残念な鳩山元総理の引退
鳩山元総理とは同じ世代である。そんなこともあって、これまで一貫して注目してきた。しかし、いつまでたっても硬さが残る政治家であった。もう少し柔軟であってもよかったかも知れない。かつて、高知に選挙で入っていた時に民主党代表として応援に来たことがあった。帯屋町の中央公園で演説会があった。鳩山代表は、いきなり西郷南洲遺訓の一説を語り始めた。有名な「地位もいらない、名誉もいらない」というくだりだ。南国の日差しの中に立つ彼がまぶしく見えた。あれはいつのことか。
その後、政権交代があり、彼は総理になった。その頃から彼が遠くなった。気負いもあったのかもしれないが、言っていることが解かりにくくなった。結局、沖縄問題でやめざるを得なくなったのだが、言っていることは正論であった。ただ外交問題がらみの安全保障問題は相手のある話しであり、総理が言っても、成るものと成らないものがある。それは経緯があり、相手国の世界戦略もある。段階を踏んでしか、成らないことも明らかだ。本質的には国の存亡に関わる以上、簡単には行かない。これからの国のめざすべき方向をしっかりと提示し、国民的議論を背景に解決しなければならない。それを急ぎすぎた。
今回の引退は、彼らしいといえばそれまでであるが、国民には分かりにくい。庇を貸して母屋を取られたようなものだ。消費増税提案以降の民主党は、鳩山民主党とは明確に異なる。言っていることが言い訳がましく理解しにくい。今回の引退も、もう少し議論があってもよかったと考える。本人は引退すればいいが、彼を含んだ民主党を支持してきた支持者はどうなるのか。彼なり、菅氏なり、小沢氏なりがいての民主党だったはずなのだが、そういった人たちの影が薄く、すでに出た人もいる。時代の転換点なのだから、もっと丁寧な議論こそが求められたはずだ。このままでは政治家としても、総理経験者としても失格と言わざるを得ない。
総選挙も目の前だが、3・11という歴史に残る震災の後、しかも福島原発という、従来からの価値観が足元からひっくりかえるような大問題が発生し、復興への道筋も見えない中で、10を超える政党が乱立し、結局争点がぼやけている。鳩山氏の引退は氷山の一角かも知れないが、はたして底には何が隠れているのか。目を凝らして、注視が必要と考える。そして、なによりも投票は行かなければならない。