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観光甲子園とは? | その他 VIEW MORE

観光甲子園とは?

観光甲子園をご存知でしょうか。 観光甲子園とは4年前から行われている高校生による観光プランコンテストのことで、主催は「観光甲子園」大会組織委員会、事務局は神戸夙川学園大学に置かれている。今年も8月26日に神戸の神戸夙川学園大学で開催された。北海道から沖縄までの76校から158のプランの応募があり、本選に残った10校がそれぞれのプランに熱弁をふるった。 そして、厳正な審査の結果、松江市立女子高がグランプリの文部科学大臣賞、同じく山形県立鶴岡中央高等学校が観光庁長官賞を受けた。 松江女子高のプランは「Let’s縁きりふれっしゅ~松江ではじまる新しい自分旅~」というプランで、「断捨離」をテーマに、不要なものを断ち、捨て、執着から離れることを通して自分が変わる第一歩の旅を提案している。とくに出雲地方ということで縁結びの神となるところを、逆手に取って縁切りから始めるというという発想が面白く、高校生らしい思い込み一杯のプランであった。 もう一つのグランプリの鶴岡中央高は「“脱・ありきたりの旅"PART2~被災地と庄内を結ぶ“WinWin”な癒しツアー~」というテーマで、被災地支援の被災地観光ではなく、被災地の物販を庄内で行うことを通して交流観光につなげていくという意欲的な企画であった。   2003年の観光立国の決定から、観光庁の設立と国を挙げて海外からの観光客の誘致に取り組んできた。しかし政府の意気込みとは別に、現状においては福島第一原発事故の影響もあって観光客の足は伸び悩んでいる。こうした中で、観光甲子園の提起をうけて、高校生たちが観光プランの作成を切り口に、地域の活性化や再生取り組み、その輪が着実に広がってきている。 この取り組みは、地域の文化や歴史を知り、さらには地域の見直し、あらたな地域の創造につながる。都市と農山漁村との格差が拡大する一方の現状からは、次の時代を展望できる新しい大切な視点と考える。さらなる発展を願わざるを得ない。  

酷暑の夏に想うこと

    歳の所為でもあるのかもしれないが、今年の残暑はことのほか厳しいようだ。であるからか、蝉の鳴き声も一段と大きいようだ。   今年のお盆も、ふるさと回帰支援センターはしっかりと休みを取った。せめて、お盆くらいは帰省し、どっぷりとふるさとの良さに浸って、これからのふるさとのことを考えてみようと、NPO設立以来、休みにしている。しかし、残念ながら昨年、今年と帰省することはできなかった。常磐線がいまだに寸断され、復旧の見通しが立っていないこともあるが、帰るべきふるさとの実家が先の東日本大震災の津波によって土台まで流されたからだ。帰れないから帰りたくなるのが人情である。そんなこともあって今年のお盆は、ふるさとの思い出にふけった。   私の生まれ故郷は、福島県相馬市の原釜という漁村である。自慢は白砂青松の海岸線がどこまでも続いていたことである。東北のどこにもあるような漁村ではあったが、幼いころはこんなに素晴らしいところは他にはないと思っていた。これが数十年前に埋め立てられて、相馬港という港に変えられている。そこで私のふるさとは心の中にしかないと思うようになった。その漁村にいたのは小学校の6年までである。   親友立松和平は酔うといつも、ふるさとを取り戻すためにはセメントに塗り込められた日本中の海岸線のそれを引きはがして、白砂青松を取り戻さなければならないといっていた。東日本大震災からの復興事業のひとつに白砂青松の海岸の復活をテーマにする地域もあってはいいのではないだろうか。   さらにもうひとつ、今年の東京のお盆は天気も良かったことあったが、空の雲が白く光り輝いてことのほか美しかったことだ。いつまで眺めていても飽きなかった。夏空に浮かぶ白い雲とはこんなに美しいものかとあらためて思った次第だ。

何事の起こりしやは明らかならず | セミナー VIEW MORE

何事の起こりしやは明らかならず

このところ脱原発の行動が大きなうねりとなっている。昨29日も国会包囲デモが行われ、数十万人が炎天下の中、集まったという。戦後のこの国を振り返ると、こうしたデモが行われたのは1960年の安保反対闘争、60年代末の全国学園闘争があげられるが、今回のこのデモはこれまでのデモとはおもむきを少々異にする。先にあげた2つのデモは政治闘争のおもむきが強いが、今回の運動は生活、暮らしという観点からの運動のような気がする。したがってデモ参加者も女性が多いようだ。生活や暮らしへの危機感から出発している分だけ、安易な妥協というものは難しいようだ。この運動がどのような軌跡を辿り、いかなる社会を招へいするのかは軽々には論じられないが、何か新しい時代へと道を拓くものになりそうな予感がするのは私だけではあるまい。 政府の方は、烏合の衆と侮っているような節があるが、どっこい対応を間違えると大化けするような気がする。先にも書いたように生活に根ざした運動であるだけにそのうち下火になるような質の運動とは思えない。早めの対応こそが肝要と考える。   28日の土曜日、夕方6時から長野県の阿部知事も参加したセミナーを有楽町のふるさと回帰支援センターで開催した。他に飯山市の足立市長、田舎暮らし「楽園信州」推進協議会の玉村豊男名誉会長も参加、長野のふるさと暮らしの受け入れ状況やこれからの取り組みについて活発な意見交換が行われた。中でも、足立飯山市長からはすでに飯山市では145世帯もの移住者を受け入れていることが紹介され、参加者の関心を引いていた。3・11の原発事故以降、福島県に代わって長野県が来訪者人気のトップになっている。知事自らがセミナーに出席するなどふるさと回帰の受け皿への意気込みは強い。 また、3・11以降のふるさと回帰のニーズが急増していることもあって、現在いくつかの県や市からブース開設の問い合わせが来ている。一か所でも多くのブースの開設はさらに来訪者の増加につながる。期待は大きい。

復興六起が始まった

昨年の3次補正で決まった内閣府の復興支援型地域社会雇用創造事業のうち、ふるさと回帰支援センターで取り組むことになった90名の社会的起業支援事業とインターンシップ事業400名がいよいよ始まった。実施場所は岩手、宮城、福島、茨城の被災県と福島からの避難者が多い米沢市、新潟県の長岡市など。 今週末の14日には第一回のビジネスコンペも岩手県北上市で開催される。すでに4月に仙台市には4月に東北本部事務所を開設していた。 今日は、あの東日本大震災から1年4カ月、しかし被災地の多くはいまだ手つかずのところも多く、これからも長い道のりを行くことになるようだ。とくに福島は原発の影響もあり他県に比べ大幅に遅れている。 昨日は福島県相馬市でこの事業の内閣府主催の現地説明会があった。生まれ故郷ということもあって参加し、この事業への応募をお願いしたが反響は多かった。しかし、予算が足りず、90名の起業家の支援ではどこまでニーズに応えられるか心もとない面もある。一方では、今日の東京新聞によれば昨年度は予算執行が遅れ、6兆円も残ったとあった。もったいないことである。いまさらながら、お金は使ってこそ生きる。ましてや復興予算はなおさらである。   帰りに、4月に避難解除になった南相馬市の小高区を訪れた。ここは被災当時のまま、家屋も無残な姿をさらけ出していた。海沿いの広々とした水田は作付けが禁止され、見渡す限り夏草が生い茂っていた。あの美しい日本の原風景ともいえる田園風景はどこにもなかった。原発事故はこうした面からも自然も人の心も荒廃させている。

蛍の乱舞を観た

一昨年から農水省の「食と地域の『絆』づくり選考委員」を仰せつかっている。その関係で過日、優良事例に選ばれた24地域の中の愛媛県内子町と北海道南富良野町を選考委員の方々と訪れる機会があった。 それぞれの地域ともさすがと思わせる内容で、地域住民の方々の地域の活性化にかける意気込みは、大いなるものがあり、非常に勉強になった。特に内子町では地域の景観の保全と古民家の活用による都市との交流事業に取り組み、成果を上げていた。そこでのポイントは、地域活性化に思いをはせる住民相互の心あわせがうまくいっていることにあるように感じた。また、地域にはふるさと回帰した若者も参加した形での企業組合方式による炭焼き事業にとりくむケースもあり、町並み保存による取り組みで全国に名をはせてきた内子町の新しい取り組みの一端を見た気がした。 夜にもなれば、古民家の周りは蛙の大合唱。川沿いまで行くとそこは何と蛍の乱舞、あたかもクリスマス・ツリーのような状況であった。あれだけの蛍を見たのは初めてのことで、これだけでも十分に売りになるのではないかと思った。売りになるといえば、内子町は栗の産地で、直径5センチもあろうかという栗が産出される。何とかこの栗のブランド化を模索中、宿題として預かり、戻った次第である。

大飯原発の再稼働で想うこと

過日、夏場の電力不足を理由に野田総理は大飯原発の再稼働を決めた。総理はまだ福島第一原発事故が何を引き起こしたのかわかっていないのではないかと思う。突き付けられたものが何だったのかもわかっていないのではないかとも思われる。 あの事故から1年3カ月が過ぎたが、現地はまだほとんど手つかずの状況にある。事故の原因も、津波によるものか、地震によるものかも明らかになっていない。万を超える地域住民は避難したままにあり、ふるさとには帰っていない。帰れる見込みのない人も多い。地域の環境も放射能に汚染されたままで農業もできないところある。さらに海も汚染され、現在まで操業自粛が続いている。漁の再開にはまだ見通しも立たない。 こうした状況での再稼働は信じられない。これからの我が国の原子力行政をどうするのかも決まらず、まして今後のエネルギー政策だって決まっていない段階での再稼働は、結局はこれまでの原子力行政に逆戻りとなりかねない。これではまったく意味がない。総理は、過日の会見で責任は私がとると大見得を切ったが、福島の事故を見る限り、現在まで誰も責任を取っておらず、いったん事が起きれば総理大臣でも責任など取れないほどの被害を地域社会に与えることになることは明らかだ こうした現状を見る限り、何も学んでいないことになる。もう一度事故が起きれば多分、この国は滅ぶことになる。それほど深刻な問題を突き付けていることを知るべきだ。そして、この問題を人任せにすることもそろそろにしないと本当に大変なことになることも知るべきだ。いつからこの国は、こんな無責任がまかり通る国になってしまったのか。

句会

私たちの句会は18年目。 先週末、友人たちと6カ月ぶりに句会を開いた。場所は法師温泉。 初めて開催してから、もう18年になる。酒を飲んでいて、句会でもやろうかとなったのかもしれない。メンバーは十数人。2年前に亡くなった立松和平君、映画監督として活躍している高橋伴明君。毎日新聞の社会部長を務めた清水光雄君。大地を守る会の藤田和芳会長もメンバーだ。他にも弁護士の三島浩司さん、医者となった鈴木基司君。 そうそうたるメンバーがしこたま酒を飲んで、他人の句をこき下ろす。これがストレス発散に良いようだ。誰一人として、もうやめようと言い出す人はいない。結果、こんなにも続いてしまったわけである。 中心は65年から66年にかけて闘われた早稲田大学の学費値上げ反対闘争の中心人物の一人彦由常宏氏だ。18年もやって少しは上達したのかと問われれば下を向くしかないものがあるが、それはそれでいい。第一回目は群馬の宝川温泉であった。 このようにして人生は積み重ねられ、櫛の歯が欠けるように一人ひとり逝ってしまう。中心人物だった彦由氏も逝って来年は17回忌となる。彦由氏が眠る周防大島の先の沖家室島での13回忌に、これでお仕舞にしようかと言ったら立松君が17回忌もやろうと頑強に言い張ったが、彼もいなくなった。 しかし、句会は続く。今回の季題は「ラムネ」と「紫陽花」であった。参加者は9名。3句読んで名前を明らかにせず選んでもらう方式で、トップは合計9票入った鈴木基司君で久しぶりに恵比須顔であった。小生はいつもながらの女々しい句を詠んで合計7票と善戦した。

チャリテイー・オペラコンサートを開催しました | 日常 VIEW MORE

チャリテイー・オペラコンサートを開催しました

5月14日、千鳥ヶ淵のイタリア文化会館でチャリテイー・オペラコンサートを開催した。イタリア文化会館は初めてだったが、一歩中に入ればそこはヨーロッパという感じの建物で、音響効果のしっかり計算された立派な会館であった。 このコンサートはイタリアのオペラ歌手2名が、東日本大震災からの復興に取り組んでいる被災者の方々を応援したいが何か役に立てることがあるのかと考えた末に、歌で元気づけたいとコンサートを開催することになった。この動きを聞いたわが国のオペラ界を代表する歌手男女12名、伴奏3名の方々も参加を希望し、かつてない大掛かりなものになった。 コンサートでは歌劇「セヴィリアの理髪師」、「フェガロの結婚」、「椿姫」などよく知られた13の歌劇から、それぞれ1曲が選ばれて披露された。特に8名のソプラノ歌手の澄んだ歌声は聴衆を魅了した。 このコンサートは、14日以外にも、13日には宮城県石巻市、15日は福島市、16日はいわき市の久ノ浜小学校、同小名浜第2中学校で開催される。小名浜第2中学校は、私の母校であり、卒業以来約50年ぶりに訪れることになった。いい意味で、生徒諸君にカルチャーショックを与え、彼らの人生に何らかの希望を与えることになればと思っている。 このコンサートを主催し、世界のいろいろな分野の方々が日本のことを気にかけ、頑張ってほしいと思っていることを改めて実感させられた。公演の最後に、出演者全員で文部省唱歌「ふるさと」を合唱していただいた。その澄んだ歌声を聴きながら、今回の大震災で起きた福島原発事故によって放射能で汚染されたふるさとの山や海を思い起こし、涙が流れて仕方がなかった。政府は、東京電力は、とんでもないことをやってしまったのだと怒りが込み上げてきた。

42年振りの原発の全停止

季節の移ろいは、動き始めると早い。 今年の冬はことのほか寒く、長かった。 4月になっても初めの頃はコートが手放せなかった。 梅も咲くのが例年よりもだいぶ遅かった。 なぜなら、一昨年の2月8日に親友の立松和平君が逝ったが、その夜に詠んだ句が「立松が 逝った夜にも 梅香る」だったからだ。(今年2月に行った3回忌で、参加者全員の意思で来年から2月の第一土曜日の午後に下谷の法昌寺で「遠雷忌」として偲ぶ会を開催することになった。) それが、桜が咲いたと思ったらいつの間にか散り、今頃は津軽海峡を渡っているはずだ。その後の花ミズキも、もう散り急いでおり、牡丹も、もう散り始めている。すでに新緑の候なのだ。 そこで問題になっているのが夏場の電力不足問題だ。政府は、どこよりも電力不足を指摘されている関西電力の大飯原発を再稼働させたいようだが、近隣自治体を含めた合意形成が出来ないでいる。それもそうだ。福島第一電発の事故によってかろうじて積み上げてきた原発の「安全神話」が脆くも崩れ、原発立地自治体にとどまらず、多くの自治体が放射能によって汚染され、いつになったらふるさとに帰ることができるのか全く見通しが立っていない。原発は事故が起きたら大変なことになるといわれてきたが、勝手に作られた「安全神話」を真に受け、容認してきた。それが、初めて原発事故の恐ろしさを実感させられたから、おいそれと再稼働を認めることができないのは当然だ。 そして今日、5月6日、1970年以来42年ぶりに国内の50基すべての原発が停止した。テレビでは、再稼働賛成、反対の住民の声を流しているが、賛成の住民は自分の生活が成り立たなくなるので動かしてほしいと意見を述べている。言うのは自由だが、一旦、事故が起きた時、その方々はどう責任を取るというのだろうか。いや、責任などとれるはずもない。命で購ってもどうにもならない。 ここは一番熟議の時だ。 福島県浜通り出身の私として、放射能で汚された山や川、そして生活の糧を得てきたあの美しい海を見る度に、二度と再び原発を稼働させてはならないと思っている。今回の福島第一原発の事故についても、いまだ誰も責任を取っていないし、誰にも責任など取れない。そういうことをやっておきながらの再稼働はあまりにも無責任である。

事務所引っ越し報告パーティー | 日常 VIEW MORE

事務所引っ越し報告パーティー

東京は雨。 花冷えの寒さで一度脱いだコートを着て出勤した。 過日開催した事務所引っ越し報告パーティーには多くの方に顔を見せていただき、事務局もてんてこ舞いの忙しさでした。NPOの構成団体の連合、全中、JF全漁連、農業会議所、大地を守る会などの副事務局長や専務理事たちが顔揃えていただきました。うれしい限りですが、責任の重さもひしひしと感じさせられました。また、大分県竹田市の首藤市長、埼玉県の鶴ヶ島市の藤縄市長、行動する首長会議の代表幹事の一人である長野県木島平村芳川村長、各県の東京事務所の方々。さらには嶋津顧問や地域活性化センターの石田理事長、同事務局長も忙しい中、参加いただきました。御礼申し上げます。 祝電も多数いただき、友人の猪瀬東京都副知事からも熱いメッセージが寄せられました。6年前の虎ノ門パストラルから東銀座への引っ越しの時も多くの方に来ていただきましたが、今回はさらに多くの方の出席をいただきました。ありがたいことと感謝しております。 ただ、残念なことが一つありました。友人の皆吉衆議院議員からいただいた「森伊蔵」をあんまりうれしいので提供したのですが、飲もうと思ったときには、もう無くなっていました。これは残念で、心残りでした。 昨日、日曜日でしたが、前からの約束もあり、香川県の相談会を事務所が休みにもかかわらず特別に開きました。そこになんと92組147人もの方が詰めかけ、こちらが確認しているだけでも11組の方を会場関係で断る始末でした。 5月中旬には岡山のセミナーも予定されており、最近の相談者の急増ぶりは大変なものがあり、せっかく事務所を引っ越したにもかかわらず間に合わないような状況です。 確実に、都市から地方への人の移住が始まっているようです。昨年の3・11以降、すべての面で時代が変わり目に来ているのではないでしょうか。戦後67年の暮らしを、しっかりととらえ返してみることが必要なようです。

中上健次の墓参り 

 過日、和歌山県古座川町に出かけた。理由は古座川町にある県の定住センターの業務委託をふるさと回帰支援センターが受けており、新年度の業務内容についての説明と訓示を行うためだ。 すでに山桜は満開だった。その山桜に誘われるように、新宮市まで足を延ばし、懸案だった懐かしき畏友・中上健次氏(戦後生まれの初めての芥川賞作家)の墓を訪ねた。 彼は新宮市の出身で、紀州にこだわりぬいた作家だった。 私が学生の頃にはよく早稲田に来ていた。そこで知り合い、以後よく二人で飲みに行ったりした関係であった。彼は酔うと荒れてよく人を殴ったといわれており、立松和平君は酒席での同席は回避することがよくあった。彼は私の前ではそのようなそぶりは見せず、いい酒であった。 もう亡くなられて18年になる。訪ねた墓はよく管理されているようであった。 人影もなく、ひっそりと18年の歳月を積み上げ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。墓に供えられた黄色い花が春の風に揺れていた。上空は風が強いようで大きな木の梢を鳴らしていた。 あー中上氏はここで休んでいるのかと想い、かつて二人で飲み歩いた夜のことなどを思い出してみた。 すでに私も齢60も半ばに達し、残された時間は少なくなってしまったが、とも生きた時代は永遠に心に生きていると思った。 新宮駅の観光案内で中上氏の墓を訪ねたら親切に教えてくれた。駅の外に出たら潮のにおいがしたような気がした。中上氏はここで育ったのかと思ったらフッと路地から彼が出てくるような気がしてならなかった。そして、何かこみあげてくるものがあった。 逝ってふるさと回帰し、ふるさとの墓地に眠る。 これもまた一つのふるさと回帰であることは間違いない。忘れられない一日となった。

ふるさとブログをスタートします

 4月から東銀座にあった事務所を有楽町駅前の交通会館に引っ越ししました。理由は簡単で最近の相談者の急増に対応するためです。  理由はいくつかあるのですが、一つは昨年の3・11以降、国民の意識が変化し始めていることにあるようです。消費型の暮らしに対する見直しの機運が高まっていることです。さらに、被災3県からの住民の流出などがあるようです。放射能からの逃避もあるようです。このように、ふるさと回帰運動は設立以来の活性化で、理由はともかく、やっと10年の苦労が日の目を見たという感じになっています。  また、このほど仙台市に東北本部事務所を開設しました。これは昨年度予算の3次補正にあった震災復興型地域社会雇用創造事業のコンペで事業者の一員として12団体の一つとして選ばれたことによるものです。当面、この間取り組んできた「ふるさと起業塾」の具体化として1年間、被災地に入り、90名の起業家と400名のインターンシップ事業に取り組みます。  福島県出身としてふるさとの復興のために何か役に立ちたいと思っていた身としては願ったりかなったりの事業です。昨年の震災直後からふるさと再生カンパに取り組み600万円を超えるカンパを集中していただき、被災各県の会員自治体を中心に物資の救援や金銭の支援に取り組んできましたが、もうひとつふるさと回帰新センターらしい震災復興事業ができないものかと考えていたところですので、しっかり取り組もうと決意しているところです。  HPのリニューアルに伴い、懸案であったブログを今日から開始します。月に何回書けるかわかりませんが頑張りますので期待してください。  皆さん、もう花見はしましたか?  いつのころからか、花見をするたびにもうあと何回出来るのかと思うようになりました。人生の盛りが過ぎたということを意識し始めたことによるものでしょうか。最後にふるさと回帰運動で社会貢献できることができて本当に良かったと思っています。  皆さん!一緒にやりましょう。  私たちの大好きなこの国の持続可能な発展のために。

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