ふるさとブログ

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木枯らし一番が吹いた

一昨夜、木枯らし一番が吹いた。寒気団が南下しているようで今日も寒い。コートを引っ張り出し、首にはマフラーを巻いて出勤した。北国では雪も降ったようだ。   本日、毎月出している相談センターのマンスリーレポートがまとまった。東京、大阪ともに10月の相談件数は890件台、健闘しているといっていいようだ。 傾向は、50代、60代で全体の50%を占めていること。定年延長も終わり、やっと団塊世代が動き出したとみていいだろう。 さらに、特徴としては秋田県が健闘し、相談件数ランキングでも4位につけていることだ。秋田県は、東北では福島県に次いで早い段階からふるさと回帰運動に取り組んできた。しかし思ったほどには成果につながらなかったが、粘り強く取り組みを継続してきたことが功を奏している。加えて、3・11の東日本大震災以降、学生のUターンが増加傾向にあり、さらに成人のUターンも増えていることから、毎週土曜日にふるさと回帰支援センターで行っているAターン(秋田のA)も人気となり、成果を上げているのだ。この取り組み、半年や一年では簡単に結果は出ないが、継続的に取り組めば自ずと結果につながる。秋田は良い例のようだ。また、今年になって県内にNPO法人秋田移住定住総合支援センターが設立し、定年後Uターンした荒谷氏を理事長に迎え、受け皿づくりもできたことも大きいのではないだろうか。この荒谷氏、弁も立ち、行動力がある。地元秋田魁新聞にコラムを連載している優れ者、面白い展開になりつつある。   今日は朝から「ふるさと再生行動する首長会議」の打ち合わせを行った。たまたま上京した市段階の代表世話人の熊本県天草の安田市長と久しぶりに話した。安田氏は、かの細川護煕元総理の秘書だった人で、人脈も広く話題も豊富な人で盛り上がった。首長会議は、一昨年の9月に3年1期でスタートした。ちょうど今年が3年目、なにが出来て何が出来なかったのか大いに反省しなければならないところだが、解散するには惜しい。いま頭を悩ませているのは、これを今後どうするか。誰か運営を支えていただける方がいれば、何とか継続していきたいと思っている。   過日、山陽新聞の東京支局長が訪ねてきた。用件は、日比谷のプレスセンターに入っている地方紙8社の支局長会で最近のふるさと回帰運動の話をしてほしいということであった。それが、今日の昼食時にあった。大分合同、秋田魁、新潟日報、信濃毎日、高知の各新聞が集まった。初めてのことだが、こうした会に声がかかるのはそれだけ運動が社会化したことだ。これらのすべての新聞で過去に取り上げてもらったことがあり、和気あいあいで楽しいひと時を過ごした。

有楽町でセンター初の物産展を実施

今日は立冬だ。一年が過ぎていくのが早く感じる。9月のふるさと回帰フェアとて、もう2カ月も前のことになる。 そのフェアの特集号となる「100万人のふるさと 2013秋号」は11月15日に発行となる。巻頭言は県民人口が60万人を割り込み、懸命に移住者の呼び込みに奮闘する鳥取県の平井知事にご寄稿頂いた。鳥取県は平成24年実績で434世帯706名の移住者を受け入れるなど、成果を上げている。これからがいよいよ本番、大いなる成果を期待したい。知事自らが奮闘する鳥取県は受け皿もしっかりしており、お勧めの移住先の一つである。 先週の週末、事務所がある有楽町駅前の東京交通会館の1階のマルシェスペースで、ふるさと回帰支援センターとして初めての物産展を行った。 福島県の川俣町から、今年の農作物のテスト販売をしたいので協力してほしいとの要望を受け、その物産展の企画及び運営を請け負った。コーナーには大勢の方が買い物に来られ、中には段ボールで大量に買い物をする方もあり、地元から参加された生産者の方々は大満足で帰られた。 せっかく交通の便がいい交通会館に拠点を構えているので、有効活用しない手はなく、今後とも希望があれば各地の物産の販売に協力したいと考えている。特に、有楽町は各道府県のアンテナショップが軒を連ね、各地の生産品を買い求めるお客は引きも切らず、各地の名産品のテスト販売には絶好の場所のようで、週末ともなればこの会館の一階はお祭り騒ぎという状況だ。 過日の園遊会で山本太郎参議院議員が陛下に手紙をお渡ししたことがマスコミを賑わせている。直訴に及ぶとは何事だと怒る人もいれば、かつてのような権限もないのだからいいではないかという人もいる。さらには、平成の田中正造だと持ち上げる人もいる。 私に言わせれば、ちょっと軽率過ぎはしないかというのが率直な感想だ。直訴されても陛下もお困りではないだろうか。まして平成の田中正造など、評価し過ぎもいいところだ。田中正造は、議員を辞職し、遺書をしたためて直訴に及んでいる。まさに命を賭しての直訴であり、比べようもないことである。田中正造については、わがふるさと回帰支援センターの前理事長の立松和平氏も何冊か小説に書いている。興味のある人はセンターにある立松和平文庫から借りて、一読を進めたい。

地球環境は傷んでいる自然との共生・持続可能な暮らしを目指して

今年は台風の当たり年のようで、10月も下旬だというのに毎週のように台風が日本列島を襲ってきている。先週、伊豆大島では数百年前の三原山の噴火で降り積もった火山灰が、台風26号による800mmともいわれる降雨の影響で地滑りを起こし、10月22日現在で29名にも達する死亡者が出ている。恐ろしいことである。 まず、800mmにも達する降雨など信じられない雨量である。これも地球温暖化によるものであることは自明だ。今年は海水温が通常より3度も高いという。高いから台風が発生しやすく、しかも大型になりやすい。 伊豆大島の地滑りについては、道路を作ったことがきっかけになっているのではないかと友人が指摘している。数百年前に降り積もった火山灰はそれなりに固まっていた。しかし、道路を敷くためにその一部を削り取った。そこに大量の雨水が浸み込み、地滑りを起こしたのではないかというのだ。ありえないことだとは言えない。人間の過信がなせることで、大島に住むことのできる人数のキャパシティを超えて人が住み、乱開発されたことが根源にあるのではないだろうか。 今日現在、南太平洋には27号、28号と二つの台風が日本列島を窺っている。週末にはまた日本に近づくようだ。先週の台風で大きな被害を出している伊豆大島町は、高齢者や社会的弱者の希望者に対して島外避難者を実施するようだ。「備えあれば憂いなし」。無事を祈らざるをえない。 一方で、中国東北地方のハルビンでは、このところの寒さで一斉にストーブを炊き始め、昨年くらいからマスコミを賑わせているPM2.5が街全体を覆い、10m先も見えないということだ。かつて、昭和の高度成長期には日本もスモッグが発生し視界がきかないこともあったが、10mということはなかった。まだ10月である。これから本格的な寒さがやってくる。これから一体どうなるのか。 当然、偏西風に乗ってこのPM2.5は日本にも流れてくる。しかし、今のところ有効な対策の打ちようがない。「臭い匂いは元から断たなきゃダメ」などというコマーシャルが過去にあったような気がするが、日本的には公害対策の技術援助も検討されなければならないようだ。一衣帯水の関係にある日中関係だが、尖閣問題や歴史認識の違いで角を突き合わせている場合ではないのではないか。 さらに、中国的にはがむしゃらな経済発展よりは、自然との共生・持続可能な暮らしなど、さすが社会主義国家と世界が羨むような国家づくりをめざしてほしい。それにしても中国は、いい意味でも悪い意味でも起こる事象のスケールが大きいように感じる。

消費税増税はもっと議論を

消費税増税が来年4月から導入することが決まった。しかし、一方では景気対策として5兆円の予算を組むという。これでは何のための消費税増税か分からない。もともとは社会保障・税の一体改革として提案された増税であったはずだがその議論との整合性が検討された節がない。政府はアベノミクスへの影響のみを検討したようだ。多くの国民はアベノミクスを評価しているようだが、これとてどうなるか怪しいものがある。 まず、アメリカ経済がはっきりしない。上院と下院のねじれ現象で予算が通らず、一部国営施設が閉鎖されている。下院共和党の若手議員が強硬のようで簡単には妥協しないようだ。さらに、赤字国債の発行限度額まで赤字国債の発行が進み、デフォルトの懸念が指摘されているのだ。 政府関係者は、消費税増税は国会が機能していない、今こそチャンスと何が何でも上げることで総理に迫っていたが、もう少し丁寧な議論こそが肝要ではなかったのではないだろうか。上げるのであれば、改めて何のために上げるのかを整理して国民に説明すべきだったと考える。バラマキの公共事業で景気対策なんていうのではいつか来た道である。さらに低所得者に対する現金給付など目くらまし政策で笑止千万である。すでに明らかなように、消費税増税は低所得者に厳しいものだ。しかし残念ながら、近年の格差社会の拡大の中で若い貧困層はものを言わない。それをいいことに政府は強行の姿勢だ。さらに企業に対する復興増税を前倒して廃止するとか。その財源はどこから持ってくるのか。現場に行けばわかるが復興はほとんど進んでいないのが実情だ。   ところで今日の朝日新聞に嬉しい記事が載っていた。南相馬市で海岸に小高い丘を瓦礫などで作り、そこに深く根を張る雑木を全国から集まったボランティアが植えたと。横国大宮脇名誉教授が提案する「緑の長城」の一環のようだ。10数メートルの堤防建設などゼネコンが喜ぶだけである。堤防に囲まれて暮らすなど漁師の末裔としては狂気の沙汰であると考える。

ふるさと回帰フェアが終了しました

今年のふるさと回帰フェアは無事に東京、大阪ともに終了しました。東京は参加者が1万2166人と午後雨に見舞われたこともあって昨年よりは若干少なかったものの、この間のふるさと回帰運動の盛り上がりを反映した中身の濃いフェアになりました。メインの自治体相談コーナーには201団体が出展し、それぞれが工夫を凝らしたブースを構え、移住希望者の呼び込みに頑張っていただきました。 今回は昨年までの早稲田大学の10号館から8号館へ会場が変更になり、勝手が違う面がありましたが、エレベーターやエスカレーターがあり、階段を上る不便さは克服されました。しかし、スペース的には狭かったり、一部薄暗いところがあったりと改善の余地がある会場設定になりました。さらにふるさと市場には26団体の参加があり賑わいましたが、3号館の建て替え中とあって入場者の導線が確保できないなど課題を残しました。 しかし、全体としては当初の目的であった、移住希望者と全国各地の自治体の出会いの場の提供という目的は果たされたものと思っています。参加者の顔触れもシニアあり、子育て世代あり、若者ありというもので、最近の相談者の年齢構成を反映したものでした。 大阪は参加団体が100団体と昨年並みの参加でしたが、移住希望者の参加者が2602人に止まり東京と比べるとふるさと回帰運動の浸透がまだ十分ではないようで、今回7回目の開催としては課題が残るものとなりました。会場はホテルの宴会場を利用してのフェアとあって使い勝手もよく、天気も快晴と条件は良かったのですが、東京の熱気を知っているだけに工夫の余地を感じた次第です。 このフェアは来年10回と記念すべき開催となります。早い段階から準備を進め、より参加者・出展者の思いに寄り添うフェアをめざしたいと思っています。 7月の東京の相談件数が1000件を越えたことは先に紹介したとおりですが、8月もお盆の休みで1週間お休みにしたものの900件を超え、それなりのものとなっています。 秋は夕焼けがきれいだったり、赤とんぼが飛んだり、黄金色に輝く稲穂の波が見られたり、ふるさとが偲ばれる季節です。秋の夜長、自分にとってのふるさととは何かを考えて見てはいかがでしょうか。かくいう小生もふるさとを離れ今年で50年となってしまいました。

ふるさと回帰フェアには安倍総理夫人も参加 

9回目のふるさと回帰フェア(東京会場)は無事、終了しました。心配された雨も2時頃までは何とか持ち堪え、大きな影響を受けることもなく、胸を撫で下ろしているところです。ただ、天気の関係もあり、昨年よりは若干来場者が少ないのかなという印象でした。 全体としては、この間の底上げが図られたような盛り上がりの中にあるふるさと回帰運動を反映し、真剣にふるさと暮らしを検討している人の相談が多かったという印象です。参加した自治体の多くからも参加して良かったという声を頂きました。それも、具体的な相談が多かったとのこと。参加者も子育て世代、子連れの相談者が例年にも増して多かったようです。それは、我がふるさと回帰支援センターの調査結果を裏打ちするものでした。 会場は昨年までの早稲田大学の10号館から8号館に変更になりました。一部に証明が少し暗いところや狭いところもあり、ご迷惑をお掛けしましたが、エスカレーターやエレベーターが完備し、その面の従来からの課題は解消されたようです。 催し物については例年よりは充実していたと自負しております。とくに前夜祭については、スーパー公務員と言われる石川県羽咋市の高野誠鮮さん、コミュニティテーデザイナーの山崎亮さんの話題提供が参加者の常識を超えるもので評判がよく、面白かったという声が圧倒的でした。私はあまりテレビを見ないのですが、お2人はテレビの常連出演者のようで、会場の大隈講堂1階はほぼ満員の盛況ぶりでした。 この中で高野さんは前歴踏襲の公務員社会を批判し、結果こそが大事とアクティブに行動してきた事例を熱っぽく語られました。その秘訣は「成功するまでやめないこと」とユーモアを込めて語ったところが面白く、11年目に入ったふるさと回帰運動と重なり、共感するところが多かったです。 山崎さんはデザイナーとして取り組んできた事例から島根県の海士町で取り組みを報告、離島の地域おこしについて、入念な調査に基づいた住民の意思を重視した取り組みを報告されました。海士町は前回紹介した観光甲子園の第一回のグランプリに輝いた隠岐島前高校のあるところで、すでに多くの移住者が移り住むなど、話題の島でもあり、参加者の関心を引きました。 8日の野良着ファッションッショー(地元仕事着コレクション)の審査員には安倍総理の安倍昭恵夫人も参加し、大いに盛り上がりました。夫人はフットワークが軽く、山口県のブースにまで足を延ばし、激励するとともに、福島県金山町の市場に立ち寄り、試食したかぼちゃをおいしいと買って帰られました。地元仕事着コレクションの出演は、山形県山形市高瀬のベニバナ娘、静岡の菊川市の茶摘み娘、福島県会津地方の会津木綿を使ったさっぱがま、農家のこせがれネットワークの代表理事脇坂氏が展開するNo Logicの現代風の農作業服、いま話題の岩手・久慈市の高校生海女ちゃんなど5団体が参加。おもひでぽろぽろの舞台ともなったベニバナ娘が一等となりました。一等賞の景品は山梨市から提供された巨峰ひと箱でした。 東京のフェアの参加は42道府県201団体、1万2166名。40以上の団体が初めての参加でした。

いよいよ今週末にふるさと回帰フェアが開催します

9月7、8日に開催する「ふるさと回帰フェア2013」まで残すところ2日。 ふるさと回帰フェア担当の電話はこの間、鳴りっぱなしの状態となっている。うれしい悲鳴である。   事前申し込み制となっている前夜祭のシンポジウムや8日の田舎暮らし実践者による「仕事」と「農」トークセッションの申し込みも順調だ。コミュニティデザイナーの山崎亮氏、ローマ法王に米を食わせた男である高野誠鮮氏と、話題のパネリストが登場するとあって前夜祭の事前申し込みは400名を超えている。事務局内も緊張感が高まっている。 当日、海外出張が入っている早稲田大学の鎌田総長からのお祝いメッセージも届けられた。彼とは同世代で、在学中からの知り合いだ。総長就任を聞いた時は、時代の流れを実感させられた。 昨日4日の昼前、偶然テレビをつけてNHKを見ていたところ、ふるさと回帰フェアの開催について紹介されていた。移住を具体的に考える人から、物産・交流を希望する人まで、幅広い方が楽しめるイベントとして知名度が上がってきていることを実感している。 また、過日は最近主張が明確で面白いと評判の東京新聞が取材に来てくれた。8日の日曜日に少し大き目に紙面を割いて相談件数が急増している田舎暮らしを取り上げたいといってきた。是非、読んでほしい。 昨日届いた、有機野菜の宅配などを実施している「大地を守る会」の会報誌でもふるさと回帰フェアが取り上げられていた。大地を守る会はNPOとしての発足前からこの運動に参加いただき、事務局構成団体の一つでもある。大地を守る会は最近、中国・北京でも野菜などの宅配事業を始めるなど、積極的な事業展開を行っている。 このように、多くのメディアや協力団体を通じて、ふるさと回帰運動や活動について周知していただけるようになったことは喜ばしい。 ぜひ、全国の地域について情報を知る機会として、ふるさと回帰フェアにみなさんに足を運んでいただきたい。

原発議論は民主主義の究極の試金石になる哲学的課題である

昨日の朝日新聞の社会面でふるさと・福島の松川浦漁港の漁師が取り上げられていた。最近明らかになった福島第一原発の放射能で汚染された水の海への流失問題に絡んで現場の漁師たちはどうしているのかという記事であった。せっかくここまで耐えてきて、試験操業も始めつつある中での、量的にも大量の汚水の垂れ流し。これではもう、漁師はやっていられないという記事であった。海の匂いから路地裏までを知る地域のことゆえ、他人事とも思えず、こうした事態を招いた東電の無責任な対応にふつふつと怒りがわいて来るのを抑えられなかった。やってはいけないことをやって、居直り、誰も責任を取らず知らん顔をするなんて言うことがまかり通れば、この国は荒廃の一途をたどるだろう。   ところで最近読んだ公益社団福島原発行動隊のSVCF通信8月2日号に慶応大小熊英二教授の発言が紹介されていた。「原発というものは、最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出さなければならないものであり、日本にはその仕組みがない、ということは指摘しておいていいことだと思います。原発を維持するなら、死ぬ可能性がある命令に従う技術集団をどこかにつくらないと、制度的および倫理的な欠陥、情緒論ではなくロジカルな意味での倫理学的な欠陥があることになります。だからマイケル・サンデルなども、福島の事故の直後に、原発議論は民主主義の究極の試金石になる哲学的課題だと述べたわけで、これは地方と東京の格差関係といった民主主義の枠内で解決が探れる問題とは少し別のことです。」 ズバリ本質を突いた鋭い指摘です。この認識のない企業に原発を動かす資格がないといっていいでしょう。

9回目のふるさと回帰フェア 

東京はここ数日、めっきり朝夕涼しくなってきました。暑かった夏が通り過ぎようとしているようです。日中の暑さは相変わらずですが、やっぱり暑さの質が違うようです。 今年のふるさと回帰支援センターは早稲田大学の都合で例年より2週間ほど繰り上がり、9月7日(土)前夜祭、8日(日)の両日です。お間違いのないよう日程のチェックをお願いします。 http://www.furusatokaiki.net/fair/2013/ 内容は盛りだくさんで1日だけではもったいないようなものとなっています。 見どころは、メインの「ふるさと暮らし自治体相談コーナー」です。このコーナーには東京・大阪あわせて42都道府県から300団体が参加となりました。北海道から九州まで、これだけの自治体が一堂に会する田舎暮らしのイベントは他にありません。 田舎暮らしは地域ごとの楽しみ方もあります。どのような暮らしが可能なのか、ブースめぐりも楽しいかもしれません。また、今年の特徴は話題の若者が集合し、それぞれの分野での活動を語ることです。近年の若者の田舎暮らし希望者の増加を反映した企画です。きっと田舎暮らしを検討している方の参考になるはずです。 具体的には、前夜祭には石川県羽咋市のローマ法王に羽咋市のお米を食べさせたスーパー公務員として有名な高野誠鮮さん、それにNHKのニュース番組でコメンテーターを務めるコミュニティーデザイナーの山崎亮さんが出演し、「地域おこしの仕掛け方について」をめぐってデスカッションします。 8日の本番では各地の若手の起業家が「地域の未来つくる働き方」をテーマに語り合います。コーディネーターは自らも起業家として知られるナカムラケンタさんです。また、もう一つのコーナーでは「農的ライフを始めよう」をテーマに新規就農者や半農半Xの実践者が、農家のこせがれネットの宮地勇輔さんをコーディネーターにトークセッションを行います。 どちらも、田舎暮らしの内容をさらに豊富化するために欠かせないテーマであり、申し込みも相次いでいます。ふるさと市場の特設ステージでは、ゆるキャラショーのほか、地元仕事着コレクションという農作業や地域産業の作業着に身に纏った、地域のこれからの担い手たちが、地域や産業への魅力を語ります。なんと、朝の連続テレビ小説でも話題の「あまちゃん」のふるさと、岩手県久慈市から現役高校生あまちゃんも登場予定です。 この辺が、現在のふるさと回帰運動の到達点と言ってもいいでしょう。最近のふるさと回帰運動の盛り上がりを反映した中身の濃いフェアを目指しますので、乞うご期待です。 先週の日曜日は、今年で5回目の開催となる観光甲子園に出席するために、神戸夙川学院大学に行きました。初回から審査委員を仰せつかっている関係からの出張でした。北海道から沖縄までの75校が参加し、本選には予備選を勝ち抜いた10校が出場し、グランプリの文部大臣賞、観光庁長官賞を争いました。 年々、レベルが上がり、今年も激戦でした。それぞれの審査委員の着目点が異なる面も在り、票が割れ、いずれも甲乙つけがたく、大変でした。そして、文部科学大臣賞は鳥取県立智頭農林高校、観光庁長官賞には愛知県立愛知商業高校がめでたく選ばれました。地域の文化や歴史、地域の伝統野菜や観光資源などを組み合わせ、高校生ならではの観光企画は郷土愛にあふれたものも多く、ふるさとや地域の見直しにも繋がる素晴らしいものでした。この取り組みがさらに拡大していくことを願わずにはいられませんでした。

四万十川から鮎が消えた

立秋も過ぎ、お盆休みも終わったが東京はまだ暑い。過日は、ついに国内の最高気温が更新された。その記録を更新した四万十市を流れる四万十川から名物の鮎が姿を消したとのこと。調べると川の水温が上がりすぎて、支流からの冷たい水が流れ込む上流に鮎が逃げたとのこと。この鮎、ふるさと回帰支援センターが入っている東京交通会館の裏、銀座1丁目にある高知県のアンテナショップの2階の「おきゃく」というレストランで、炊き込みご飯で食することができる。季節限定で、ちょうど今が旬、一度試したらいかがでしょうか。思わず掻き込みたくなるほどうまい。 7月の問い合わせ件数が明らかになった。その数、悲願であった月1000件をクリアした。一口に1000件と言っても、関係者にとっては夢のような数字である。10年前を思い出すと月20~30件という時代が続いた。それが近年は急増しているのである。しかし、1000件は夢の数字だった。 7月は相談件数が多いのはこの間明らかになっていた。今年、ついに1000件を越えた理由はいくつかあるが、①はセミナーの開催が多かったこと。しかも人気の岡山が250名以上を集めたことが大きい。ふるさと暮らし情報センターで開催されるセミナーだが相談者からも自治体からも人気が高く、すでに予約件数が昨年度を上回り105回に達している。うれしい悲鳴というところである。②しかもこの間、明確な形で田舎暮らしを希望者する人が増えていることは、わざわざ有楽町の事務所まで足を運ぶ人が増えていることからからも明らか。現場にいると、それがはっきりとわかるように状況である。しかも、それがなんとIターンがUターンの3倍もの数になっているのである。都会暮らしに見切りをつけて田舎暮らしを目指す、田舎に戻るのではなく、である。これははっきり言って文明論的観点から何かが始まったのではないだろうかとすら考えてしまう。喜ばしいことである。もうこの辺りで、物質的豊かさを絶対とした価値観を見直す段階に入ってもいいのではないだろうか。 ここにきて今、北陸地方が熱い。2015年春の新幹線の乗り入れを前に、いかにして首都圏から人を呼び込むのかに知恵を絞っている。思うに、北陸地方はその豊かな暮らしがあまり知られていない。その豊かさをもっともっとアピールしてもいいのではないだろうか。富山県の北陸新幹線のキャンペーンのキャッチフレーズがいい、「映画一本の時間で、映画のような世界へ」だ。新幹線が入れば富山まで2時間7分で繋がることからのコピーだ。写真は冬の富山湾の向こうに雪をかぶった真っ白な立山連峰。一度有楽町にそのポスターを見に来てほしい。

芸術・文化の町づくりもある

 8月に入って、猛暑が続いている。40度を超えるというのははっきり言って異常気象と言っていい。中国も上海など南部は猛暑で、黒竜江省など北部は大雨で洪水だそうだ。日本も各地がゲリラ豪雨に見舞われ、被害が出ている。総じて、日本海側の各地がやられているようだ。一方、太平洋側は日照り続きのようで、一般的に雨の多い紀伊半島も水不足が深刻なようで、和歌山県の定住センターがある南紀の古座川町も日照りが続いており、大変だと過日の業務報告にあった。  過日、石川県の2年先に新幹線が入る石川県の対策会議に参加させていただいた。北陸3県の内、石川県だけが私どものふるさと回帰支援センターと本格的な連携が取れていなかった。富山や福井と比べ、金沢を抱えるだけに求心力があり、別に取り立ててふるさと回帰運動に参加しなくても何とか形がついているという認識のようであった。しかし、ここ数年、様子は少し異なってきている。ふるさと回帰運動が活性化してきているようだ。さらに能登を中心に県内も過疎が深刻になり始めてきた。加えて、いよいよ2年先には新幹線が入り、首都圏と2時間半で結ばれる。このチャンスを逃がす手はないと、やっと重い腰を上げ始めたのである。金沢を抱える石川県はなんといっても加賀100万石、文化の香りがする町だ。かつては、団塊世代なら知らない人がいない、かの五木寛之氏も金沢に住んだ時代があり、ちなんだ小説も何冊か書いている。文化を売りにするだけで十分に売りになる。この特徴を生かした暮らし方を提案することは新しいタイプの取り組みになる。県の観光プロデューサー氏も対策会議では「観光の先に移住がある」と話しておられた。  そういえば、10日の朝日新聞のBeに古くからの友人である北川フラム氏が取り上げられていた。40数年前からの知り合いで、懐かしき人である。新潟県の妻有で大地の芸術祭を提案し、成功をおさめ、最近では瀬戸内ビエンナーレを仕掛け、大きな成果を上げている。芸術や文化を媒介にした地域活性化は大きな可能性を含んだ取り組みであると考える。全国各地で、芸術家を受け入れながらの地域再生で成果を上げているのは、最近では徳島県の神谷町がそうだ。 友人の活躍がマスコミに登場することはうれしいことだ。よし、もう少し頑張ってみようかという気になる。さらなる活躍を期待したい。  明日からふるさと回帰支援センターはお盆の休み、頼まれている観光甲子園の審査会の資料を読むことにしている。お盆はふるさとが近くなる時期だ。それぞれのふるさとを考えて見るにはよい機会だ。

地球環境が傷んで、泣いている

中国地方はかつてないような大雨とのこと。温暖で穏やかなイメージがある彼の地は、ふるさと回帰の希望先として人気が高いところであるが、そこが豪雨に見舞われているとは驚きだ。津和野なども河川が氾濫しているとのこと。かつて訪れた時にゆったりとコイが泳いでいた堀も増水し、氾濫しているようであり、あの鯉も流されてしまったのだろうかと思っている。 わが故郷・福島県相馬は河川が少なく、江戸時代の二宮尊徳の報徳農法による農業用の貯水池が各地にあった。この池が子どもたちの絶好の遊び場で、フナ釣りや夏ともなればプールがわりの泳ぎ場となる。大雨ともなれば、池の決壊を防ぐために放水を行っていた。すると放水と一緒に池のコイやフナが流され、雨上りの田んぼの用水路などに思わぬ大物が流されていたりしたものだ。 今回の中国地方の大雨を見て、そんな牧歌的なことを想うとは不謹慎この上ないが、最近の集中豪雨は桁が違う。地域全体が水没してしまうようなすごさで、気象庁も「これまで経験したことの無いような」大雨と警戒警報を出した。地球環境が傷つき、泣いているようだ。 思うに、この集中豪雨は近年のことだ。東京などでもよく氾濫するが、雨粒が大きくなっており、従来の都市計画で想定している道路の排水溝では一気に降る雨を排水できないそうだ。これも温暖化の影響ということのようだが、この集中豪雨も年々、スケールが大きくなっている。北極海の氷もかつてない程に小さくなっているそうだが、そうした影響もこの豪雨につながっている。最近は一時ほど温暖化防止を語る人が少なくなっているようだが地球温暖化は着実に進行している。改めて温暖化防止の取り組みの重要性が語られるべきだ。かくいう私もかつては連合の環境政策担当で地球温暖化防止条約締結国会議がいくつかの国で開催され、そのたびに参加し、各国の労働組合とも意見交換し、2002年のヨハネスブルクでの環境サミットにも参加している。   引き続き、ふるさと回帰支援センターを訪れていただく人が増えている。ひょっこりと近くまで来たのでとお訪ねいただく。 過日は、前福島県知事の佐藤栄佐久さんにお訪ねいただいた。昨年の「ふるさと回帰フェア2012」の前夜祭のパネルデスカッションにも登場していただき、交流会にも参加いただき親しく意見交換させていただいたこともあり、大歓迎。福島県が積極的にふるさと回帰運動に取り組むきっかけも作っていただいた方である。 また、地域活性化センターの石田理事長にもお訪ねいただいた。今回任務終了ということであいさつにみえられた。地域活性化センターとは年2回程度交流会を持って意見交換してきた関係もあり、あいさつにみえられた次第。その後、聞くところによると全国町村会の事務総長に就任されるとか、気さくなお人柄から全国の首長さんたちにも大いに影響力を行使されるものと期待している。その他にも、長野県の木島平村や秋田県三種町の首長などにもお訪ねいただいている。今後とも意見交換は望むところである。 驚いたことに、なんと安倍総理の昭恵夫人にも来ていただいた。人柄もさることながら名刺がまた素敵で、選挙区の下関(馬関)港にカモメが飛び、外洋に出る貨物船が係留され、遠くに関門海峡が描かれている図柄で、お人柄が偲ばれるものであった。ご健勝を切に祈りたい。

大山村塾(千葉県鴨川市)で講演しました

13日に千葉県鴨川市の大山村塾において、「ふるさと回帰運動の10年を語る」と題して講演しました。 ふるさと回帰支援センターにとって彼の地は、2番目の地域版のふるさと回帰支援センターが設立されたところです。鴨川には、数年前にジャーナリストの高野孟さんがIターンで移住し、昨年4月から地元の大山小学校の廃校跡地を借りて大山村塾を開校しています。今回は、そこで前回講師を務めた菅原文太さんに続き、講演を頼まれた次第です。 関東地方は、ここ2週間ほどは茹だるような暑さで、当日も酷暑そのもののような暑さでした。ただ、会場は廃校の体育館ということもあって、風が吹き抜け、その風はふるさとの母校の体育館での夏休みの合宿を思い出させるような、草木の匂いを含んだ快いものでした。 鴨川市のふるさと回帰支援センターの昨年度の問い合わせ件数は270件とのこと。ふるさと回帰運動全体の盛り上がりを反映した結果となっているようです。塾が設立されている大山地区には多くの移住者がおり、コミュニティ・カフェもあり、移住した陶芸家の方から記念のぐい飲みを、高野さんからは20年物の日本酒の古酒をいただき揚々と帰ってきた次第です。 地域に人が移り住み、塾が開校され、たまり場としてのカフェがあり、さて次は何が必要なのでしょうか。 直会のビールの酔いの中で私は、その廃校を地域のセンターとして活用できないかと考えました。そして、過疎化が進む房総半島全体を射程に入れて、首都圏からの田舎暮らし希望者の宿泊可能な研修センターを展望したいと思いました。ふるさと回帰支援センターの6月の問い合わせ件数は960件を越えています。これは3・11の東日本大震災直後に匹敵する数です。前回で紹介したとおり、山梨県への問い合わせが全体の問い合わせ件数を押し上げていますが、そのうち約60%は悠々自適を希望するシニア世代です。 千葉県の場合、地域的にも東京から近く、山梨県に負けず劣らずの有利な条件下にあります。しかし、現在まで県は動きが見えません。房総地域の各自治体は鴨川市をはじめ、館山市、南房総市、いすみ市など、それぞれの自治体はここ数年、必死になって動いてきました。しかし、市町村ではおのずと限界があります。そろそろ県の出番と思っています。ようやく県としてもふるさと回帰支援センターの会員にもなって頂いたので、これからの動きに期待したいと思います。ちなみに先月の希望地問い合わせランキングでは千葉は5位です。 9月のふるさと回帰の準備も遅ればせながら順調に進み、ポスター・チラシは今日、出来上がってきました。イラストは団塊世代には懐かしいマンガ「あしたのジョー」の作者のちばてつや先生に書いていただきました。チラシが欲しい方は、ご送付いたしますので事務局までご一報ください。

山梨県の実力を見た

6日、梅雨明けした。満を持したような勢いで東京は一気にむせ返るような暑さとなっている。 今年も6月最後の週に知床に行き、先週末は函館に行き、北海道の夏を経験しているので、今夏の急な梅雨明けは身体に応える。   函館は、60年安保闘争の全学連委員長の唐牛健太郎の墓建立23回忌で行ったもの。来年は没30回忌ということで、久しぶりに歴史を検証する文化講演会を函館で開催することを参加者一同で確認した。 今年の墓参りには、かつては立場を異にし、以降、叱咤激励し合う関係というのか奇妙な信頼関係にある(私はそう思っている)一水会の最高顧問鈴木邦男氏も参加された。前から一度参加したいと言われていたので誘った次第で、今回初めて実現したものである。 これまでも会えばあいさつはしてきたが、今回初めて少し話をさせていただいたのだが、義に篤い、心に響くものを持った人であった。鈴木氏も福島県ゆかりの方ということで、一緒に函館最古の寺院・高龍寺に行った。そして境内にある「傷心残目の碑」もお参りした。このお寺は最後の函館戦争の時の病院で、負傷した会津の兵が立てこもったところ。そこを突然襲った津軽や松前の兵によって医師を含む兵が惨殺され、火をつけられたことで、この碑が建立されている。143年前のこととはいえ、こうしたところにもふるさと・福島のゆかりの地があり、ひどい目に合っている。歴史の残酷さを想わざるを得なかった。     ついに記録が更新された。 といってもそれはセミナーの参加者の数についてである。昨日の岡山県の移住相談会の参加者が159組269名に達した。夕方4時で締め切ったため、相談できなかった人もあったとか。それにしてもすごい数である。中国地方の人気は衰えてはいないようだ。同日は、JR東日本と組んだ長野県佐久市のセミナーも開催された。こちらは大人の休日クラブ会員限定のセミナーであったが、こちらも満員の盛況ぶりで、ふるさと回帰運動の広がりを実感させられる一日となった。 このほど、6月一カ月の来訪者の集計が明らかになったが、何と2年前の2011年の東日本大震災以来の950件を越える数の多さになった。その理由はいくつかあろうと思うが、一番は6月から山梨県がふるさと回帰支援センター内に人員を配置したブースを開設し、移住と就職相談を合わせて対応していることによるもののようだ。来客も一カ月で170件を越えた。断トツのトップの集客である。周辺地域の相談が増えたり、負けてはいられないと周辺地域もPRに注力したこともあり、いい意味での相互作用による相乗効果による結果が生まれているのではないだろうか。事務局としてもある程度の結果は予想されたが、こんなに早く成果が出るとは思わず、山梨県の実力を見せつけられた気がする。

動き始めた高知県の移住対策 

7月になった。まだ梅雨は上がってはいないが、今日は朝から暑く、夏背広がうっとうしいような気がした。梅雨明けも近いのではないだろうか。 6月29~30日、恒例の毘沙門祭で北海道・知床に行ってきた。彼の地は前理事長の立松和平君が愛してやまなかった地で、ログハウスまで購入し、滞在したこともある地である。そこに早稲田の先輩で歌人、法華経の住職でもある福島泰樹さんの協力で毘沙門堂を建立したのが19年前、毎年例大祭を行っている。それに参加したのである。知床は、今年は寒く、5月に60cmも雪が降るなどして、知床横断道路は開通が遅れて、やっと7月1日からということだ。ただ、今回は天気が良く、暖かさも十分で知床の夏を満喫することができた。   地元の農家の人に話を聞くチャンスがあり、TPP問題について伺ったが不安は大きいようだ。このままTPPへの参加が強行されれば1/3の農家は離農せざるを得ないのではないかということであった。明治になって本格的な北海道への入植が始まって100年にはなるのだろうか、荒野を開墾し、今や広大な農地となった、豊かな大地が離農ということで荒廃していくのは悲しい。まして、この大地と格闘してきた先達を想うと他に手がないのかと心から思う。 ただ単に、利益を得ることを第一に考え、国の形や姿、食料安保や自給率の確保を考えず、アメリカの要求に屈し、国を売るようなことは「百害あって一利なし」と言わざるを得ない。すでに人心の荒廃はとめどなく広がる現状において、さらに悪化することは明らかである。「衣食足りて礼節を知る」のは当然のことである。格差社会を拡大することによって、この愛すべき国土を荒廃させてはならない。   さて、いよいよ高知県の移住への取り組みが本格化してきたようだ。5月の東京交通会館での相談会には83名の参加があり、大いに賑わったが、6月30日にもまたふるさと回帰支援センターで相談会を開催し、56名の参加者を得た。今回はゲストにビックコミック誌の「釣りバカ日誌」の主人公・浜崎伝助のモデルとも言われる黒笹慈幾さんをお呼びして、高知暮らしの楽しみ方を語っていただいた。この取り組みのキャンペーンポスタ―もまたいい。チャッチコピーは「高知県はひとつの大家族やき。」で、ちゃぶ台の前に高知出身の広末涼子が座っている。このレトロさが目立つようだ。

NPO総会が開催されました

第15回NPOふるさと回帰支援センター総会が21日に開催された。総会に先立って理事会が同日午前11時から東京交通会館地下2階会議室で開催され、総会議案等を原案のまま、承認された。理事会には11名の理事の内、6名が出席。書面議決書で意思表示が5名。代理が3名出席し、傍聴した。監事も1名出席した。 総会は会員総数264名中26名が出席。委任状による出席が108名、同計134名で成立した。今年は理事改選の年に当たり、3号議案で新たに1名の理事を追加し、12名体制で運営する提案をして、原案通り承認された。 昨年秋に、NPOとして設立されて10年が経過したことを踏まえ、マンネリ化を排し、さらに創造力豊かに都市と農山漁村との交流・移住推進に取り組むことを基本にした事業報告、事業計画についても、原案通り承認された。   先週末、久しぶりに鳥取県自治研センター主催のシンポジウムに参加するために鳥取県を訪れた。だいぶ暑くなっていたが、穏やかな気候で空港に降り立った際に、何だか癒されるような気分にさせられた。 羽田空港では学生時代の後輩とばったり会った。なんでも母方が鳥取県出身とかで墓参りに行くところとのこと。彼は今を時めく村上春樹氏と高校、大学と一緒で、ジャズを愛し、かつては村上氏とはとても近い関係だったとのこと。現在は広告代理店を経営し、小生も株主の一人になっている。ふるさと回帰支援センターのロゴマークは彼の会社の提案で始まった。   シンポジウムは、人口減少社会における若者の雇用と定住に関する調査研究として鳥取県内の居住意向調査等に関する若者の意識調査結果を踏まえて開催された。テーマは「人口減少社会における定住・移住にむけた町づくりー2×××年 鳥取県が消えてなくならないために―」とされた。調査結果からは県内の高校生は50%が県内進学を希望、県外進学は8%に留まった。しかし、県外就職は8%に留まり、県外は18%と地元志向が明らかになった。 この結果を踏まえ、シンポジウムは行われ、私は基調講演とパネリストとしてのコメントを求められた。古巣の自治労の要請とあらば何はさておき駆けつけるのが浮世の義理というもの。精一杯務めさせていただいた。 講演内容は10年間のふるさと回帰運動の動向と現段階の課題について。団塊世代の地方回帰で始まったふるさと回帰運動も、団塊世代から若者へ、さらに子育て世代へと拡大し、10年掛かって社会運動として一定の評価をいただくようになったことを語った。特に、近年の著しい若者の田舎暮らしの増加について語り、ふるさと起業の重要性を強調させていただいた。 石に上にも3年と言われるが、全国的な規模の社会運動をそれなりのものにするのには結局、十年かかったということも率直に語った。10年継続できたのは何も自分がやったのではなく、多くの団体や個人の協力があったればこそと思っている。幸運だったということに尽きるような気がする。

韓国からの視察団が来た

韓国からの視察団が6月に2団体が予定されていた。しかし、残念なことに一団体は現下の日韓関係から、参加者が減って延期となった。日本にいるとわからないが、だいぶ緊張の度合いが強いようだ。韓国の朴大統領は女だから舐められてはいけないと筋張った対応をしているのかもしれない。個人的には好感が持てる。 もう一方の団体である京畿道楊平郡日本農業研修の一行は総勢29名でやってきた。ふるさと回帰への関心も高く、あちこちから質問があがった。主な質問では、いきなり地方に入って行ってうまくいくのか、地域とのトラブルはないのか、若者の田舎暮らしが増加しているようだが、子どもの教育における問題はないのか、など教育熱心なお国柄を反映した質問も寄せられた。 韓国は最も身近な隣国である。歴史的にも深い関係を結んできた国でもある。よく言われることだが、迷惑をかけた方はすぐ忘れるが、かけられた方はいつまでもよく覚えている。従軍慰安婦問題も、あったか、なかったのかを争うだけでは問題の解決にはならない。事実関係をはっきりさせるなど、歴史的な総括をしっかり行い、将来性のある関係を再構築すべきだと考える。 個人的には、韓国人は感情が激し過ぎる人も見受けられるが、フレンドリーな人も多く、仲良くやれる方々だと思うが、いかがであろうか。4年ほど前に講演で呼ばれ、かの国で話をし、夜は飲み会となったが、どうもよその国にいる感じがしなくて困ったことを思い出した。   前のブログにて紹介した、団塊世代のネットワークのNPO法人プロジェクト猪の総会での鳩山さんの講演会は、概ね参加者たちには好評であった。 最後は普天間問題が総理辞任のきっかけになったようだが、これは既得権派が寄って、集って鳩山さんを追い込んだ結果のことのようだ。まず、前提は日米関係を従来通り維持することに置いたことから始まる。鳩山総理は沖縄の負担軽減をどうすべきかを考え、県外で受けてもらうしかないと判断し、最低でも県外と発言した。これが無責任と指弾されたが、政府のトップが初めて方向性を示したことから、沖縄では鳩山さんの人気は高い。東アジア共同体構想も既得権派にとっては許されないことだが、戦後68年たってもアメリカの後ろについて歩くことだけでは何も変わらない。常時駐留なき日米安保こそ目指すべきと考えたことから東アジア共同体は出てきているようだ。2009年のトップ会談に臨んだオバマ大統領は政権が変わったのだから、そういうこともあるのではないかと理解を示してくれたとも話し、政権交代で日米関係がめちゃくちゃになったと安倍自民党は批判したが、そうした事実はなかったと語った。 逆に、安倍総理こそ、オバマ大統領に忌避されているように見受けられると現状を語った。さらに、終盤の民主党政権について、小沢問題に代表されるマスコミを含めた米・財・官・電などの既得権派の事実の粉飾による民主党たたきを行ったが、いかがなものかと語った。鳩山氏は交流会にも参加され、久しぶりの同世代であるプロジェクト猪メンバーと語り合った。メンバーの中にこれまで鳩山さんは何回、私どもの会合に参加されたかを数えている人がいて、今回がちょうど5回目ということであった。ますますのご活躍を祈念したい。

6月に想うこと

季節外れの台風が来ているようで今日は雨。梅雨に入ったはずなのに雨も降らず、降ったと思ったら台風の雨が降り、今年は天候不順である。何かが少し狂っているようだ。 前回も書いたが、山梨県のブースには順調に来訪者が訪れて、2週間足らずで40名の来訪者になろうかという状況となっている。もともと「週末は山梨にいます」というキャッチコピーで2地域居住の取り組みで成果を上げ、田舎暮らしでは八ヶ岳山麓を中心に数千名の居住者を数える地域だけにそれなりの反応は予想されたが、折からのふるさと回帰運動の盛り上がりもあって上々の滑り出しとなっている。 また、最近明らかにされたが人気の中国地方の鳥取県が2012年度で県外からの移住者が前年度比で4割増の706名に達したとのこと。中国地方では一番早くから東京と大阪のふるさと情報センターにブースを構え、積極的な移住者の確保に取り組んできたが、その成果が出たというところである。移住前の居住地は大阪が93名、東京が77名、兵庫が76名とのことである。   6月は企業の株主総会の季節でもあるが、NPOの総会の季節でもある。古くは1960年の安保闘争も6月に岸総理(安倍総理の御祖父)打倒と学生や労働者など数十万人が全国から集まり、幾重にも国会を取り囲んだこともあった。こうしたことから、6月の声を聴くと、とりわけ思うことがあり若き日の頃の様々なことを考える。 今週末の15日には20年前に立ち上げたNPO法人プロジェクト猪の総会が予定されている。このNPOは団塊世代のネットワークで私が代表である。今年の記念講演は団塊世代の政治家の代表でもある鳩山由紀夫元総理が「権力の中枢でみたこと」をテーマに祖直な話をしていただくことになっている。 次週の21日はふるさと回帰支援センターの総会。1年間の事業報告とこれから1年の事業計画が提案される。3・11をきっかけに大きく盛り上がってきたふるさと回帰運動の在り方をめぐって活発な意見交換をできることを期待したい。   さらに6月は紫陽花の季節。雨に打たれた紫陽花は、それはそれで風情のある花で好きな花の一つである。 一句  「紫陽花に 心奪われ 雨の中」

地銀が県と移住推進で協定かわす

6月になった。5月下旬に梅雨入りしたが、もう梅雨の中休みに入ったようで、今週は晴れた日が続くとのこと。昨日は、過日、講演に呼ばれた神奈川県大磯町でNPO大磯大好き倶楽部主催の地引網大会に参加してきた。当初は雨模様との天気予報だったが、梅雨前線が南に下がったこともあり、薄日が差す絶好の地引網日和となった。相模灘に面した大磯町は古くから地引網が行われていたようで、現在でも2軒が継続的に行っているとのこと。砂浜が続く海岸線は見渡す限り、遠くまで砂浜が続いており、その先には雪を頂いた富士山が美しい姿を現し、まさに絵のような景色となっていた。 私の地引網の体験は何と50年以上も前のこと。いまは相馬港となってしまった相馬市原釜(はらがま)は、かつては美しい遠浅の砂浜が隣町の新地町釣師浜(つるしはま)まで続き、それは美しい白砂青松の浜であった。初夏ともなれば、子どもたちが集まり、延々と網を引き、鯵やサバ、ヒラメなどが面白いようにかかったものだ。小鯵などは手で頭を取り、指で三枚に開き、さっと海で洗い、口に放り込む。なんともいえない旨さであった。 この白砂青松の風景は、太平洋側の東北地方にはどこにもあった風景であることが今回の東日本大震災で知った。かの奇跡の一本松で有名になった陸前高田市の高田松原も多分同じような風景であったのではないだろうか。この懐かしい風景も全国各地で残っている地域は数えるくらいしかないのではないか。多くは、景観ぶち壊しのテトラポットで埋め尽くされているようだ。淋しい限りである。さらに、今回の東日本大震災で海岸線は10mを超える防潮堤で取り囲まれることになる計画のようだ。せめて、森の長城で国土を守ってほしいと願うのは私だけではあるまい。   今月から、山梨県が「やまなし暮らし情報センター」をふるさと回帰支援センター内に開設した。1日には横内知事も参加したシンポジウムが開催された。パネリストにはやまなし大使を拝命しているシンガー・ソングライターのイルカさんも参加。30年以上別荘として山梨県に住んでいる経験を踏まえた山梨県の魅力を語った。この開設セレモニーに先立つ5月31日には県と山梨中央銀行が協定を結び、17の支店長・営業所長がアドバイザーとして移住相談に応ずるほか、各支店内の大型テレビで移住を呼び掛ける映像を流す。さらに、古民家のリフォーム資金の低金利融資など、移住につながる商品の開発も行うことにしているとのこと。こうした定住人口の確保を目的に県と地方銀行が協定を結んだケースはない。成果が注目されるところである。 先月からの山口県と高知県のブース開設に引き続く山梨県のセンターの開設で、ふるさと回帰支援センターの田舎暮らしを希望する都市住民に向けた求心力はさらに高まるものと期待が高まっている。 移住希望者の絶対数が急増している現状を固定化し、さらなる道府県のブース開設により、人口減を上回るふるさと回帰者の増加をめざし、地方人口の持続可能な形での増加を目指したいものだ。そのためには、全国各地でのモデルとなるような田舎暮らしのケースを発掘したいものだ。

ふらりと薫風に吹かれて旅に出よう

関東地方も今日、梅雨に入ったとのこと。例年より若干早いような気がします。桜も今年は早かったようで、全体が前倒しという感じがします。天候の不順などなければいいのですが・・・。2011年の東日本大震災以降は、天変地異がどうしても心をよぎるようになっています。少しでも例年と違うとまた何かが起こるのではないかと思い、自然と無事を祈るような気分になってしまうのは自分だけでないのではないでしょうか。 過日、新聞を読んでいたら、細川元総理が「緑の長城プロジェクト」の広告に載っていました。ふるさと回帰支援センターの顧問の菅原文太さんも先の「いのちの党」の設立総会でもこの運動への共鳴と参加を表明していましたが、大分広がってきた感じを持ちました。当然、漁師の子どもである私も、被災県で検討されている「緑の長城」ならぬ10mをこえるコンクリートの堤防には反対です。人は有史以来、水辺に住んできました。それを1000年に一度ともいわれる今回の津波に懲りて10mを超える堤防を築き、自然に逆らって暮らすなど考えられません。漁師は風を読み、潮のにおいを嗅ぎ、海の色を見て漁を測るのです。是非、福島県民総体での海岸線全体での「緑の長城」建設運動に参加し、自然との共生を軸にした暮らしをしたいものです。 数日前に、久しぶりに福島県にお邪魔しました。県内の自治体職員を対象にした政策研究会での講演を要請されたことによるものです。テーマは「ふくしまのイメージアップにむけて」というものでした。 私はこのテーマに対し、「誇りの持てるふくしまの再構築に向けて」と題して話しました。 それは、県民一人ひとりが誇りの持てるふくしまを創ることがすなわち福島県のイメージアップにつながるのではないかと思ったからです。未曽有の災難ともいうべき福島第一原子力発電所の事故、100%安全と言われて作られた原発。それが事故を起すなどということはまさに寝耳に水のようなもので、その驚きとショックは今も癒えていない。 今後、何十年もかけて、世代を超えてふくしまの復興を勝ち取るためには何よりも心が折れないようにして、あの140年前の戊申の役での敗北から立ち上がった確固不抜の精神に学びながら、もう一度立ち上がり、生きていくしかないと思うからです。 地味な取り組みではありますが、自治体職員のレベルでも風評被害をはじめとした様々な困難に対して克服に向けたこうした取り組みが行われていることに心を強くしました。 今年も田植えに季節となり、薫風が早苗を揺らしています。東北はいまが一番いい季節です。ふらりと旅に出かけませんか?

地域社会を守るためにふるさと回帰運動はある!

どうも今年は天候不順のようだ。5月の連休というのに気温は3月下旬並みとのこと。今日は帰りが遅くなるかもと思い、念のため、コートを羽織ってきたがそれがなんとも重い。季節外れのコートが重いなど意識したことがなかったが、歳によるものだけではない、何かを教えられたような気がした。   5月になって、事務所には新たに高知県と山口県のブースが開設された。3・11以降、中・四国地方が「安全・安心」の観点からふるさと回帰の人気エリアとなっているが、高知は四国では初のブース開設だ。有楽町の事務所がある交通会館の裏、外堀通りに面した銀座一丁目にはアンテナショップが開設されており、2階のレストラン「おきゃく」では安価でカツオのたたきをはじめとした土佐料理も楽しめる。事務所が東銀座から移転して1年、カツオ好きな私はすでに常連となりつつある。 中国地方は岡山県が、突然と思えるような勢いで最近人気となり、今回の山口県のブース開設で中国地方の中心の広島県を除き、すべての県がブースを開設、万全の受け入れ態勢を確立したことになる。山口県はプライベートでも毎年訪れている。訪れる所は周防大島の先の沖家室島だ。そこには学生時代の先輩の墓があり、今年も3月に17回忌ということで友人たちとお邪魔したばかりだ。その島の泊清寺の新山住職はなかなかの人物で親しくさせていただいている。3月には昨年知事に当選した山本知事も顔を出された。   過日、長野県駒ケ根市をお邪魔した。同市の田舎暮らし推進協議会の第2回総会が開催され、その総会で話しを頼まれたからだ。長野市や松本市には何回となくお訪ねしたが、県南地方ははまだ一度も行ったことがなかった。福島ゆかりの保科正之公は高遠城主から会津に行かれた方だ。その桜は有名だが、すでに終わっていて見ることができなかった。変わりと言ってはなんだが光前寺の枝垂桜は満開で、京都・平安神宮の枝垂桜に勝るとも劣らない見事さであった。また市内にはいたるところに水仙が自生し、遠く中央アルプス、南アルプスが望める風光明媚なところであった。この駒ケ根市はふるさと回帰を仕掛けたのは最近だが県内でも屈指の人気エリアとなっている。   過日、担当が有楽町の情報センターにはどのくらいの地方自治体の情報が蓄積されているのかを数えたところなんと800の情報があるとのことであった。過疎化・高齢化に悩む自治体の必死の取り組みが伝わってくるような気がする。TPP交渉も始まろうとする中、何としても地域社会を守るための取り組みに組織をかけて頑張りたいと愚考する。 滴るような新緑の頃、よい連休をお楽しみください。

桜舞う入学式を想う

4月は入学式の季節だ。 山梨県早川町は南アルプスの山麓に位置する町だが、この日本一人口の少ない町の小学校で2年ぶりに入学式があったという。新入生の3名はいずれも首都圏からの移住者の子どもたちだ。早川町は給食費など学校に関わる費用の無償化を打ち出すなど独自の制度で移住者を呼び込む施策を進めている。 さらに、この小学校では山村留学にも積極的で町民有志による応援団も組織され、昨年度は県外から5世帯が移り住んでいる。粘り強い取り組みがやっと成果を上げたといっていいだろう。さらに、町内にある岩殿神社の春の例大祭では6年ぶりに子どもみこしも復活したとのことである。こうしたところにもふるさと回帰運動の成果が表れている。   4月に入って、この間の問い合わせ・来訪の件数も明らかになっている。2月は問い合わせ・来訪数が700件を超え、3月も520件と多かった。2012年度の来場者数も昨年比183%増と急増している。 事務所を東銀座から有楽町駅前に移転したことが大きかったことと、ふるさと回帰運動が社会的に定着したことによるものと思われる。加えて、移住を具体的に検討し始めた方が増えことによるものと言える。 また、各会員自治体からセミナーを開催したいという希望も多くなり、ブースを開設している自治体に限って日曜日の開催を決意した。   【お知らせ】 1月9日のブログで紹介した宮崎県高原(たかはる)町の将来人口1万人を目指した「1万人の笑顔あふれるたかはる復活創造事業」が本年度から始まり、「高原町移住支援金交付事業」の詳細が寄せられた。詳しくは同町の定住推進室(0984-42-2115)へ問い合わせてください。   私の入学式は59年前だ。入学した相馬市中村第二小学校には桜の木が多かったような記憶がある。その桜吹雪の中、真新しい帽子をかぶり入学式に臨んだことを思い出す。忘れていたが昨夜、弟から電話があった。明日10日は母の命日で59回忌だという。母は小学校に入学して一週間で亡くなった。そうしたこともあって、入学式には叔母が参加してくれた。その思い出も遠い。 残念なことがある。ふるさと相馬は福島原発の北に位置する。その原発事故現場で放射能に汚染された水の漏水が止まらないという。政府は終息宣言を発しているが地元ではだれもそうは思っていない。この漏水が海に流れ込むことは必至だ。これでさらに私の愛するあの美しいふるさとの海はさらに汚染が進む。この悲しみと怒りをどこにぶつけたらいいのか。事故からすでに2年、東京電力は危機管理すら出来ない組織に成り下がっているようだ。この企業体質、無責任の度が過ぎる。

夜桜を見に行こう

今年の東京の桜の開花は観測史上2番目の早さであった。理由は冬が寒く、3月に入って急に暖かくなったことによるそうだ。しかし、満開となるや花冷えが続き、なんとか4月に入っても散り急ぐこともなく残っている。 そんなこともあって今日は、学生時代の友人と新宿・花園神社の夜桜に行く予定にしている。かの神社はかつて、1960年代は境内で唐十郎率いる状況劇場が紅テントを張って公演したところで有名だ。親しい友人で大学の先輩でもある現代舞踏の巨匠・麿赤児さんもその重要なメンバーであった。桜も多く、私にとって桜と言えば花園神社というくらいで、かつて細かった木も今や見上げるような大きさとなっている。ここにも歳月の長さを感じさせられる。40年以上にわたって毎夜のごとくゴールデン街に出撃したが、春になれば酔って多くの仲間たちと夜桜を楽しんだもので、今は懐かしい。   今日から4月。 実はふるさと回帰支援センターの事務所は今日からレイアウトを大幅に変更した。これによって、より充実した相談体制が可能な形としていくことができる。直接の理由は、6月から山梨県が複数名の職員を配置してふるさと回帰運動に取り組むことによるものである。その他、3、4自治体がブース開設に向けての調整が入っており、センターはさらに賑やかになっていくものと思われる。 そんなこともあって、今日は朝からスタッフ会議を招集した。そして、マンネリを排し、提案型のふるさと回帰運動をめざそうと訓示した。日々新たに、これこそが現在のふるさと回帰運動のめざすべき方向であると考える。今や、この運動は当初の団塊世代の田舎暮らしのフォローのための運動から質的変遷を遂げ、現在に至っている。それは単なるいなか暮らしではなく、持続可能な暮らしをテーマにした文化運動的側面も加味されてきているといってよいようだ。   一昨年からの2年頑張ってくれた藤本君に代わり、福井県若狭町から池田和哉君(41歳)が出向で派遣されてきた。新しい戦力として期待も高い。是非、声をかけてください。

何から何まで、おかしなことが多すぎる。

東京の桜が咲きました。観測史上最速に並ぶ早さだということです。 今年の冬はことのほか寒く、耐え難かった日もあった。にもかかわらず、観測史上最速の桜の開花とは驚きであった。今日、所要で市ヶ谷に行ったが、3分咲きというところか。彼岸の入りとなったとはいえ、暦はまだ3月中旬。何かおかしいような気がする。過日は気温が25度まで上がり、夏日とか。翌日は20度以上も下がり、冬に逆戻り。今日も今日とて、外は強風が吹きすさんでいる。 東京有楽町の6階のふるさと回帰支援センターの私の後ろのガラス窓はヒューヒューと風が吹き抜けるたびに虎落笛が啼くような始末だ。 なんだか、気象の変動が激しすぎるようだ。   しかし、激しすぎるのは気象の変動だけではない。 ここにきての株価の上昇も半端ではない。かつて、23年前にパンクしたバブルの頃は自治労運動に没頭し、株価や住宅の値上がりにはしょせん縁がないとその動向に目配せをしていなかったが、今回は別だ。こんなことでこんなに株が上がっていいのかと思うほどに上がっている。世の中、こんなものだと言ってしまえばそれだけなのだが、それにしてもこれだけ上がるにはそれなりの根拠がいるはずなのにそれが見当たらない。誰かが「買いだ」といった瞬間から一気に我先に「買い」が「買い」を呼んでいるようだ。また、どこかで暴落し、泣く人が出るのは必定だ。人心も荒廃するだろう。 加えて、TPPも安倍総理は参加を表明した。これまた「みんなで渡れば怖くない式」でいこうとしている。冷静に考えれば、問題は日米間の問題につきる。12か国中6か国とはFTAが成っている。問題は日米間の問題である。過日のワシントンでのトップ会談で合意したなどと自民党は言っているが、オバマ大統領の権限で合意できるような仕組みにはなっていないことは明白だ。ここでもフレームアップが行われている。新聞は事実を書いていない。この間の新聞の主張はあまりにもいい加減だ。この国をどこに連れて行こうとしているのだろうか。TPP参加後の地方の荒廃は目に浮かぶようだ。目先のカネ(円)に、この国の地方やふるさとの山や川、田園風景を託すことはできない。ここは今後の21世紀の日本をどのような国にしていくのかを賭けた論争こそ不可欠であると考えるが、いかがであろうか。   調子に乗りすぎている自民党に21世紀の国の姿まで託すことは難しいのではないだろうか。過日、百田尚樹氏の「永遠のゼロ」を読んだ。突っ込みは浅く、驚くようなことは書いていなかったが、特攻隊のなんたるかを真剣に学んだことがなかった人には一読を進めたい。途中で何回も涙が止まらなくなる場面があった。現在に生きる人々は、先の大戦のことや若くして死んでいった先輩諸兄の無念さに思いをはせることがあってしかるべきではないだろうか。   このことを前提に置くと、この国は何から何までエッと思うようなことが多すぎる。 でも私はこのふるさと回帰運動に賭けていく決意です。 そして、ふるさとを、故郷の山河を守りたいと心底から思っています。

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