代はあったのだろうか・・・。 昨日発売の月刊文芸春秋の特集は「第二の敗戦 団塊こそが戦犯だ」。売るために編集者もいろいろ考えるのだろうが、それにしても酷過ぎる。この国は欧米に比べても徹底して学生運動をした団塊世代の活動家を社会から排除してきた。そのつけが、いままわってきていると言ってもいいだろう。あの時代、優秀だった奴は学生運動をやっていた。学生運動をやらないような奴は信用されなかった。ベトナム戦争が闘われ、爆撃機は沖縄からベトナムへ出撃していた。こうしたやむに已まれぬ社会に対する想いが学生運動に走らせた。先の大戦においても特攻を志願した兵は何としても祖国を守らなければという想いから特攻を志願したのだった。基本のところは同じで、分かる気がする。 東日本大震災からすでに3年。わが東北はこれからどうなっていくのだろうか。そして、齢66歳の私にできることはあるのだろうか。 大震災 ふるさと想い 涙する

春はまだか

 2月は過ぎるのが早かったような気がする。寒い日も多かった。大雪だって2回も降った。2回目は珍しく10日以上いつまでもという感じで残った。しかし、3月に入って梅は満開で、日当たりの良いところは菜の花だってさき始めている。高校はもう休みに入っているようで朝の通勤電車は大分すいていて座れ、楽である。季節の変わり目、学生たちの旅立ちの季節なのだ。大学・社会それぞれの道はあるのだろうが、是非希望を失いことなく、全力投球で頑張ってほしい。いまの日本は若者にとって希望の持ちにくい世の中となっているが、しかし希望を失うことなく挑戦し続ければ、自ずと道はまだ開くことはできると思う。もし、そうでなかったらこの国は一挙にしぼんでしまうことになりかねない。  過日、宮崎県の西都市がセミナーを開催した。県央に位置し、日本一と言われる宮崎牛とピーマンなどの施設園芸が盛んな地域で、おいしいが高いことで一躍有名になった完熟マンゴーの産地でもある。東日本ではそれほど知られる地域ではないが豊かで温暖な地域である。このセミナーにも11名の相談者が訪れ、熱心な応答が行われた。これにも私は移住先としての九州の人気ぶりを見た思いがする。  また、新年度からのブース開設が明らかになってきた。現段階では、県議会の承認の関係で明らかにできないがいくつかの県が開設で予算を計上している。東北のある県は専従相談員を配置して取り組むことにしている。これは最近、粘り強い取り組みで目に見える形で成果を上げてきている秋田県に続けとばかりの姿勢だ。また、大阪にもあらたに中国地方のある県と一時お休みしていたハウスメーカーが復活する。そのほかにもいくつかの県がブース開設に向けて検討を続けている。ふるさと回帰運動は次年度、さらに大きく羽ばたく勢いである。  個人的なことだが、昨日は1960年の安保闘争を指導した全学連委員長の唐牛健太郎さんの30回忌であった。すでに70歳代も半ばとなったかつての勇者たち約200名が国会前の憲政記念館に集まり往時をしのんだ。10年遅れの70年安保闘争を全共闘の一人として戦った小生も出席、事務方を担った。また7月5日(土)午後3時にはお墓のある函館市民墓地集合で墓参会も計画されている。

今日は節分

今日は節分、季節を分ける日だ。明日から立春。「春は名のみの風の寒さや」という歌があるが、それでも暦の上では春なのだ。ちらほらと梅の便りも聞く。今日までの農水省の六次化の起業家育成のセミナー開催地の和歌山県古座川町の定住センターの圃場の梅も満開のはずだ。 先週30日、帝国ホテルで自治労結成60周年の集いがあり、出席すべく日比谷を歩いていたら鹿児島県のアンテナショップの前で、指宿の菜の花を配っていた。思わず立ち寄り、一輪いただき、家に持ち帰って飾ったら、我が家は一気に春となった。この時期のこうしたプレゼントは心和ませるものがある。 指宿には一昨年の12月、宮崎県の高原町に講演に行った折に足を延ばし、砂風呂に浸かった。その時も菜の花は満開で、空豆の白い花も満開であったような気がする。私の机の前には、開聞岳の麓が菜の花で埋め尽くされた絵葉書が張ってある。沖縄戦で知覧から出撃した特攻隊の若者たちが最後に日本に別れを告げた山である。開聞岳を見るたびにそのことを想い出し、思わず涙する。 年が明けても、ふるさと暮らしセミナーの開催は順調に推移している。1月31日(金)は新潟県上越市が久しぶりにセミナーを開催し、テレビ新潟も取材に入った。翌2月1日(土)は千葉県主催で9市町村が集まってのセミナーを開催し、20家族31名が参加した。各自治体のブースには数組ずつの相談者が相談に押しかけた。さすが人気の千葉県というところか。午後からは会津振興局が開催、こちらも若者の移住希望者が熱心に相談する姿があった。 昨日は都知事選挙の投票日までの最後の日曜日。銀座は候補者が入れ代わり立ち代わり街頭演説に押し掛け、大変な熱気だったとか。事務所の下は有楽町イトシア前ということで時々候補者が来て、演説会を開く。ついこの間も小泉元総理が青いダウンを着込み、元気な声を張り上げていた。2001年のヨハネスブルクでの環境サミットでお会いして以来、初めて本人を見たが、齢は否めなかったが、それでも元気であった。なにが元総理を街頭に立たせるのか、大いに見習いたいと思った次第。いずれにしても選挙戦はあと5日だ。皆さん、投票に行きましょう。

運動は勢いが重要

新年あけましておめでとうございます。 ブログもこれが新年第一号です。なにが発信できるのか心もとない面もありますがよろしくお願いいたします。 本日、会員自治体向けに、ふるさと暮らし情報センターの12月の利用者動向マンスリーレポートを発表しましたが、相談件数県別ランキング1位は山梨県でした。2位に富山県が初めて長野県と同率で入りました。担当者の分析によれば、この要因は富山県単独で達成したというよりは、漠然層は複数の地域で検討しているケースも多く、各来場者が相談したデータをチェックすると、富山県単独の希望者の他、「北陸」「日本海側」「全国」などの複数地域で相談している人も多く、その中で富山県の相談も多かったとのこと。それを裏付けるように、富山県同様、同時期に情報発信に力を入れてきた、新潟県、福井県も10位以内にランキングされています。北陸は前々から生活インフラや食の豊かさなど、その豊かさが話題になっていました。そこに、来年の新幹線の北陸入りもあって地元が盛り上がりを見せており、それがふるさと暮らしにまで波及してきているといっていいようです。 ※マンスリーレポートは会員団体にメールにて毎月送付しています。 1月15日の夕方、山梨県の横内知事がふるさと回帰支援センターまで足を運んでくださいました。昨年6月のブース開設以来、初めての訪問です。山梨ブースの3名の担当者は朝から緊張気味。マンスリーレポートにも示されているように、ブース開設以来、山梨県への相談件数がトップを継続していることから、結果が出ているねと横内知事は嬉しそうにされていました。 今日も秋田県三種町長、長野県大町市長が訪ねてこられました。こうした訪問は、担当相談員を勇気づけ、何とか一人でも多くご案内しなければという気持ちにさせるようです。 来週の1月21日には、3年前に始めた「ふるさと再生行動する首長会議」のフォーラムが予定されています。 記念講演は、東大名誉教授で地方財政審議会会長の神野直彦先生。テーマは「地方財政の観点から今年度予算案を考える ―ふるさと再生の観点から分析する―」です。 このように様々なことが動き出すと、いよいよ新しい1年がスタートしたなという気持ちになります。そういえば、昨夜は生協パルシステムの賀詞交歓会、一昨夜は日本生協連の賀詞交歓会、いずれも食に対する安全・安心を求める気持ちが高まっていることもあり、盛況でありました。やはり、運動は勢いがなくなると人も集まらず、ポシャっていくことを実感しました。

木枯らし一番が吹いた

一昨夜、木枯らし一番が吹いた。寒気団が南下しているようで今日も寒い。コートを引っ張り出し、首にはマフラーを巻いて出勤した。北国では雪も降ったようだ。   本日、毎月出している相談センターのマンスリーレポートがまとまった。東京、大阪ともに10月の相談件数は890件台、健闘しているといっていいようだ。 傾向は、50代、60代で全体の50%を占めていること。定年延長も終わり、やっと団塊世代が動き出したとみていいだろう。 さらに、特徴としては秋田県が健闘し、相談件数ランキングでも4位につけていることだ。秋田県は、東北では福島県に次いで早い段階からふるさと回帰運動に取り組んできた。しかし思ったほどには成果につながらなかったが、粘り強く取り組みを継続してきたことが功を奏している。加えて、3・11の東日本大震災以降、学生のUターンが増加傾向にあり、さらに成人のUターンも増えていることから、毎週土曜日にふるさと回帰支援センターで行っているAターン(秋田のA)も人気となり、成果を上げているのだ。この取り組み、半年や一年では簡単に結果は出ないが、継続的に取り組めば自ずと結果につながる。秋田は良い例のようだ。また、今年になって県内にNPO法人秋田移住定住総合支援センターが設立し、定年後Uターンした荒谷氏を理事長に迎え、受け皿づくりもできたことも大きいのではないだろうか。この荒谷氏、弁も立ち、行動力がある。地元秋田魁新聞にコラムを連載している優れ者、面白い展開になりつつある。   今日は朝から「ふるさと再生行動する首長会議」の打ち合わせを行った。たまたま上京した市段階の代表世話人の熊本県天草の安田市長と久しぶりに話した。安田氏は、かの細川護煕元総理の秘書だった人で、人脈も広く話題も豊富な人で盛り上がった。首長会議は、一昨年の9月に3年1期でスタートした。ちょうど今年が3年目、なにが出来て何が出来なかったのか大いに反省しなければならないところだが、解散するには惜しい。いま頭を悩ませているのは、これを今後どうするか。誰か運営を支えていただける方がいれば、何とか継続していきたいと思っている。   過日、山陽新聞の東京支局長が訪ねてきた。用件は、日比谷のプレスセンターに入っている地方紙8社の支局長会で最近のふるさと回帰運動の話をしてほしいということであった。それが、今日の昼食時にあった。大分合同、秋田魁、新潟日報、信濃毎日、高知の各新聞が集まった。初めてのことだが、こうした会に声がかかるのはそれだけ運動が社会化したことだ。これらのすべての新聞で過去に取り上げてもらったことがあり、和気あいあいで楽しいひと時を過ごした。

地球環境は傷んでいる自然との共生・持続可能な暮らしを目指して

今年は台風の当たり年のようで、10月も下旬だというのに毎週のように台風が日本列島を襲ってきている。先週、伊豆大島では数百年前の三原山の噴火で降り積もった火山灰が、台風26号による800mmともいわれる降雨の影響で地滑りを起こし、10月22日現在で29名にも達する死亡者が出ている。恐ろしいことである。 まず、800mmにも達する降雨など信じられない雨量である。これも地球温暖化によるものであることは自明だ。今年は海水温が通常より3度も高いという。高いから台風が発生しやすく、しかも大型になりやすい。 伊豆大島の地滑りについては、道路を作ったことがきっかけになっているのではないかと友人が指摘している。数百年前に降り積もった火山灰はそれなりに固まっていた。しかし、道路を敷くためにその一部を削り取った。そこに大量の雨水が浸み込み、地滑りを起こしたのではないかというのだ。ありえないことだとは言えない。人間の過信がなせることで、大島に住むことのできる人数のキャパシティを超えて人が住み、乱開発されたことが根源にあるのではないだろうか。 今日現在、南太平洋には27号、28号と二つの台風が日本列島を窺っている。週末にはまた日本に近づくようだ。先週の台風で大きな被害を出している伊豆大島町は、高齢者や社会的弱者の希望者に対して島外避難者を実施するようだ。「備えあれば憂いなし」。無事を祈らざるをえない。 一方で、中国東北地方のハルビンでは、このところの寒さで一斉にストーブを炊き始め、昨年くらいからマスコミを賑わせているPM2.5が街全体を覆い、10m先も見えないということだ。かつて、昭和の高度成長期には日本もスモッグが発生し視界がきかないこともあったが、10mということはなかった。まだ10月である。これから本格的な寒さがやってくる。これから一体どうなるのか。 当然、偏西風に乗ってこのPM2.5は日本にも流れてくる。しかし、今のところ有効な対策の打ちようがない。「臭い匂いは元から断たなきゃダメ」などというコマーシャルが過去にあったような気がするが、日本的には公害対策の技術援助も検討されなければならないようだ。一衣帯水の関係にある日中関係だが、尖閣問題や歴史認識の違いで角を突き合わせている場合ではないのではないか。 さらに、中国的にはがむしゃらな経済発展よりは、自然との共生・持続可能な暮らしなど、さすが社会主義国家と世界が羨むような国家づくりをめざしてほしい。それにしても中国は、いい意味でも悪い意味でも起こる事象のスケールが大きいように感じる。

消費税増税はもっと議論を

消費税増税が来年4月から導入することが決まった。しかし、一方では景気対策として5兆円の予算を組むという。これでは何のための消費税増税か分からない。もともとは社会保障・税の一体改革として提案された増税であったはずだがその議論との整合性が検討された節がない。政府はアベノミクスへの影響のみを検討したようだ。多くの国民はアベノミクスを評価しているようだが、これとてどうなるか怪しいものがある。 まず、アメリカ経済がはっきりしない。上院と下院のねじれ現象で予算が通らず、一部国営施設が閉鎖されている。下院共和党の若手議員が強硬のようで簡単には妥協しないようだ。さらに、赤字国債の発行限度額まで赤字国債の発行が進み、デフォルトの懸念が指摘されているのだ。 政府関係者は、消費税増税は国会が機能していない、今こそチャンスと何が何でも上げることで総理に迫っていたが、もう少し丁寧な議論こそが肝要ではなかったのではないだろうか。上げるのであれば、改めて何のために上げるのかを整理して国民に説明すべきだったと考える。バラマキの公共事業で景気対策なんていうのではいつか来た道である。さらに低所得者に対する現金給付など目くらまし政策で笑止千万である。すでに明らかなように、消費税増税は低所得者に厳しいものだ。しかし残念ながら、近年の格差社会の拡大の中で若い貧困層はものを言わない。それをいいことに政府は強行の姿勢だ。さらに企業に対する復興増税を前倒して廃止するとか。その財源はどこから持ってくるのか。現場に行けばわかるが復興はほとんど進んでいないのが実情だ。   ところで今日の朝日新聞に嬉しい記事が載っていた。南相馬市で海岸に小高い丘を瓦礫などで作り、そこに深く根を張る雑木を全国から集まったボランティアが植えたと。横国大宮脇名誉教授が提案する「緑の長城」の一環のようだ。10数メートルの堤防建設などゼネコンが喜ぶだけである。堤防に囲まれて暮らすなど漁師の末裔としては狂気の沙汰であると考える。

地球環境が傷んで、泣いている

中国地方はかつてないような大雨とのこと。温暖で穏やかなイメージがある彼の地は、ふるさと回帰の希望先として人気が高いところであるが、そこが豪雨に見舞われているとは驚きだ。津和野なども河川が氾濫しているとのこと。かつて訪れた時にゆったりとコイが泳いでいた堀も増水し、氾濫しているようであり、あの鯉も流されてしまったのだろうかと思っている。 わが故郷・福島県相馬は河川が少なく、江戸時代の二宮尊徳の報徳農法による農業用の貯水池が各地にあった。この池が子どもたちの絶好の遊び場で、フナ釣りや夏ともなればプールがわりの泳ぎ場となる。大雨ともなれば、池の決壊を防ぐために放水を行っていた。すると放水と一緒に池のコイやフナが流され、雨上りの田んぼの用水路などに思わぬ大物が流されていたりしたものだ。 今回の中国地方の大雨を見て、そんな牧歌的なことを想うとは不謹慎この上ないが、最近の集中豪雨は桁が違う。地域全体が水没してしまうようなすごさで、気象庁も「これまで経験したことの無いような」大雨と警戒警報を出した。地球環境が傷つき、泣いているようだ。 思うに、この集中豪雨は近年のことだ。東京などでもよく氾濫するが、雨粒が大きくなっており、従来の都市計画で想定している道路の排水溝では一気に降る雨を排水できないそうだ。これも温暖化の影響ということのようだが、この集中豪雨も年々、スケールが大きくなっている。北極海の氷もかつてない程に小さくなっているそうだが、そうした影響もこの豪雨につながっている。最近は一時ほど温暖化防止を語る人が少なくなっているようだが地球温暖化は着実に進行している。改めて温暖化防止の取り組みの重要性が語られるべきだ。かくいう私もかつては連合の環境政策担当で地球温暖化防止条約締結国会議がいくつかの国で開催され、そのたびに参加し、各国の労働組合とも意見交換し、2002年のヨハネスブルクでの環境サミットにも参加している。   引き続き、ふるさと回帰支援センターを訪れていただく人が増えている。ひょっこりと近くまで来たのでとお訪ねいただく。 過日は、前福島県知事の佐藤栄佐久さんにお訪ねいただいた。昨年の「ふるさと回帰フェア2012」の前夜祭のパネルデスカッションにも登場していただき、交流会にも参加いただき親しく意見交換させていただいたこともあり、大歓迎。福島県が積極的にふるさと回帰運動に取り組むきっかけも作っていただいた方である。 また、地域活性化センターの石田理事長にもお訪ねいただいた。今回任務終了ということであいさつにみえられた。地域活性化センターとは年2回程度交流会を持って意見交換してきた関係もあり、あいさつにみえられた次第。その後、聞くところによると全国町村会の事務総長に就任されるとか、気さくなお人柄から全国の首長さんたちにも大いに影響力を行使されるものと期待している。その他にも、長野県の木島平村や秋田県三種町の首長などにもお訪ねいただいている。今後とも意見交換は望むところである。 驚いたことに、なんと安倍総理の昭恵夫人にも来ていただいた。人柄もさることながら名刺がまた素敵で、選挙区の下関(馬関)港にカモメが飛び、外洋に出る貨物船が係留され、遠くに関門海峡が描かれている図柄で、お人柄が偲ばれるものであった。ご健勝を切に祈りたい。

山梨県の実力を見た

6日、梅雨明けした。満を持したような勢いで東京は一気にむせ返るような暑さとなっている。 今年も6月最後の週に知床に行き、先週末は函館に行き、北海道の夏を経験しているので、今夏の急な梅雨明けは身体に応える。   函館は、60年安保闘争の全学連委員長の唐牛健太郎の墓建立23回忌で行ったもの。来年は没30回忌ということで、久しぶりに歴史を検証する文化講演会を函館で開催することを参加者一同で確認した。 今年の墓参りには、かつては立場を異にし、以降、叱咤激励し合う関係というのか奇妙な信頼関係にある(私はそう思っている)一水会の最高顧問鈴木邦男氏も参加された。前から一度参加したいと言われていたので誘った次第で、今回初めて実現したものである。 これまでも会えばあいさつはしてきたが、今回初めて少し話をさせていただいたのだが、義に篤い、心に響くものを持った人であった。鈴木氏も福島県ゆかりの方ということで、一緒に函館最古の寺院・高龍寺に行った。そして境内にある「傷心残目の碑」もお参りした。このお寺は最後の函館戦争の時の病院で、負傷した会津の兵が立てこもったところ。そこを突然襲った津軽や松前の兵によって医師を含む兵が惨殺され、火をつけられたことで、この碑が建立されている。143年前のこととはいえ、こうしたところにもふるさと・福島のゆかりの地があり、ひどい目に合っている。歴史の残酷さを想わざるを得なかった。     ついに記録が更新された。 といってもそれはセミナーの参加者の数についてである。昨日の岡山県の移住相談会の参加者が159組269名に達した。夕方4時で締め切ったため、相談できなかった人もあったとか。それにしてもすごい数である。中国地方の人気は衰えてはいないようだ。同日は、JR東日本と組んだ長野県佐久市のセミナーも開催された。こちらは大人の休日クラブ会員限定のセミナーであったが、こちらも満員の盛況ぶりで、ふるさと回帰運動の広がりを実感させられる一日となった。 このほど、6月一カ月の来訪者の集計が明らかになったが、何と2年前の2011年の東日本大震災以来の950件を越える数の多さになった。その理由はいくつかあろうと思うが、一番は6月から山梨県がふるさと回帰支援センター内に人員を配置したブースを開設し、移住と就職相談を合わせて対応していることによるもののようだ。来客も一カ月で170件を越えた。断トツのトップの集客である。周辺地域の相談が増えたり、負けてはいられないと周辺地域もPRに注力したこともあり、いい意味での相互作用による相乗効果による結果が生まれているのではないだろうか。事務局としてもある程度の結果は予想されたが、こんなに早く成果が出るとは思わず、山梨県の実力を見せつけられた気がする。

動き始めた高知県の移住対策 

7月になった。まだ梅雨は上がってはいないが、今日は朝から暑く、夏背広がうっとうしいような気がした。梅雨明けも近いのではないだろうか。 6月29~30日、恒例の毘沙門祭で北海道・知床に行ってきた。彼の地は前理事長の立松和平君が愛してやまなかった地で、ログハウスまで購入し、滞在したこともある地である。そこに早稲田の先輩で歌人、法華経の住職でもある福島泰樹さんの協力で毘沙門堂を建立したのが19年前、毎年例大祭を行っている。それに参加したのである。知床は、今年は寒く、5月に60cmも雪が降るなどして、知床横断道路は開通が遅れて、やっと7月1日からということだ。ただ、今回は天気が良く、暖かさも十分で知床の夏を満喫することができた。   地元の農家の人に話を聞くチャンスがあり、TPP問題について伺ったが不安は大きいようだ。このままTPPへの参加が強行されれば1/3の農家は離農せざるを得ないのではないかということであった。明治になって本格的な北海道への入植が始まって100年にはなるのだろうか、荒野を開墾し、今や広大な農地となった、豊かな大地が離農ということで荒廃していくのは悲しい。まして、この大地と格闘してきた先達を想うと他に手がないのかと心から思う。 ただ単に、利益を得ることを第一に考え、国の形や姿、食料安保や自給率の確保を考えず、アメリカの要求に屈し、国を売るようなことは「百害あって一利なし」と言わざるを得ない。すでに人心の荒廃はとめどなく広がる現状において、さらに悪化することは明らかである。「衣食足りて礼節を知る」のは当然のことである。格差社会を拡大することによって、この愛すべき国土を荒廃させてはならない。   さて、いよいよ高知県の移住への取り組みが本格化してきたようだ。5月の東京交通会館での相談会には83名の参加があり、大いに賑わったが、6月30日にもまたふるさと回帰支援センターで相談会を開催し、56名の参加者を得た。今回はゲストにビックコミック誌の「釣りバカ日誌」の主人公・浜崎伝助のモデルとも言われる黒笹慈幾さんをお呼びして、高知暮らしの楽しみ方を語っていただいた。この取り組みのキャンペーンポスタ―もまたいい。チャッチコピーは「高知県はひとつの大家族やき。」で、ちゃぶ台の前に高知出身の広末涼子が座っている。このレトロさが目立つようだ。

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