ふるさと回帰支援センター

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ふるさと回帰フェアには安倍総理夫人も参加 

9回目のふるさと回帰フェア(東京会場)は無事、終了しました。心配された雨も2時頃までは何とか持ち堪え、大きな影響を受けることもなく、胸を撫で下ろしているところです。ただ、天気の関係もあり、昨年よりは若干来場者が少ないのかなという印象でした。 全体としては、この間の底上げが図られたような盛り上がりの中にあるふるさと回帰運動を反映し、真剣にふるさと暮らしを検討している人の相談が多かったという印象です。参加した自治体の多くからも参加して良かったという声を頂きました。それも、具体的な相談が多かったとのこと。参加者も子育て世代、子連れの相談者が例年にも増して多かったようです。それは、我がふるさと回帰支援センターの調査結果を裏打ちするものでした。 会場は昨年までの早稲田大学の10号館から8号館に変更になりました。一部に証明が少し暗いところや狭いところもあり、ご迷惑をお掛けしましたが、エスカレーターやエレベーターが完備し、その面の従来からの課題は解消されたようです。 催し物については例年よりは充実していたと自負しております。とくに前夜祭については、スーパー公務員と言われる石川県羽咋市の高野誠鮮さん、コミュニティテーデザイナーの山崎亮さんの話題提供が参加者の常識を超えるもので評判がよく、面白かったという声が圧倒的でした。私はあまりテレビを見ないのですが、お2人はテレビの常連出演者のようで、会場の大隈講堂1階はほぼ満員の盛況ぶりでした。 この中で高野さんは前歴踏襲の公務員社会を批判し、結果こそが大事とアクティブに行動してきた事例を熱っぽく語られました。その秘訣は「成功するまでやめないこと」とユーモアを込めて語ったところが面白く、11年目に入ったふるさと回帰運動と重なり、共感するところが多かったです。 山崎さんはデザイナーとして取り組んできた事例から島根県の海士町で取り組みを報告、離島の地域おこしについて、入念な調査に基づいた住民の意思を重視した取り組みを報告されました。海士町は前回紹介した観光甲子園の第一回のグランプリに輝いた隠岐島前高校のあるところで、すでに多くの移住者が移り住むなど、話題の島でもあり、参加者の関心を引きました。 8日の野良着ファッションッショー(地元仕事着コレクション)の審査員には安倍総理の安倍昭恵夫人も参加し、大いに盛り上がりました。夫人はフットワークが軽く、山口県のブースにまで足を延ばし、激励するとともに、福島県金山町の市場に立ち寄り、試食したかぼちゃをおいしいと買って帰られました。地元仕事着コレクションの出演は、山形県山形市高瀬のベニバナ娘、静岡の菊川市の茶摘み娘、福島県会津地方の会津木綿を使ったさっぱがま、農家のこせがれネットワークの代表理事脇坂氏が展開するNo Logicの現代風の農作業服、いま話題の岩手・久慈市の高校生海女ちゃんなど5団体が参加。おもひでぽろぽろの舞台ともなったベニバナ娘が一等となりました。一等賞の景品は山梨市から提供された巨峰ひと箱でした。 東京のフェアの参加は42道府県201団体、1万2166名。40以上の団体が初めての参加でした。

いよいよ今週末にふるさと回帰フェアが開催します

9月7、8日に開催する「ふるさと回帰フェア2013」まで残すところ2日。 ふるさと回帰フェア担当の電話はこの間、鳴りっぱなしの状態となっている。うれしい悲鳴である。   事前申し込み制となっている前夜祭のシンポジウムや8日の田舎暮らし実践者による「仕事」と「農」トークセッションの申し込みも順調だ。コミュニティデザイナーの山崎亮氏、ローマ法王に米を食わせた男である高野誠鮮氏と、話題のパネリストが登場するとあって前夜祭の事前申し込みは400名を超えている。事務局内も緊張感が高まっている。 当日、海外出張が入っている早稲田大学の鎌田総長からのお祝いメッセージも届けられた。彼とは同世代で、在学中からの知り合いだ。総長就任を聞いた時は、時代の流れを実感させられた。 昨日4日の昼前、偶然テレビをつけてNHKを見ていたところ、ふるさと回帰フェアの開催について紹介されていた。移住を具体的に考える人から、物産・交流を希望する人まで、幅広い方が楽しめるイベントとして知名度が上がってきていることを実感している。 また、過日は最近主張が明確で面白いと評判の東京新聞が取材に来てくれた。8日の日曜日に少し大き目に紙面を割いて相談件数が急増している田舎暮らしを取り上げたいといってきた。是非、読んでほしい。 昨日届いた、有機野菜の宅配などを実施している「大地を守る会」の会報誌でもふるさと回帰フェアが取り上げられていた。大地を守る会はNPOとしての発足前からこの運動に参加いただき、事務局構成団体の一つでもある。大地を守る会は最近、中国・北京でも野菜などの宅配事業を始めるなど、積極的な事業展開を行っている。 このように、多くのメディアや協力団体を通じて、ふるさと回帰運動や活動について周知していただけるようになったことは喜ばしい。 ぜひ、全国の地域について情報を知る機会として、ふるさと回帰フェアにみなさんに足を運んでいただきたい。

9回目のふるさと回帰フェア 

東京はここ数日、めっきり朝夕涼しくなってきました。暑かった夏が通り過ぎようとしているようです。日中の暑さは相変わらずですが、やっぱり暑さの質が違うようです。 今年のふるさと回帰支援センターは早稲田大学の都合で例年より2週間ほど繰り上がり、9月7日(土)前夜祭、8日(日)の両日です。お間違いのないよう日程のチェックをお願いします。 http://www.furusatokaiki.net/fair/2013/ 内容は盛りだくさんで1日だけではもったいないようなものとなっています。 見どころは、メインの「ふるさと暮らし自治体相談コーナー」です。このコーナーには東京・大阪あわせて42都道府県から300団体が参加となりました。北海道から九州まで、これだけの自治体が一堂に会する田舎暮らしのイベントは他にありません。 田舎暮らしは地域ごとの楽しみ方もあります。どのような暮らしが可能なのか、ブースめぐりも楽しいかもしれません。また、今年の特徴は話題の若者が集合し、それぞれの分野での活動を語ることです。近年の若者の田舎暮らし希望者の増加を反映した企画です。きっと田舎暮らしを検討している方の参考になるはずです。 具体的には、前夜祭には石川県羽咋市のローマ法王に羽咋市のお米を食べさせたスーパー公務員として有名な高野誠鮮さん、それにNHKのニュース番組でコメンテーターを務めるコミュニティーデザイナーの山崎亮さんが出演し、「地域おこしの仕掛け方について」をめぐってデスカッションします。 8日の本番では各地の若手の起業家が「地域の未来つくる働き方」をテーマに語り合います。コーディネーターは自らも起業家として知られるナカムラケンタさんです。また、もう一つのコーナーでは「農的ライフを始めよう」をテーマに新規就農者や半農半Xの実践者が、農家のこせがれネットの宮地勇輔さんをコーディネーターにトークセッションを行います。 どちらも、田舎暮らしの内容をさらに豊富化するために欠かせないテーマであり、申し込みも相次いでいます。ふるさと市場の特設ステージでは、ゆるキャラショーのほか、地元仕事着コレクションという農作業や地域産業の作業着に身に纏った、地域のこれからの担い手たちが、地域や産業への魅力を語ります。なんと、朝の連続テレビ小説でも話題の「あまちゃん」のふるさと、岩手県久慈市から現役高校生あまちゃんも登場予定です。 この辺が、現在のふるさと回帰運動の到達点と言ってもいいでしょう。最近のふるさと回帰運動の盛り上がりを反映した中身の濃いフェアを目指しますので、乞うご期待です。 先週の日曜日は、今年で5回目の開催となる観光甲子園に出席するために、神戸夙川学院大学に行きました。初回から審査委員を仰せつかっている関係からの出張でした。北海道から沖縄までの75校が参加し、本選には予備選を勝ち抜いた10校が出場し、グランプリの文部大臣賞、観光庁長官賞を争いました。 年々、レベルが上がり、今年も激戦でした。それぞれの審査委員の着目点が異なる面も在り、票が割れ、いずれも甲乙つけがたく、大変でした。そして、文部科学大臣賞は鳥取県立智頭農林高校、観光庁長官賞には愛知県立愛知商業高校がめでたく選ばれました。地域の文化や歴史、地域の伝統野菜や観光資源などを組み合わせ、高校生ならではの観光企画は郷土愛にあふれたものも多く、ふるさとや地域の見直しにも繋がる素晴らしいものでした。この取り組みがさらに拡大していくことを願わずにはいられませんでした。

四万十川から鮎が消えた

立秋も過ぎ、お盆休みも終わったが東京はまだ暑い。過日は、ついに国内の最高気温が更新された。その記録を更新した四万十市を流れる四万十川から名物の鮎が姿を消したとのこと。調べると川の水温が上がりすぎて、支流からの冷たい水が流れ込む上流に鮎が逃げたとのこと。この鮎、ふるさと回帰支援センターが入っている東京交通会館の裏、銀座1丁目にある高知県のアンテナショップの2階の「おきゃく」というレストランで、炊き込みご飯で食することができる。季節限定で、ちょうど今が旬、一度試したらいかがでしょうか。思わず掻き込みたくなるほどうまい。 7月の問い合わせ件数が明らかになった。その数、悲願であった月1000件をクリアした。一口に1000件と言っても、関係者にとっては夢のような数字である。10年前を思い出すと月20~30件という時代が続いた。それが近年は急増しているのである。しかし、1000件は夢の数字だった。 7月は相談件数が多いのはこの間明らかになっていた。今年、ついに1000件を越えた理由はいくつかあるが、①はセミナーの開催が多かったこと。しかも人気の岡山が250名以上を集めたことが大きい。ふるさと暮らし情報センターで開催されるセミナーだが相談者からも自治体からも人気が高く、すでに予約件数が昨年度を上回り105回に達している。うれしい悲鳴というところである。②しかもこの間、明確な形で田舎暮らしを希望者する人が増えていることは、わざわざ有楽町の事務所まで足を運ぶ人が増えていることからからも明らか。現場にいると、それがはっきりとわかるように状況である。しかも、それがなんとIターンがUターンの3倍もの数になっているのである。都会暮らしに見切りをつけて田舎暮らしを目指す、田舎に戻るのではなく、である。これははっきり言って文明論的観点から何かが始まったのではないだろうかとすら考えてしまう。喜ばしいことである。もうこの辺りで、物質的豊かさを絶対とした価値観を見直す段階に入ってもいいのではないだろうか。 ここにきて今、北陸地方が熱い。2015年春の新幹線の乗り入れを前に、いかにして首都圏から人を呼び込むのかに知恵を絞っている。思うに、北陸地方はその豊かな暮らしがあまり知られていない。その豊かさをもっともっとアピールしてもいいのではないだろうか。富山県の北陸新幹線のキャンペーンのキャッチフレーズがいい、「映画一本の時間で、映画のような世界へ」だ。新幹線が入れば富山まで2時間7分で繋がることからのコピーだ。写真は冬の富山湾の向こうに雪をかぶった真っ白な立山連峰。一度有楽町にそのポスターを見に来てほしい。

芸術・文化の町づくりもある

 8月に入って、猛暑が続いている。40度を超えるというのははっきり言って異常気象と言っていい。中国も上海など南部は猛暑で、黒竜江省など北部は大雨で洪水だそうだ。日本も各地がゲリラ豪雨に見舞われ、被害が出ている。総じて、日本海側の各地がやられているようだ。一方、太平洋側は日照り続きのようで、一般的に雨の多い紀伊半島も水不足が深刻なようで、和歌山県の定住センターがある南紀の古座川町も日照りが続いており、大変だと過日の業務報告にあった。  過日、石川県の2年先に新幹線が入る石川県の対策会議に参加させていただいた。北陸3県の内、石川県だけが私どものふるさと回帰支援センターと本格的な連携が取れていなかった。富山や福井と比べ、金沢を抱えるだけに求心力があり、別に取り立ててふるさと回帰運動に参加しなくても何とか形がついているという認識のようであった。しかし、ここ数年、様子は少し異なってきている。ふるさと回帰運動が活性化してきているようだ。さらに能登を中心に県内も過疎が深刻になり始めてきた。加えて、いよいよ2年先には新幹線が入り、首都圏と2時間半で結ばれる。このチャンスを逃がす手はないと、やっと重い腰を上げ始めたのである。金沢を抱える石川県はなんといっても加賀100万石、文化の香りがする町だ。かつては、団塊世代なら知らない人がいない、かの五木寛之氏も金沢に住んだ時代があり、ちなんだ小説も何冊か書いている。文化を売りにするだけで十分に売りになる。この特徴を生かした暮らし方を提案することは新しいタイプの取り組みになる。県の観光プロデューサー氏も対策会議では「観光の先に移住がある」と話しておられた。  そういえば、10日の朝日新聞のBeに古くからの友人である北川フラム氏が取り上げられていた。40数年前からの知り合いで、懐かしき人である。新潟県の妻有で大地の芸術祭を提案し、成功をおさめ、最近では瀬戸内ビエンナーレを仕掛け、大きな成果を上げている。芸術や文化を媒介にした地域活性化は大きな可能性を含んだ取り組みであると考える。全国各地で、芸術家を受け入れながらの地域再生で成果を上げているのは、最近では徳島県の神谷町がそうだ。 友人の活躍がマスコミに登場することはうれしいことだ。よし、もう少し頑張ってみようかという気になる。さらなる活躍を期待したい。  明日からふるさと回帰支援センターはお盆の休み、頼まれている観光甲子園の審査会の資料を読むことにしている。お盆はふるさとが近くなる時期だ。それぞれのふるさとを考えて見るにはよい機会だ。

大山村塾(千葉県鴨川市)で講演しました

13日に千葉県鴨川市の大山村塾において、「ふるさと回帰運動の10年を語る」と題して講演しました。 ふるさと回帰支援センターにとって彼の地は、2番目の地域版のふるさと回帰支援センターが設立されたところです。鴨川には、数年前にジャーナリストの高野孟さんがIターンで移住し、昨年4月から地元の大山小学校の廃校跡地を借りて大山村塾を開校しています。今回は、そこで前回講師を務めた菅原文太さんに続き、講演を頼まれた次第です。 関東地方は、ここ2週間ほどは茹だるような暑さで、当日も酷暑そのもののような暑さでした。ただ、会場は廃校の体育館ということもあって、風が吹き抜け、その風はふるさとの母校の体育館での夏休みの合宿を思い出させるような、草木の匂いを含んだ快いものでした。 鴨川市のふるさと回帰支援センターの昨年度の問い合わせ件数は270件とのこと。ふるさと回帰運動全体の盛り上がりを反映した結果となっているようです。塾が設立されている大山地区には多くの移住者がおり、コミュニティ・カフェもあり、移住した陶芸家の方から記念のぐい飲みを、高野さんからは20年物の日本酒の古酒をいただき揚々と帰ってきた次第です。 地域に人が移り住み、塾が開校され、たまり場としてのカフェがあり、さて次は何が必要なのでしょうか。 直会のビールの酔いの中で私は、その廃校を地域のセンターとして活用できないかと考えました。そして、過疎化が進む房総半島全体を射程に入れて、首都圏からの田舎暮らし希望者の宿泊可能な研修センターを展望したいと思いました。ふるさと回帰支援センターの6月の問い合わせ件数は960件を越えています。これは3・11の東日本大震災直後に匹敵する数です。前回で紹介したとおり、山梨県への問い合わせが全体の問い合わせ件数を押し上げていますが、そのうち約60%は悠々自適を希望するシニア世代です。 千葉県の場合、地域的にも東京から近く、山梨県に負けず劣らずの有利な条件下にあります。しかし、現在まで県は動きが見えません。房総地域の各自治体は鴨川市をはじめ、館山市、南房総市、いすみ市など、それぞれの自治体はここ数年、必死になって動いてきました。しかし、市町村ではおのずと限界があります。そろそろ県の出番と思っています。ようやく県としてもふるさと回帰支援センターの会員にもなって頂いたので、これからの動きに期待したいと思います。ちなみに先月の希望地問い合わせランキングでは千葉は5位です。 9月のふるさと回帰の準備も遅ればせながら順調に進み、ポスター・チラシは今日、出来上がってきました。イラストは団塊世代には懐かしいマンガ「あしたのジョー」の作者のちばてつや先生に書いていただきました。チラシが欲しい方は、ご送付いたしますので事務局までご一報ください。

山梨県の実力を見た

6日、梅雨明けした。満を持したような勢いで東京は一気にむせ返るような暑さとなっている。 今年も6月最後の週に知床に行き、先週末は函館に行き、北海道の夏を経験しているので、今夏の急な梅雨明けは身体に応える。   函館は、60年安保闘争の全学連委員長の唐牛健太郎の墓建立23回忌で行ったもの。来年は没30回忌ということで、久しぶりに歴史を検証する文化講演会を函館で開催することを参加者一同で確認した。 今年の墓参りには、かつては立場を異にし、以降、叱咤激励し合う関係というのか奇妙な信頼関係にある(私はそう思っている)一水会の最高顧問鈴木邦男氏も参加された。前から一度参加したいと言われていたので誘った次第で、今回初めて実現したものである。 これまでも会えばあいさつはしてきたが、今回初めて少し話をさせていただいたのだが、義に篤い、心に響くものを持った人であった。鈴木氏も福島県ゆかりの方ということで、一緒に函館最古の寺院・高龍寺に行った。そして境内にある「傷心残目の碑」もお参りした。このお寺は最後の函館戦争の時の病院で、負傷した会津の兵が立てこもったところ。そこを突然襲った津軽や松前の兵によって医師を含む兵が惨殺され、火をつけられたことで、この碑が建立されている。143年前のこととはいえ、こうしたところにもふるさと・福島のゆかりの地があり、ひどい目に合っている。歴史の残酷さを想わざるを得なかった。     ついに記録が更新された。 といってもそれはセミナーの参加者の数についてである。昨日の岡山県の移住相談会の参加者が159組269名に達した。夕方4時で締め切ったため、相談できなかった人もあったとか。それにしてもすごい数である。中国地方の人気は衰えてはいないようだ。同日は、JR東日本と組んだ長野県佐久市のセミナーも開催された。こちらは大人の休日クラブ会員限定のセミナーであったが、こちらも満員の盛況ぶりで、ふるさと回帰運動の広がりを実感させられる一日となった。 このほど、6月一カ月の来訪者の集計が明らかになったが、何と2年前の2011年の東日本大震災以来の950件を越える数の多さになった。その理由はいくつかあろうと思うが、一番は6月から山梨県がふるさと回帰支援センター内に人員を配置したブースを開設し、移住と就職相談を合わせて対応していることによるもののようだ。来客も一カ月で170件を越えた。断トツのトップの集客である。周辺地域の相談が増えたり、負けてはいられないと周辺地域もPRに注力したこともあり、いい意味での相互作用による相乗効果による結果が生まれているのではないだろうか。事務局としてもある程度の結果は予想されたが、こんなに早く成果が出るとは思わず、山梨県の実力を見せつけられた気がする。

NPO総会が開催されました

第15回NPOふるさと回帰支援センター総会が21日に開催された。総会に先立って理事会が同日午前11時から東京交通会館地下2階会議室で開催され、総会議案等を原案のまま、承認された。理事会には11名の理事の内、6名が出席。書面議決書で意思表示が5名。代理が3名出席し、傍聴した。監事も1名出席した。 総会は会員総数264名中26名が出席。委任状による出席が108名、同計134名で成立した。今年は理事改選の年に当たり、3号議案で新たに1名の理事を追加し、12名体制で運営する提案をして、原案通り承認された。 昨年秋に、NPOとして設立されて10年が経過したことを踏まえ、マンネリ化を排し、さらに創造力豊かに都市と農山漁村との交流・移住推進に取り組むことを基本にした事業報告、事業計画についても、原案通り承認された。   先週末、久しぶりに鳥取県自治研センター主催のシンポジウムに参加するために鳥取県を訪れた。だいぶ暑くなっていたが、穏やかな気候で空港に降り立った際に、何だか癒されるような気分にさせられた。 羽田空港では学生時代の後輩とばったり会った。なんでも母方が鳥取県出身とかで墓参りに行くところとのこと。彼は今を時めく村上春樹氏と高校、大学と一緒で、ジャズを愛し、かつては村上氏とはとても近い関係だったとのこと。現在は広告代理店を経営し、小生も株主の一人になっている。ふるさと回帰支援センターのロゴマークは彼の会社の提案で始まった。   シンポジウムは、人口減少社会における若者の雇用と定住に関する調査研究として鳥取県内の居住意向調査等に関する若者の意識調査結果を踏まえて開催された。テーマは「人口減少社会における定住・移住にむけた町づくりー2×××年 鳥取県が消えてなくならないために―」とされた。調査結果からは県内の高校生は50%が県内進学を希望、県外進学は8%に留まった。しかし、県外就職は8%に留まり、県外は18%と地元志向が明らかになった。 この結果を踏まえ、シンポジウムは行われ、私は基調講演とパネリストとしてのコメントを求められた。古巣の自治労の要請とあらば何はさておき駆けつけるのが浮世の義理というもの。精一杯務めさせていただいた。 講演内容は10年間のふるさと回帰運動の動向と現段階の課題について。団塊世代の地方回帰で始まったふるさと回帰運動も、団塊世代から若者へ、さらに子育て世代へと拡大し、10年掛かって社会運動として一定の評価をいただくようになったことを語った。特に、近年の著しい若者の田舎暮らしの増加について語り、ふるさと起業の重要性を強調させていただいた。 石に上にも3年と言われるが、全国的な規模の社会運動をそれなりのものにするのには結局、十年かかったということも率直に語った。10年継続できたのは何も自分がやったのではなく、多くの団体や個人の協力があったればこそと思っている。幸運だったということに尽きるような気がする。

6月に想うこと

季節外れの台風が来ているようで今日は雨。梅雨に入ったはずなのに雨も降らず、降ったと思ったら台風の雨が降り、今年は天候不順である。何かが少し狂っているようだ。 前回も書いたが、山梨県のブースには順調に来訪者が訪れて、2週間足らずで40名の来訪者になろうかという状況となっている。もともと「週末は山梨にいます」というキャッチコピーで2地域居住の取り組みで成果を上げ、田舎暮らしでは八ヶ岳山麓を中心に数千名の居住者を数える地域だけにそれなりの反応は予想されたが、折からのふるさと回帰運動の盛り上がりもあって上々の滑り出しとなっている。 また、最近明らかにされたが人気の中国地方の鳥取県が2012年度で県外からの移住者が前年度比で4割増の706名に達したとのこと。中国地方では一番早くから東京と大阪のふるさと情報センターにブースを構え、積極的な移住者の確保に取り組んできたが、その成果が出たというところである。移住前の居住地は大阪が93名、東京が77名、兵庫が76名とのことである。   6月は企業の株主総会の季節でもあるが、NPOの総会の季節でもある。古くは1960年の安保闘争も6月に岸総理(安倍総理の御祖父)打倒と学生や労働者など数十万人が全国から集まり、幾重にも国会を取り囲んだこともあった。こうしたことから、6月の声を聴くと、とりわけ思うことがあり若き日の頃の様々なことを考える。 今週末の15日には20年前に立ち上げたNPO法人プロジェクト猪の総会が予定されている。このNPOは団塊世代のネットワークで私が代表である。今年の記念講演は団塊世代の政治家の代表でもある鳩山由紀夫元総理が「権力の中枢でみたこと」をテーマに祖直な話をしていただくことになっている。 次週の21日はふるさと回帰支援センターの総会。1年間の事業報告とこれから1年の事業計画が提案される。3・11をきっかけに大きく盛り上がってきたふるさと回帰運動の在り方をめぐって活発な意見交換をできることを期待したい。   さらに6月は紫陽花の季節。雨に打たれた紫陽花は、それはそれで風情のある花で好きな花の一つである。 一句  「紫陽花に 心奪われ 雨の中」

地銀が県と移住推進で協定かわす

6月になった。5月下旬に梅雨入りしたが、もう梅雨の中休みに入ったようで、今週は晴れた日が続くとのこと。昨日は、過日、講演に呼ばれた神奈川県大磯町でNPO大磯大好き倶楽部主催の地引網大会に参加してきた。当初は雨模様との天気予報だったが、梅雨前線が南に下がったこともあり、薄日が差す絶好の地引網日和となった。相模灘に面した大磯町は古くから地引網が行われていたようで、現在でも2軒が継続的に行っているとのこと。砂浜が続く海岸線は見渡す限り、遠くまで砂浜が続いており、その先には雪を頂いた富士山が美しい姿を現し、まさに絵のような景色となっていた。 私の地引網の体験は何と50年以上も前のこと。いまは相馬港となってしまった相馬市原釜(はらがま)は、かつては美しい遠浅の砂浜が隣町の新地町釣師浜(つるしはま)まで続き、それは美しい白砂青松の浜であった。初夏ともなれば、子どもたちが集まり、延々と網を引き、鯵やサバ、ヒラメなどが面白いようにかかったものだ。小鯵などは手で頭を取り、指で三枚に開き、さっと海で洗い、口に放り込む。なんともいえない旨さであった。 この白砂青松の風景は、太平洋側の東北地方にはどこにもあった風景であることが今回の東日本大震災で知った。かの奇跡の一本松で有名になった陸前高田市の高田松原も多分同じような風景であったのではないだろうか。この懐かしい風景も全国各地で残っている地域は数えるくらいしかないのではないか。多くは、景観ぶち壊しのテトラポットで埋め尽くされているようだ。淋しい限りである。さらに、今回の東日本大震災で海岸線は10mを超える防潮堤で取り囲まれることになる計画のようだ。せめて、森の長城で国土を守ってほしいと願うのは私だけではあるまい。   今月から、山梨県が「やまなし暮らし情報センター」をふるさと回帰支援センター内に開設した。1日には横内知事も参加したシンポジウムが開催された。パネリストにはやまなし大使を拝命しているシンガー・ソングライターのイルカさんも参加。30年以上別荘として山梨県に住んでいる経験を踏まえた山梨県の魅力を語った。この開設セレモニーに先立つ5月31日には県と山梨中央銀行が協定を結び、17の支店長・営業所長がアドバイザーとして移住相談に応ずるほか、各支店内の大型テレビで移住を呼び掛ける映像を流す。さらに、古民家のリフォーム資金の低金利融資など、移住につながる商品の開発も行うことにしているとのこと。こうした定住人口の確保を目的に県と地方銀行が協定を結んだケースはない。成果が注目されるところである。 先月からの山口県と高知県のブース開設に引き続く山梨県のセンターの開設で、ふるさと回帰支援センターの田舎暮らしを希望する都市住民に向けた求心力はさらに高まるものと期待が高まっている。 移住希望者の絶対数が急増している現状を固定化し、さらなる道府県のブース開設により、人口減を上回るふるさと回帰者の増加をめざし、地方人口の持続可能な形での増加を目指したいものだ。そのためには、全国各地でのモデルとなるような田舎暮らしのケースを発掘したいものだ。

桜舞う入学式を想う

4月は入学式の季節だ。 山梨県早川町は南アルプスの山麓に位置する町だが、この日本一人口の少ない町の小学校で2年ぶりに入学式があったという。新入生の3名はいずれも首都圏からの移住者の子どもたちだ。早川町は給食費など学校に関わる費用の無償化を打ち出すなど独自の制度で移住者を呼び込む施策を進めている。 さらに、この小学校では山村留学にも積極的で町民有志による応援団も組織され、昨年度は県外から5世帯が移り住んでいる。粘り強い取り組みがやっと成果を上げたといっていいだろう。さらに、町内にある岩殿神社の春の例大祭では6年ぶりに子どもみこしも復活したとのことである。こうしたところにもふるさと回帰運動の成果が表れている。   4月に入って、この間の問い合わせ・来訪の件数も明らかになっている。2月は問い合わせ・来訪数が700件を超え、3月も520件と多かった。2012年度の来場者数も昨年比183%増と急増している。 事務所を東銀座から有楽町駅前に移転したことが大きかったことと、ふるさと回帰運動が社会的に定着したことによるものと思われる。加えて、移住を具体的に検討し始めた方が増えことによるものと言える。 また、各会員自治体からセミナーを開催したいという希望も多くなり、ブースを開設している自治体に限って日曜日の開催を決意した。   【お知らせ】 1月9日のブログで紹介した宮崎県高原(たかはる)町の将来人口1万人を目指した「1万人の笑顔あふれるたかはる復活創造事業」が本年度から始まり、「高原町移住支援金交付事業」の詳細が寄せられた。詳しくは同町の定住推進室(0984-42-2115)へ問い合わせてください。   私の入学式は59年前だ。入学した相馬市中村第二小学校には桜の木が多かったような記憶がある。その桜吹雪の中、真新しい帽子をかぶり入学式に臨んだことを思い出す。忘れていたが昨夜、弟から電話があった。明日10日は母の命日で59回忌だという。母は小学校に入学して一週間で亡くなった。そうしたこともあって、入学式には叔母が参加してくれた。その思い出も遠い。 残念なことがある。ふるさと相馬は福島原発の北に位置する。その原発事故現場で放射能に汚染された水の漏水が止まらないという。政府は終息宣言を発しているが地元ではだれもそうは思っていない。この漏水が海に流れ込むことは必至だ。これでさらに私の愛するあの美しいふるさとの海はさらに汚染が進む。この悲しみと怒りをどこにぶつけたらいいのか。事故からすでに2年、東京電力は危機管理すら出来ない組織に成り下がっているようだ。この企業体質、無責任の度が過ぎる。

熱い想いが人を動かすのではないか?

毎年、政府予算が固まる段階にあわせて、各自治体の担当者を対象にした研修セミナーを開催してきました。今回は12月に政権が交代し、政府予算が固まるのも遅かったため、例年よりも若干遅れての開催となりましたが、今年も30道府県57団体69名の参加で開催しました。   今年で8回目となるこのセミナーは、都市と農山漁村の交流・移住に取り組む総務省、農水省の担当課長が来て、それぞれの省の政策や予算について説明するなど、他の団体では聞くことのできない中身の濃いものとなりました。   また、記念講演は養老孟司先生(脳学者)に「ふるさと回帰に求められる人物像とは」をテーマにお話しいただきました。先生はその中で、人の命はだれのものかという問題提起を行い、子どもの自殺問題に触れながら、人の命はその人のものではなく、まして子ども自らが命を絶つなどということはあってはならないことだと言い、こうした社会状況の問題を指摘されました。   2日目は明治大学の小田切先生が「ふるさと再生と外部人材」をテーマに問題提起。 ふるさと再生の戦略とその具体化にふれ、ざわめきを作ることの大切さを上げ、そのためにも交流事業の重要性を指摘されました。そして、誇りの持てなくなった地域は消滅していくと語られました。この問題提起は分かりやすかったと参加者からも好評でありました。   先進事例報告は、最近話題の徳島県神山町NPOグリーンバレーの大南理事長が「創造的過疎を目指して」と題して報告。町の将来にとって、必要と思われる「働き手」「起業家」を逆指名するワーク・イン・レジデンスの取り組みや神山町移住交流支援センターでは地域課題の解決に貢献できる人や、起業家・子どものいる若者夫婦を優先して支援するなど、明確なまちづくり方針に基づいて運動していることなどを紹介しました。   こうした内容から、今回のセミナーは参加者アンケートの回答は約90%の参加者が「非常に良い」「よい」と答えるなど、成果のあるものとなりました。こうしたことから言えることは、惰性を廃し、日々新たな気持ちで一つ一つのことに熱い想いを込めて取り組むことこそが共感を呼び、人を動かすのではないかということです。 主催者として、できる限り参加者の問題意識に寄り添う形での運営に心掛けたことがあってこそ実現できたことだと改めて感じました。   16日の熊本県が主催する移住相談会には現在のところ53組94名の参加申し込みがあるなど、初めての相談会としては参加予定者数も多く、西日本への人気の高さを証明するものとなっています。 今こそ、各地の受け入れ態勢の整備とふるさと回帰運動への参加が求められている時期はなかったのではないでしょうか。また、移住希望者を呼び込むためのブース開設も、余地がありますので是非検討いただきたいと思います。

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ふるさと回帰支援センターが設立10周年に

11月13日、東京交通会館でふるさと回帰支援センターの設立10年のお祝い会を開催した。一口に10周年と言っても山あり、谷ありで大変であった。しかし、過ぎてしまえばそれらもみんな懐かしいことのような気がする。当日はJA全中の萬歳会長をはじめ、構成団体からの理事各位や会員自治体関係者など150名の方々が出席され、大いに盛り上がった。萬歳会長は「JA全中としても、この運動を引き続き、しっかり支えていきたい」と決意を語った。   このお祝い会は2部構成で、1部は顧問の菅原文太氏の記念講演。この中で菅原さんは率直に「10年になるか、よく頑張った」と感想を話され、また最近マスコミを賑わせている「いのちの党」にも触れ、人が粗末に扱われているいまの社会を抜本的に壊さなければならない、と語った。   その後、遠野山里ネットからの差し入れ、遠野産のホップで作られているビールで乾杯、10年間の歴史を振り返った。ここ数年のふるさと回帰運動の盛り上がりもあって、会場では、様々なグループが思い思いの感想を述べ合い、用意したビールはすべて売り切れた。また、参加者には記念のマグカップと10年史が配られた。   この間、取り組んできた内閣府の復興支援型地域社会創造事業のインキュベーション事業が、10日の福島市で開催した18回目のビジネスコンペでの9名の認定者で予定された90名の起業家の認定を終了した。応募者総数は231名、合格率39%であった。後半の応募者は被災3県を中心に各地で開催されたインターンシップ事業の180時間の研修を終えた方々が応募されたこともあって、合格率が高かった。1000年に一度とも言われた東日本大震災からの復興は、日が暮れて途遠しの感もあるが、起業家の事業が成功するよう引き続きしっかりとしたフォロー体制を組み、応援する決意である。    

盛りだくさんだったふるさと回帰フェア2012(東京会場) | ふるさと回帰支援センター VIEW MORE

盛りだくさんだったふるさと回帰フェア2012(東京会場)

早稲田大学でのふるさと回帰フェアも4回目、通算で8回目の「ふるさと回帰フェア2012」も無事、終了した。台風の余波の影響で空模様は怪しかったが何と持ち、終了後に雨が降った。参加自治体、参加人数は、ほぼ昨年並み。秋の3連休という絶好の行楽日に重なった割には健闘したのではと考える。ただ最近のふるさと回帰運動の高まりを反映したものとなったかどうかは?がつくものであった。 今年は前夜祭と本番とも、予算の関係もあり記念講演ではなくシンポジュウム2本を用意した。前夜祭は「ふるさと暮らしから考えるエコな暮らし」をテーマにパネルデスカッションを行ったが、原発問題が前面に出たパネルとなってしまった。それはそれで大切なことであるがふるさと回帰にうまく話しをつなげられなかったことはコーディネーターの問題であったと反省している。ただ、各パネリストはユニークで、各界で活躍中という人が多く、発言も面白く大いに学ぶところもあった。とくにキャンドル・ジュン氏は有名女優のご主人で、全身タツーという姿が目を引いたが、心はきれいな方で、そのピュアな考え方や生き方には大いに共鳴するものがあった。 本番の17日のシンポジュウムは「東日本大震災の復興のキーワードは何か」をテーマに、現在被災3県で復興支援型の地域社会雇用創造事業に取り組んでいる4団体の代表が勢ぞろいした。問題提起は金子郁容慶応大教授が行い、パネルデスカッションに入った。 金子教授は政府の新しい公共円卓会議(鳩山内閣)や新しい公共推進会議(菅内閣)の座長を務めたこの分野の第一人者で、パネリストはいずれも論客とあって、中身の濃い討論が行われた。(詳細は11月上旬発行100万人のふるさと秋号) 特に東日本大震災の復興がハード面のみが重視されていることに対する批判や地域住民の自立にはソフト面、とりわけ起業家の育成が欠かせないことなどが、具体的事例を挙げながら語られた。 このシンポジュウムに引き続いて行われた「復興六起」の第6回ビジネスコンペでは6名の発表者に対し3名の起業家が認定された。これらのテーマはふるさと回帰運動の発展形として、若者のふるさと回帰に伴い、若者が地域で暮らすためには不可欠なもので、日本社会の活性化には避けて通れない課題となっているものである。 また、ゆるキャラフェスティバルや野良着ファッションショ―、ニッポン全国ふるさと市場も開催され、フェアを盛り上げた。

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