ふるさとブログ

blog blog

やっと梅雨が明けた

やっと政府は重い腰を上げた。政府に「まち・ひと・しごと創生本部」を設置するとか。期待している。増田元岩手県知事が代表を務める日本創生会議が先ごろシュミレーションした2040年に消滅可能性都市は896団体になる試算を明らかにした。2040年といえばだいぶ先のような気がするが26年先のことで、平成になって26年ということを考えれば、すぐ先のことである。抜本的な対策なしにはこの消滅可能性都市を守ることは難しいのではないだろうか。このデータ、とりわけ新しいデータではない。女性の出産可能年齢(20歳から39歳)を軸に厚労省の人口問題研究所が5年に1回行っているデータを解析したに過ぎない。女性の生涯で産む子どもの数を合計特殊出生率という。これが2・1人を下回ると人口減になるといわれてきた。すでに早い段階からこの問題は指摘されてきたが有効な対策が行われてこなかった。こうした傾向は先進国共通の問題で、こうした傾向を打破できたのは北欧を別にすればフランスくらいである。フランスは婚外子が多く、移民の子だくさんなどが理由に挙げられているのは御承知の通りだ。理由はいくつかあるが、子育て環境が大都市ほど悪い。待機児童の数や学童保育の足りなさなどが時々マスコミを賑わせている。女性の社会進出の拡大がアベノミクスの第3の矢のメニューに挙げられているが、現状は掛け声倒れになっている。 子育て環境について見てみると、大都市より地方の方が圧倒的に良い。最近のふるさと回帰運動を見てみると「安全・安心」をキーワードに西日本が人気となっている。自然環境の良いふるさと(地方)で子育てをしたいという世代が急増しているのだ。ここに消滅可能性都市の消滅を免れるヒントがあるのではないだろうか。前回述べた鳥取県の4年で移住人口2000人の達成は子育てにやさしい県をスローガンにした取り組みが功を奏したといっていいようだ。 移住者受け入れに向けて動き出した広島県が19日(土曜日)に県としてのセミナーを開催した。福山市をはじめ庄原市・江田島市・呉市・府中市などが参加、久しぶりのことでどのくらい集まるのが不安のようであったが61組84名の参加で仕掛けた県担当はほっとしていた。いくつかの自治体に反応を聞いたが非常に反応が良かったといっていた。しっかり受け皿を整備して9月のふるさとフェアに参加したいと語っていた。全県が東京にブースを開設し、急ピッチで受け皿の整備に力を入れれば、ふるさと回帰運動はさらに大きく膨らんでいく。この取り組みが政府の「まち・ひと・しごと創生本部」をしっかり下支えできればと願ってやまない。

今年のスイカは甘い

今年も鳥取からスイカが届いた。ブランド品の大栄のスイカで、早速宗像主任が手際よく切って全員でいただいた。今年はとりわけ甘く感じたが出来はどうだったのだろうか。今日の東京は久しぶりの夏空で太陽ががんがん照り付けており,絶好のスイカ日よりであった。例年このスイカが届くと夏。今日は、時期はずれの大型台風が沖縄の南方にあり、週末には日本列島を縦断するような勢いである。そのため、明日とあさってに予定していた出張はあさって分がチャンセルとなった。楽しみにしていただけに残念。 先々週に続き、先週も北海道にいってきた。今度は函館。これも恒例になっている60年安保闘争の全学連委員長の殻牛健太郎さんの没30年、お墓建立024年の追悼会であった。年々、年老いてあの函館山のふもとにある市営墓地の坂もきつくなって来ている。今年も天気はよく、函館湾は夏の暖気の中で輝いていた。その海を眺めながら、墓参ももう24年になるのかと一人感じ入ってしまった。今回は60年安保ブンドの篠原浩一郎氏、当時の太平洋ひとりぽっちの堀江青年とレットゴーセーリングクラブをやった五島氏、それに一水会顧問の鈴木邦夫氏,映画プロデューサーの花房東洋氏、現在唐牛健太郎自伝を準備中の佐野真一氏も加わって盛り上がった。 それにしても、安部総理には困ったものだ。540年前に全学連が命を賭けて取り組んだあの安保反対闘争。テーマは再び戦争は繰り返してはならないだった。その危険極まりない集団的自衛権の行使が一内閣の閣議決定でやすやすと行われるとは信じられない。せめて堂々と国会での議論こそが望まれる。 ふるさと回帰運動は引き続き、好調で6月もまた、1000件を超える来場者に沸いた。6日の岡山のセミナーにはまたもや300名を越える来場者が押しかけ人気の高さを内外に明らかにした。

広島が動き、中国ブロックは受け皿ができた

今年も半分が終わった。早いものである。昨日は、九州北部は大雨。長崎は50年に一度の豪雨とか。長崎には雨が似合うといっても豪雨では仕方がない。あのオランダ坂を雨に濡れた紫陽花を眺めながらゆっくりと歩く、登りつめればグラバー邸。そこからは長崎港が一望できる。最後に訪れたのは何時の事であったろうか。異国情緒漂う長崎は好きな町の一つだ。 月末の28日から2泊3日で今年も知床に行ってきた。前理事長の立松和平君の始めた毘沙門祭に参加したのだ。この毘沙門祭も今年で20回目。よく守られているといっていい。地元斜里町の佐野博氏が資材をなげうって守っているのだ。今年も京都、奈良仏教界の大御所、京都の有馬頼底、奈良の大野玄妙両猊下以下、40名を超える僧侶が結集し、地元の方々を含め300名規模の例祭となった。当日は天気も良く、夏の日が僧侶たちの頭に容赦なく降り注いでいた。晴れ渡った空には新緑の木々の間から真っ白い雲がぽっかりと浮かんでいるのが見えた。そして、ワッペイ君がいたらなーと思った。 中国ブロックは、これまで広島県以外のすべての県が有楽町の情報センターにブースを構えているが、中心となる広島県がこれまで動きがなかった。その広島県がいよいよ動き始めた。6月27日に日帰りで広島市を訪れ、第1回広島県交流・定住促進協議会研修会で「地域の特色を活かした定住促進について」と題して講演をしてきた。そして、今月14日からは県庁担当者が2カ月半程度、有楽町でふるさと回帰運動についての研修を受け、移住相談も受け付け、本格実施に備えることになった。日本全国をブロックで分けると、東北は仙台に、北陸は金沢に、中国は広島に、九州は博多に人口が一極集中の傾向がある。全国レベルでは東京に1極集中だ。そうしたことから、いままでそれぞれの都市が所在する県はこのふるさと回帰運動には熱心ではなかった。それなりに人口が集中していたのだ。しかし、そうともいえないような状況となり、今回広島が先陣を切って動き出すことになった。広島が動けば、ブロック全体が受け入れ態勢が整うことになり、3・11の大震災以降、人気を集める中国地方はさらに全国一の移住人気ブロックとなる。これは強みだ。鳥取県の4年で2000名の目標を3年でクリアした実績は伊達ではない。受け皿さえ整備できればふるさと回帰支援センター東京への月1000件の問い合わせ件数はさらに拡充していくことは必然である。 地方の頑張りと東京のふるさと回帰支援センターの頑張りは表裏の関係にある。どちらが表でも裏でもない。いっしょに地方からいまの日本を変えているのだ。中国ブロックに対する期待は大きい。願わくばふるさと回帰運動を牽引していただきたい。

NPO総会が開催されました | ふるさと回帰支援センター VIEW MORE

NPO総会が開催されました

16回目のNPO総会が昨日、連合会館で開かれ、無事原案通り事業計画案などが採択された。出席者は19名、委任状が139名。会員の出席が少なかった。やはりウイークデーの総会は無理があるのかと思った。活動方針のポイントは、折からのふるさと回帰運動の盛り上がりを受けて、体制をさらに強化し、運動の前進をめざすこと。そのためには受け皿となる会員自治体の拡大と合わせて、前年度の収支が大幅な赤字ということから会員の拡充に努め、赤字克服をめざすことが上げられた。また、昨年あたりからの相談件数のウナギのぼりについては、国民意識の中に価値観の変化があるのではないかとの問題提起があった。それにしても1カ月の相談件数が1000件はとてつもない数だと思います。期待に応えるためにも更なる研鑽を心掛けたいと思います。 総会終了後、議長を務めていただいた大地を守る会の藤田代表と久しぶりに酒を飲みました。和食がいいということで、神田須田町にある明治10年代創業の「みますや」に行きました。年代を感じさせる佇まいとメニューの多さに驚かされました。天保水滸伝に出てくるような居酒屋。楽しむことが出来ました。そのメニューの一つに茄子の漬物がありました。東京の茄子の漬物は糠漬けが多いのです、あの店は塩漬けでした。東北は、なすは塩漬けが多いように思います。藤田代表とふるさとの話しに花が咲き、かれは「おふくろの漬ける茄子漬が一番だ」と岩手・水沢を懐かしんでいました。会計を済まし、外に出れば薄暮の空が広がっていました。薄暮と言えば15年程前に訪れたスエーデンのストックホルムのミッドソンマルを思い出します。一晩中陽が暮れないミッドソンマルの夜は、かの国ではたき火を囲み踊り明かすのです。藤田代表たちは今週末の夏至の日(ミッドソンマル)にはキャンドルナイトを芝・増上寺で開催します。6~7000人が集まるとか。夏至の日には電気を消してキャンドルを灯し、脱原発でもよし、ふるさとの話しでもよし、愛についてでもよし、語り合いましょう。皆さん、よいミッドソンマルを!!!

5月の相談件数が1000件超える

相談件数の急増ぶりが明らかになっているが、今年1月、2月に次いで、5月も1000件を超えた。3月、4月も1000件には至らなかったが900件台と従来とは全く異なる様相となっている。 昨日は初めての試みで長野、山梨、静岡の3県合同のセミナーを交通会館12階で開催した。このセミナーには3県から34自治体が参加した。午前中はW杯の日本VSコートジュボワール戦があり、暑さも厳しかったが200名を超える参加者に訪れていただいた。年代層は様々、若者、子育て世代、シニアとバランスよく、世代の片寄りはなかった。このセミナーを取材した朝日新聞の長野支局の若い記者はどうしてこんなに人が集まるんでしょうかと私に質問してきた。ここ数年、特に昨年あたりから急増していると答えたら驚いていた。新聞記者ですらこうなのだから、現場を知らない地方の人は分からないのも仕方がないことだと思う。 このセミナーには長野県山ノ内町の副町長も参加されていた。相談者も多くそれなりに手ごたえを感じたと喜んでいた。この副町長、前職は農協の全共連の理事で新任の大森事務局長の上司だったとか、彼は早速あいさつに飛んで行った。 最近、相談者の多い理由ははっきりしている。大都市に住む「安全・安心」な暮らしに価値を置く人のふるさと志向が強まっていることは確かだ。大都市に暮らし、経済成長第一の従来からの考え方に依拠し、そのおこぼれに預かって暮らすという価値観が変わりつつあるのだ。さらに放射能から逃げたい人も相変わらず根強く、子どもを抱えた子育て世代の相談者はそうした人が多い。若者は雇用情勢が悪く、臨時やバイトなどでしか働く場所がなく、こうした労働環境の悪さが若者を地方に向かわせている面もある。さらに地方でゆっくり暮らすことに価値を見出し始めた若者も一定割合存在している。こうしたことがこの間の相談件数の急増の理由と考えられる。 そして、いま何よりも必要なことは、受け入れ自治体の拡大である。自治体会員が最近増加しているが、相談件数の急増に比べれば受け入れ自治体の会員化は遅れている。19日のNPOふるさと回帰支援センターの総会ではこの会員自治体の拡大も議題の一つである。活発な意見交換を期待したい。 過日、岡山県の津山市長が訪ねてきた。2回ほど面会の要請があったが先約があり失礼していた。気になっていたがやっと会えた。会って驚いた。なんと25年ほど前に土光臨時調査会と自治労が対峙していた時の仲間であった。市長らしくどんと構えていたが、かつての面影もあり、えーと言って私は思わず笑ってしまった。懐かしき仲間の来訪はうれしい。最近、西日本の人気NO1の岡山の中では津山市は人口減が1番とか、なんとかしたいとのこと。そのうちゆっくり話を聞きたいと思っている。

青森県が相談員を配置しました

6月になったが、東京は5月下旬から暑い日が続いている。ふるさと回帰支援センターへの来訪者は相変わらず多く、5月31日の土曜日も長野の安曇野市と石川県がセミナーを開いたがあふれんばかりの盛況ぶりであった。何か、ひとつの壁が抜けたような感じである。来訪者も後を絶たない。移住希望者はもとより、自治体関係者も入れ替わり立ち替わりという状況である。 31日に事務所に顔を出したら、山梨県の担当者があいさつに来た。なにごとか思ったら、1年間お世話になりましたということだった。山梨県は昨年6月からブースを開設し、いきなり1ヶ月の相談件数が250件を突破した。1年間の相談件数は2053人と県の予想を上回った。さすがの人気ぶりといっていいだろう。タイミングも良かった。山梨県は団塊世代の人気が高く、その団塊世代が雇用延長も終わり、いよいよ地域に戻るなり、悠々自適の田舎暮らしを始めようという時期とぶつかったことが幸いしたようだ。私どもも、山梨県のブース開設が、いい意味で集客に関して相乗効果を生むことにつながったと思っている。 青森県が4月のブース開設に伴い、6月から専従の相談員を配置した。青森市出身の東京学芸大出の才媛。青森は、生活の質の高さもさることながら、太宰治や棟方志功を生み、ジャズにつながるともいわれる津軽三味線の音色など文化度も高い。青森の良さを十分に移住希望者に伝えていただけるものと思っている。オープニングセレモニーには青森大学教授の見城美枝子理事長も出席して盛り上げた。先々週の23日には地元で第1回あおもり移住・定住促進協議会が全市町村の担当課長級を集め、開催された。取り組みが他県に比べ遅れた分を取り戻そうと受け入れ態勢の整備を誓い合った。県内の注目度も高く、多くのマスコミも押し掛けていた。私からは「ふるさと回帰運動のいまを語る」と題して、全国状況や最近のふるさと回帰の傾向などについて講演させていただいた。日帰りしたのだが、新青森駅の近くに三内丸山の縄文遺跡があり、見学した。遺跡のスケールの大きさに驚き、5500〜4000年前のものということだが、まだ生暖かいような手触りを残していた。自分のルーツを訪ねた気分もした。是非一度お訪ねすることを勧めたい。 政府はついに人口減少問題に対応する総合戦略本部を設置すると今日のニュースで流れた。いよいよ、ふるさと回帰運動は新たなステージを踏むことになるのではなかろうか。

3県合同移住相談会を開催します

知り合いを通して、ベトナム国内の反中国デモの情報が入ってきた。本来同じ共産圏内の両国だが、従来からそんなに仲良い関係ではないようだ。かつて1979年には中越戦争もしている。この時は中国がベトナムを懲らしめるために攻め込んだが、手痛い目にあい、撤退している。今回は一方的な中国の西沙諸島での石油の掘削開始が問題。ベトナムは一歩も引かない決意のようで、国内的にはデモは禁止だが、政府黙認で国内各地で大規模のデモが展開されているようだ。中国系企業が襲われ、死者も出ている。デモ隊は企業に行って「どこの国の会社か」と聞いて、壊しているようだ。日本企業は日の丸を掲げるよう申し合わせているとのこと。中国の膨張主義には困ったものだ。国内問題を外に転嫁しているのだろう。そもそも国の統治システムが壊れているのではないだろうか。 6月15日(日)、初めて人気の山梨・長野・静岡が一堂に会し、3県合同移住相談会&セミナーを有楽町駅前の交通会館12階カトレアAで、ふるさと回帰支援センターの主催で開催する。人気ランキング1、2がそろって出展。先週末の岡山、香川の移住相談会もそれぞれ100名を優に超える参加者が押し掛けたとか。こちらも多数の参加が期待される。3県からは県をはじめ市町村など34団体がブースを開設するので、参加者に相談できなかったなどの迷惑をかけることが無いよう万全の対応をめざしているので是非参加してください。成功すれば、こうした形でのセミナーも随時開催したいと考えている。 今週初め、福島県のいわき市長からふるさと応援大使の委嘱を受けた。40名に委嘱したようで、秋吉久美子さん、ケーシー高峰さん、などが各界から選ばれ、東日本大震災からの一日も早い復興を誓い合った。 http://www.minpo.jp/news/detail/2014052015777  

持続可能な国づくりに寄与します

5月も、もう中旬。気が付くと周りは滴るような青葉の季節となっている。空気もおいしく、日本人であること、日本に暮らすことに喜びを感じている。この国が、集団的自衛権の憲法解釈の変更で揺らいでいる。最近の戦争は国対国ではなく、アメリカの場合などではアメリカ対テロ組織になるなど、どこでも戦場になる危険性がある。難しい話である。この状況で集団的自衛権の発動は巻き込まれる危険性が極めて高い。どうなるのだろうか。 日本創成会議(座長・増田寛也元岩手県知事)が過日、消滅可能性都市896自治体を公表し、各方面で話題になっている。これは人口の再生産力に着目し、「20から39歳」の女性が減少し続ける限り人口減に歯止めがかからないことに各種データから明らかにし、2040年の人口減少がどうなるかを予測したものである。 その結果、2010年から40年までの間に「20から39歳の女性人口」が5割以下に減少する自治体数は、現在の推計に比べ大幅に増加し、896自治体になるとし、これらを「消滅可能性都市」としたものである。そして、こうした市町村が8割以上に達する都道府県は青森、岩手、秋田、山形、島根の5県に上るとしている。5割以上になると24道府県。人口が1万人以下の市町村は523自治体で全体の29・1%になるとしている。自治体関係者にとって深刻なデータであるが、看過するわけにはいかないことだと思う。増田さんは2期12年の岩手県知事経験者であり、ことの重要性は人一倍分っているのではあるまいか。大胆な提言である。 この情報を見て、政府の諮問機関は初めて人口数値目標「50年後も1億人」を示し、本格的な対策をとることを明らかにした。「瓢箪から駒」というべきか、高齢化社会が来ると言えば、猫も杓子も高齢化、少子化と言えばまた同じ、場当たり的な対応に終始してきたが、国家目標としての人口の数値目標が示されたことにより、政策もさらに具体的なっていくのではないだろうか。久しぶりにわかりやすい提案と言える。 このことに関わって、ふるさと回帰運動も役割の一端を担うことができるのではないかと思っている。最近の若者や子育て世代のふるさと志向、子育てを田舎でやりたいという希望者の増加もあり、この国家目標に寄与したと思っている。

若者の田舎暮らしへの一考察

連休も終わり忙しい日常がまた戻ってきた。前号で触れましたがNHKが若者のふるさと回帰の増加に関心を示し、この間、3回も別々な番組で取り上げていただいた。いままでなかったことで驚いている。一回は夜7時のニュースで取り上げられた。視聴率から言えばベスト3に入る番組である。やっとここまで 来たかという感慨がある。 若者の田舎暮らし希望者の増加は何も最近始まったことではない。この傾向がはっきり数字として明らかになったのは2008年のリーマン・ショック以 降だ。リーマン・ショックはアメリカ発の世界的規模の金融危機だ。日本も大いにこの影響を受けた。この結果、若者の求人倍率は急落し、雇用状況は最悪のも のとなった。働こうにも職がないということになった。そこで、やる気のある若者から、活躍できる場を求めて地方に向かった。最近、全国各地の地域で頑張る 若者が話題になったりするが、この時期に地方に散った若者たちだ。それを追いかける若者たちが後を絶たない。あれから5年から6年、そろそろ地域に根が張 られ、目立ち始めているのである。 その一つの形が起業だ。仕事がなければ自らが生業(なりわい)を起し、生活していく。この間、私たちは「新しい公共」に関するプログラムや復興支援 プログラムなどで、全国で約190名の起業家を育成し、約4450名のインターンシップを行い、人材の育成を行ってきた。「農村六起」「復興六起」と命名 し、すべて第一次産業の六次化による起業をテーマにしてきた。現在も継続して事業展開している起業家は7割に達している。なにも年間売上が数千万円でなく てもいい。なにがしかの収入を確保し、次につなげていく。それでいいのではないだろうか。雇用が生まれればさらにいい。この起業家が地域に根ざし、生き抜 ければ必ず地域は変わる。この起業家育成こそが政治が率先して取り組むべき課題と考える。その時代に入ってきたのではないだろうか。まずは発想の転換から スタートしたい。 次に、2011年の3・11が子育て世代の田舎暮らしに道を拓いた。これは、セシウムを取り込みやすい子どもを放射能の影響を受けないところで子育てをしたいというお母さんたちが西日本に向かった。この傾向は現在でも変わらない。5〜6年前の移住希望者人気ランキングがあるが、当時はベスト20県の うち西日本は数県しかなかった。いまはどうだろう。西と東が逆転している。それを後押ししているのがこの子育て世代のお母さんたちだ。近年、中国地方が人 気だが「安全・安心」志向のお母さんがこの人気を支えている。   少子高齢化が話題になり、2008年からは人口減社会に入っている。社会構造を変えれば、この現象の克服も可能なのではないか。フランスは子育て環境の改善で少子化に歯止めを掛けた。ふるさと回帰者は子だくさんという声もある。 この面からのふるさと回帰運動を考えるのもあるのかもしれない。

努力しても報われない社会を許さない

連休、いかがお過ごしでしょうか。風の便りによれば、弘前城址公園の桜は満開とか、一度訪ねられることをお勧めいたします。岩木山をバックにした桜は、それは素晴らしいものがあります。桜の木の下には死体が埋まっている、と詠んだ詩人がいましたが、それほどに見事なものです。西行の和歌に「願わくば 花の下にて 春死なむ この如月の 望月のころ」なんていうのもありましたね。桜の散り際の美しさを読んだものです。 新年度がスタートしましたが、ブース開設に踏み切れず、次年度以降にと言っていた県の担当者の来訪が続いています。4月27日(日)のNHKニュースで若者のふるさと回帰が増加していると取り上げられたこともあるのかもしれません。地域で実感するよりもさらに東京では人が動いているのではと確認に来ているようです。 送り出す東京側と受け入れる地方では自ずと感触は違います。居住人口をはじめ、地域のスケールが違いすぎるようです。その原因はと言えば、明確に若者の価値観が変わり始めているといっていいでしょう。この価値観がなぜ変わったのかと言えば、東京で働くことに希望が持てなくなったということがあるようです。努力しても報われない社会がいつの間にか創り上げられ、気がつけば格差社会が厳然と存在するようになってしまっているのです。 その最たるものが、不安定雇用職員の急増です。臨時・パート・嘱託などの形でしか雇用されないのです。その数2000万人です。これではいくら努力しても賃金は上がらないのです。この現実から、地方での暮らしに可能性を見出し、移住を志向する若者が増えているようです。この現象は希望の持てない社会の中で数少ない希望の持てるものです。 この若者の田舎暮らしの動きに関しては5月12日の午後6時10分からのNHKの首都圏ニュースと本日23時30分からのNHK NEWSWEB、5月4日のNHKBSのBiz+サンデーでも再度取り上げられるようなのでご覧ください。 よいG・Wを・・・・。

メーデーを前に想うこと

今年の桜は例年より幾分早いようだ。今日来た福島市の担当者は、もう山の上の方に桜は行ってしまっていると言っていた。連休には桜を追いかけて東北へ行きたいと思っているが、はたしてどうなることやら。 TPP交渉がオバマ大統領の来日にあわせ本格化したが、妥結に至らなかった。アメリカは何とか妥結したかったようだが、甘利担当大臣は頑張ったようだ。かつての自民党のように大統領が来日したのだからとかいうことでご祝儀として妥協なんていうことは今回はないようだ。それだけ交渉に慣れてきているのであろうか。巷間聞くところによればオバマ大統領はビジネスライクな人のようで、その辺はあっさり割りきる人だそうな、そんなことも聞こえてくる。恨みを買って、後でしっぺ返しなどなければと思うのは考え過ぎか。憶測の域は出ていないのだが。 うれしい悲鳴だが、相変わらず来客が多い。入れ代わり立ち代わり自治体関係者が訪ねてくる。仕事が手につかないくらいだ。このブログもだいぶ間が空く始末だ。その多くは情報を取りに来る。最近ふるさと回帰希望者が増え、動いているという情報が全国に流れているのだろう。事実、先週より、NHKの取材が入り、明日26日の夜7時のニュースと5月4日のBS1のBiz+サンデーで取り上げられるとのこと。嵩副事務局長がインタビューを受けたので見てほしい。 明日はメーデー。本来メーデーと言う以上、5月に開催されるべきものが4月26日なんてあんまりだと思う。労働者は団結して何ぼ、まして世界中が5月1日にメーデーで統一されることは影響力を行使するためにも重要なことだと思うがいかがであろう。この辺の感覚が若い人は違うようだ。メーデーの歴史を考えればこんなことにはならないのではないだろうか。この格差社会はそれを容認する労働組合があるからこうなったと言う面もあるのではないだろうか。 これも愚痴か!

新年度も来訪者相次ぐ

4月は人事異動の季節、今年も各県の担当者で変わった人がいる。1998年のふるさと回帰運動の立ち上げから一貫してこうした人の入れ替えを見てきたが、担当者によってこの運動は大きく変わる。仕事だからと割り切って無難にこなせばそれはそれなりに回っては行く。しかし、それだけのことである。それが想い入れを持って取り組めば、それが相手に伝わり、相乗効果を生み、運動は大きく伸びる場合が多い。ふるさと回帰運動はいま、月の相談件数が1000件を超えるなど、かつてない盛り上がりの中にあるので、思い入れたっぷりにこの運動に取り組めば大いなる成果につながることに成るので頑張っていただきたい。ふるさと回帰運動は、昨年よりはさらに動きが活発になっており、有楽町の情報センターは人が途切れることがない状況である。 今年の春はことのほか忙しく、仕事に振り回されている。桜とてみる暇がなかった。今年の春のイメージは、暖かくなったら桜のトンネルの下をゆっくり歩くことだったので残念で仕方ない。自治労本部に勤務していた頃は、いつもこの時期はJR四ツ谷駅で下車し、外堀公園の桜のトンネルを市ヶ谷まで歩き、出勤したものだが、それもできなくなって久しい。鶯が鳴き、メジロが花をついばむのを見たのはいつの日だったのか。桜のトンネルと言えば、わがふるさと福島県浜通りのJR夜ノ森駅前の通りが有名だが、いまもあの地域は避難勧告地域で、誰一人見る人もいないのに満開の桜となっていると今日の朝日新聞に写真入りで紹介されていた(写真はつくったように今年秋に結婚する若者が写っていたが)。なんと無残で悲しいことか。季節は巡るのに人は帰らない。誰がこんな現実を招いたのか。誰も責任を果たさず、みんな知らない顔を決め込んでいる。 ふるさと回帰運動の広がりを感じさせる事例を紹介します。今年、2名の学生が卒論でふるさと回帰運動を取り上げた。先進地域である長野県飯山市や千葉県鴨川市を取材し、この運動の可能性に肉薄している。うれしい限りである。ふるさと回帰運動が、こうした若者たちの希望になればさらにうれしい。次年度以降もこうしたことにチャレンジする若者が生まれてくることを祈念し、期待したい。 4月に入って各自治体からの来訪者も多い。一昨日は3月に訪れた徳島県三好市の黒川市長が全国市長会出席の途中に寄っていただいた。ふるさと回帰支援センターの団体会員にも入っていただき、シニア世代のふるさと回帰に取り組みたいと決意をのべておられた。また、昨日は山形県小国町の盛田町長にもお訪ねいただいた。団体会員になっていただき、今後とも連携を深めていくことになった。この打ち合わせには見城理事長も参加された。また、今日は三重県尾鷲市の担当者がやっと予算が取れましたので団体会員になって頑張りたいと決意を述べられた。かの地域は紀伊半島の先端に位置し、黒潮に洗われる地域で素晴らしい眺望を楽しめるのではないだろうか。一度訪れたい地域である。

桜はまだか | セミナー VIEW MORE

桜はまだか

ここ2~3日、朝夕はまだ寒いが日中はすっかり春めいてきた。コートを脱ぐのもあとわずかでないだろうか。桜も昨日、開花宣言が発せられた。春は冬の厳しい寒さがあるからまた一段と季節の移ろいに対する喜びが深いのかもしれない。 春を想うとまず目に浮かぶのは菜の花畑、あの菜の花の匂いはふるさとを思い起こさせる。そして、小川のせせらぎ。透き通るようなきれいな水の中を泳ぐ小鮒のスリムな姿は私を夢中にしたものだ。まさに、小鮒釣りしかの川がふるさとにはあったのだ。しかし、その川も小鮒もすっかり見ることはなくなった。淋しい限りだ。私たちの心を励まし、慰める自然の崩壊は激しい勢いで進んでいるようだ。その結果、人心の荒廃は進んでいるようだ。失ったものは帰らない。大切にしなければと思う今日この頃だ。 18日には久しぶりに山梨県に呼ばれて講演にいった。昨年6月のブース開設以降、人気沸騰という感じの山梨県であるが、さらに地域の受け皿を強化しようと従来からあった富士の国やまなし農村休暇邑協会とやまなし二地域居住推進協議会が合体し、あらたに「富士の国やまなし移住・交流推進協議会」を設立することになり、その総会で講演したのだ。この協議会には県下7市町村をはじめ、農林業団体、商工業団体、観光業団体、不動産業団体などが参加している。山梨県は人気は高いが地域の受け皿がもう一つと言われてきたが、その課題の克服に向けて体制が確立されたようだ。 先週の連休の谷間の土曜日に長野県のセミナーが開かれた。大町市や長野市、木島平村、原村、辰野町などが一堂に会した。さすが人気の長野県、そこに64名の移住希望者が集まった。会場は人気むんむん。子連れのお母さんと若者の姿が目立った。最近、ジワリと若者のUターンが増えていると聞くが、なるほどと思わせるものがあった。また、今週の日曜日はこれまた人気の飯山市。すでに25名の申し込みが寄せられている。年度末ということもあるのだろうが若者の姿が目立つようだ。 3月は別れの季節といわれるが、ふるさと回帰支援センターでも3名の方が巣立っていった。とくに星君は5年頑張っていただいた。当初から5年を目途にということだったので、満期終了ということになる。少ない人数の中で頑張ってもらった。心から感謝したい。そして、幸多い人生を祈りたい。  

今年、ふるさと回帰運動が爆発するか?

もう、今日は彼岸の入りとか、やっと待ちに待った春がそこまで来ているようだ。昨日の日曜日は日差しが強く、春本番のような陽気でした。散歩したのですがいたるところの梅が満開でした。桜もいいが、梅はまた格別の趣きがあるように思います。 そうしたなかで30年近い付き合いの山口県知事であった山本繁太郎氏の訃報が届いた。体調を崩し、退職したばかり。マスコミ報道によれば胃がんだったとのこと。志半ばでの退職はさぞ無念であったのではないだろうか。人一倍責任感の強い男だっただけに。何年か前に、福田内閣の目玉の政策であった地域再生統合本部事務局長に就任した時、これで「ハムさんとふるさと回帰運動を一緒にできるね」と言ってくれた。その後、数カ月で衆議院選挙に立候補した。彼は官僚として、この仕事を全うしたいと言っていた。だが、官僚は政治家から声がかかったら断れない運命なんだと言っていた。断ったらその時は官僚をやめることが前提であると言っていた。昨年3月、早稲田の先輩の彦由さんの17回忌で周防大島に行ったとき、わざわざ駆けつけてくれた。そして、義兄弟の錦帯橋の棟梁・海老崎さんが持ってきた獺祭の大吟醸で乾杯し、再会を約束した。心から冥福を祈りたい。 13日から14日にかけて徳島県三好市に行ってきた。池田町など数自治体が合併してできた市で、自治労の仲間の黒川さんが市長を務めている。シニア世代のU・Iターンを受け入れて地域再生をめざしたいと意気込んでいた。徳島県が全く動かない中でよくぞ決意していただいたと心強かった。さっそく会員になり、頑張りたいと言っていた。今年は地元の池田高校も久しぶりに選抜に出場する。活躍を期待したい。この地では7年前からNPO「ふるさと力」がクラインガルテン事業を県産材を活用した積み木ハウスで手がけ、成功している。大いに期待できそうだ。東京へ帰ってきたら徳島県の美波町が初めてセミナーを開催していた。そこになんと40名の移住希望者が集まった。三好市と言い、美波町と言い、やっと徳島県の自治体が動き出した。四国の人気は高知と言われ、それなりに結果を出しているが、気候、人柄、食べ物など徳島は高知にそん色がない。コラボを強め、協力して売り出したら大いに人気が出ること間違いなしと思うがいかがであろうか。 何と、最近わかったが1月、2月と相談件数が1000件を上回った。昨年7月以来の大台だ。どうも今年はふるさと回帰運動が爆発しそうな予感がする。自治体の皆さん、仕掛けるなら今ですよ。

東北はいったいどうなってしまうのか

今日3月11日は東日本大震災から3年になる。早いものである。しかし、現地はどうなのだろうか。人口の流失に歯止めがかからないという話を聞くと胸が押しつぶされそうな息苦しさを禁じ得ない。復興が遅々として進んでいないのである。政治が機能していないのではないかと思われる。復興庁はなにをしているのかと思う。一昨日、テレビを見ていたら宮城県知事が復興計画について委員会の決定を待って決めたいと言っていた。すでに災害から3年もたっているというのに何を言っているのかと思った。そんな悠長なことを言っている場合かと思った。委員会では、それぞれ勝手なことを言うにきまっている。3年たっても議論しているようじゃ10年たってもまだ議論することになるのに決まっている。被災者の気持ちがわからないのだ。この現状は、政治が機能していないといっていい。政治家として最低の素養である責任を取るという視点がないのだ。 私が生まれ、育った福島の浜通りは、被災3県の内でもさらに人口の流失が激しいようだ。とくに福島第一原発からの放射能に汚染された水の流出はどうにもならない。一日400トンもの汚染水が出され、抜本的な対策ができない状態だ。にもかかわらず、政府は原発の再稼働の政策を進めようとしている。先の大戦についても誰も責任を取らなかったが、今回の原発事故も誰も責任を取らず、なし崩し的に原発の再稼働を行おうとしている。この国は、こうした大きな過ちについてはすべてほっかぶりを決め込み、曖昧にして同じ過ちを繰り返してきた。懲りない国民性ともいうべきものがあるようだ。しかし、希望はある。一昨日の脱原発集会には3万2000人が集まったという。この時代、これが希望でなくてなんだというのか。しかし脱原発集会が希望とは、戦後こんなに悲しい時代はあったのだろうか・・・。 昨日発売の月刊文芸春秋の特集は「第二の敗戦 団塊こそが戦犯だ」。売るために編集者もいろいろ考えるのだろうが、それにしても酷過ぎる。この国は欧米に比べても徹底して学生運動をした団塊世代の活動家を社会から排除してきた。そのつけが、いままわってきていると言ってもいいだろう。あの時代、優秀だった奴は学生運動をやっていた。学生運動をやらないような奴は信用されなかった。ベトナム戦争が闘われ、爆撃機は沖縄からベトナムへ出撃していた。こうしたやむに已まれぬ社会に対する想いが学生運動に走らせた。先の大戦においても特攻を志願した兵は何としても祖国を守らなければという想いから特攻を志願したのだった。基本のところは同じで、分かる気がする。 東日本大震災からすでに3年。わが東北はこれからどうなっていくのだろうか。そして、齢66歳の私にできることはあるのだろうか。 大震災 ふるさと想い 涙する

春はまだか

 2月は過ぎるのが早かったような気がする。寒い日も多かった。大雪だって2回も降った。2回目は珍しく10日以上いつまでもという感じで残った。しかし、3月に入って梅は満開で、日当たりの良いところは菜の花だってさき始めている。高校はもう休みに入っているようで朝の通勤電車は大分すいていて座れ、楽である。季節の変わり目、学生たちの旅立ちの季節なのだ。大学・社会それぞれの道はあるのだろうが、是非希望を失いことなく、全力投球で頑張ってほしい。いまの日本は若者にとって希望の持ちにくい世の中となっているが、しかし希望を失うことなく挑戦し続ければ、自ずと道はまだ開くことはできると思う。もし、そうでなかったらこの国は一挙にしぼんでしまうことになりかねない。  過日、宮崎県の西都市がセミナーを開催した。県央に位置し、日本一と言われる宮崎牛とピーマンなどの施設園芸が盛んな地域で、おいしいが高いことで一躍有名になった完熟マンゴーの産地でもある。東日本ではそれほど知られる地域ではないが豊かで温暖な地域である。このセミナーにも11名の相談者が訪れ、熱心な応答が行われた。これにも私は移住先としての九州の人気ぶりを見た思いがする。  また、新年度からのブース開設が明らかになってきた。現段階では、県議会の承認の関係で明らかにできないがいくつかの県が開設で予算を計上している。東北のある県は専従相談員を配置して取り組むことにしている。これは最近、粘り強い取り組みで目に見える形で成果を上げてきている秋田県に続けとばかりの姿勢だ。また、大阪にもあらたに中国地方のある県と一時お休みしていたハウスメーカーが復活する。そのほかにもいくつかの県がブース開設に向けて検討を続けている。ふるさと回帰運動は次年度、さらに大きく羽ばたく勢いである。  個人的なことだが、昨日は1960年の安保闘争を指導した全学連委員長の唐牛健太郎さんの30回忌であった。すでに70歳代も半ばとなったかつての勇者たち約200名が国会前の憲政記念館に集まり往時をしのんだ。10年遅れの70年安保闘争を全共闘の一人として戦った小生も出席、事務方を担った。また7月5日(土)午後3時にはお墓のある函館市民墓地集合で墓参会も計画されている。

能登は世界の旅行ガイドブックでも話題に

2月は逃げるように終わると言われますが、今日はもう24日。早いもので残すところあと4日です。しかし、今年は記録的な大雪が2回も降り、長く記憶にとどめられるのではないでしょうか。 昨日はまだところどころに残雪がある近所を散歩しましたが、梅がもう満開のところもあり、甘い香りを漂わせていました。確実に季節は巡りつつあるようです。 週末の22日(土)には久しぶりに石川県がセミナー開催しました。 来年春、待望の新幹線が長野を経て北陸まで入ることもあって、北陸地域では観光、移住、二地域居住への期待が高まっており、そのための県主催の懇談会もすでにスタートしています。 こうした動きを背景にセミナーの参加者は21名に達し、手ごたえを感じ取っていたようです。参加した県内の受け皿の一つである能登定住・交流機構の高峰事務局長もこれからと決意を固めていました。2月8日(土)には石川県の穴水町が初めてのセミナーを開催する予定でしたが、大雪のためにやむを得ず開催中止に至った穴水町の担当者も挨拶にお越しになりました。是非セミナー開催に向けて、再チャレンジを目指したいと言っておられました。 オーストラリアの若者の旅行バイブルと言われている「ロンリープラネット」という旅行ガイドブックは、世界中で親しまれています。この「ロンリープラネット」が発表した「Best in Travel 2014」の地域部門(お勧めの観光地)で“北陸”が第4位に選ばれました。このように北陸はいろんなところで話題になっているようです。 そして、23日(日)には、山梨県のセミナー開催枠を利用して、韮崎市が初めてセミナーを開催しました。こちらも28名の参加者を集め、初開催としては手ごたえのある実績を積んだようです。 昨年6月に移住と就職の相談体制を構築した山梨県は市町村の受け皿の整備が課題でしたが、こうして1か所ずつ整備が進めば、移住者も増えていくことになるのは明らかで、さら期待が膨らみます。

大雪でも広島県がセミナー開催

東京は2月8日、朝から45年ぶりの記録的な大雪となりました。都心でもところによっては30センチになろうかという積雪でした。45年前の大雪は覚えており、図書館でアルバイトをした帰り、都電も止まり、神楽坂まで歩いて帰った記憶があります。 この日は、前理事長の立松和平君の4回忌。彼が作家としてデビューし、最初に売れ、映画化もされた遠雷という小説に因んで昨年から遠雷忌と命名し、執り行うことになって2回目になります。あいにくの雪ということで遠方からの参加者は交通の関係で参加をあきらめた方もあり、30名弱の参加者でした。深々と降る雪のなかに福島泰樹住職の読経が消えてゆく様は心震えるものがありました。 その後の講演も福島住職に話していただきました。最初に会ったのが1970年であったこと。立松君は当時流行であった肩までの長髪であったことなどが語られました。みんな元気がありましたが明日が見えない、辛く苦しい時代でした。 その後、雪の降り振りは酷くなっていきましたが、せっかく予約したのだからと直会に行ったのですが、気がつけば外はすでに20センチは雪が積もっている状況でした。予想外の大雪で交通網は寸断され、普通は1時間のところも2時間はゆうに掛る混乱ぶりでした。 9日は都知事選挙の投票日だったが予想通り投票率は伸びず、既成政党に乗った候補の圧勝となりました。結果をみると田母神氏が意外と善戦、若者の票を集めたとのこと。やはり、脱原発派は統一候補を探ることなく自公の押した舛添候補に勝てるはずはなく、残念なことです。選挙は、まず勝つことなく何も変わらないことは自明で、主義や主張を優先させる限り、何もまた変わらないことも自明。これが戦後日本の政治であった。いつになったら政治とは何かを理解し、一歩踏み込んだ対応でこの閉塞状況を突破できるのかと思ってしまいます。 大雪の8日も有楽町のふるさと暮らし情報センターではセミナーが開催されました。開催したのは広島県。人気の中国地方で、もう一つ動きの見えなかった広島県でしたが、やっと動き出しました。参加した自治体は呉市をはじめ9団体。雪をものともせずに参加した移住希望者は何と32名を超え、中国地方の人気の高さを証明する形となりました。 日も雪の残る中、長野県が開催。一部キャンセルした自治体も出たが8自治体が参加し、そこに40から50名の移住希望者が参加という状況でした。 こうした話しを聞くと、丁寧に、丁寧に、移住希望者の思いを大切に相談に乗っていきたいものと思うばかりです。

今日は節分

今日は節分、季節を分ける日だ。明日から立春。「春は名のみの風の寒さや」という歌があるが、それでも暦の上では春なのだ。ちらほらと梅の便りも聞く。今日までの農水省の六次化の起業家育成のセミナー開催地の和歌山県古座川町の定住センターの圃場の梅も満開のはずだ。 先週30日、帝国ホテルで自治労結成60周年の集いがあり、出席すべく日比谷を歩いていたら鹿児島県のアンテナショップの前で、指宿の菜の花を配っていた。思わず立ち寄り、一輪いただき、家に持ち帰って飾ったら、我が家は一気に春となった。この時期のこうしたプレゼントは心和ませるものがある。 指宿には一昨年の12月、宮崎県の高原町に講演に行った折に足を延ばし、砂風呂に浸かった。その時も菜の花は満開で、空豆の白い花も満開であったような気がする。私の机の前には、開聞岳の麓が菜の花で埋め尽くされた絵葉書が張ってある。沖縄戦で知覧から出撃した特攻隊の若者たちが最後に日本に別れを告げた山である。開聞岳を見るたびにそのことを想い出し、思わず涙する。 年が明けても、ふるさと暮らしセミナーの開催は順調に推移している。1月31日(金)は新潟県上越市が久しぶりにセミナーを開催し、テレビ新潟も取材に入った。翌2月1日(土)は千葉県主催で9市町村が集まってのセミナーを開催し、20家族31名が参加した。各自治体のブースには数組ずつの相談者が相談に押しかけた。さすが人気の千葉県というところか。午後からは会津振興局が開催、こちらも若者の移住希望者が熱心に相談する姿があった。 昨日は都知事選挙の投票日までの最後の日曜日。銀座は候補者が入れ代わり立ち代わり街頭演説に押し掛け、大変な熱気だったとか。事務所の下は有楽町イトシア前ということで時々候補者が来て、演説会を開く。ついこの間も小泉元総理が青いダウンを着込み、元気な声を張り上げていた。2001年のヨハネスブルクでの環境サミットでお会いして以来、初めて本人を見たが、齢は否めなかったが、それでも元気であった。なにが元総理を街頭に立たせるのか、大いに見習いたいと思った次第。いずれにしても選挙戦はあと5日だ。皆さん、投票に行きましょう。

運動は勢いが重要

新年あけましておめでとうございます。 ブログもこれが新年第一号です。なにが発信できるのか心もとない面もありますがよろしくお願いいたします。 本日、会員自治体向けに、ふるさと暮らし情報センターの12月の利用者動向マンスリーレポートを発表しましたが、相談件数県別ランキング1位は山梨県でした。2位に富山県が初めて長野県と同率で入りました。担当者の分析によれば、この要因は富山県単独で達成したというよりは、漠然層は複数の地域で検討しているケースも多く、各来場者が相談したデータをチェックすると、富山県単独の希望者の他、「北陸」「日本海側」「全国」などの複数地域で相談している人も多く、その中で富山県の相談も多かったとのこと。それを裏付けるように、富山県同様、同時期に情報発信に力を入れてきた、新潟県、福井県も10位以内にランキングされています。北陸は前々から生活インフラや食の豊かさなど、その豊かさが話題になっていました。そこに、来年の新幹線の北陸入りもあって地元が盛り上がりを見せており、それがふるさと暮らしにまで波及してきているといっていいようです。 ※マンスリーレポートは会員団体にメールにて毎月送付しています。 1月15日の夕方、山梨県の横内知事がふるさと回帰支援センターまで足を運んでくださいました。昨年6月のブース開設以来、初めての訪問です。山梨ブースの3名の担当者は朝から緊張気味。マンスリーレポートにも示されているように、ブース開設以来、山梨県への相談件数がトップを継続していることから、結果が出ているねと横内知事は嬉しそうにされていました。 今日も秋田県三種町長、長野県大町市長が訪ねてこられました。こうした訪問は、担当相談員を勇気づけ、何とか一人でも多くご案内しなければという気持ちにさせるようです。 来週の1月21日には、3年前に始めた「ふるさと再生行動する首長会議」のフォーラムが予定されています。 記念講演は、東大名誉教授で地方財政審議会会長の神野直彦先生。テーマは「地方財政の観点から今年度予算案を考える ―ふるさと再生の観点から分析する―」です。 このように様々なことが動き出すと、いよいよ新しい1年がスタートしたなという気持ちになります。そういえば、昨夜は生協パルシステムの賀詞交歓会、一昨夜は日本生協連の賀詞交歓会、いずれも食に対する安全・安心を求める気持ちが高まっていることもあり、盛況でありました。やはり、運動は勢いがなくなると人も集まらず、ポシャっていくことを実感しました。

今年のふるさと回帰運動を振り返る

今年も残すところあとわずかになりました。 ふるさと回帰運動の一年を振り返ると、全体としては運動全体の底上げが図られた1年であったと総括できます。 人気県別ランキングのトップ5にランキングされている県がしっかりとこの運動を牽引しており、それらの県に続く10県程度の県が地域に根を張った取り組みで健闘しているようです。そのグループに続く10県程度の県が次年度に向けてブース開設の検討などをはじめ、動き出しているという状況であると考えています。このグループの動きが具体化すれば、ふるさと回帰運動は勝手に走り出すのではないかと考えます。 こうなってくると、やっとふるさと回帰運動が、当初の目標であった国民運動になっていくのではないかと思います。目先のことを考えれば一喜一憂してしまいがちですが、10年単位で地方自治体の今後を考えると人口減と高齢化問題が深刻なものとなり、ズシンと腹に効いてくるような気がします。 日本の人口は2008年をピークに減少に入り、人口は2010年に1億2806万人であったものが27年後の2040年には1憶728万人と2078万人も減少すると推計されています。この人口減少は過疎地から徐々に都市部へと広がっていきます。 持続可能な地域づくりのためには、今がぎりぎりのところに至っているのではないでしょうか。都市と地域の交流・移住における、この運動の重要性が今こそ問われているようです。 先週の土曜日には10月のセミナーが台風の接近で中止になった長崎県が五島市など10自治体の参加のもとでセミナーを開催し、29名の方が参加されました。 このセミナーには県の担当課長も参加され、「たくさんある離島への移住を何としたいのだが……」と言っておられました。「ならば。具体的な離島暮らしの提案をしてみたらどうですか?」とアドバイスしておきました。立ち止まって考えていても何も変わりません。まず、歩き出し、そして考え、さらに歩き続けることが肝要なのではないでしょうか。実現は来年になると思いますが、長崎の離島に絞ったセミナー開催に期待したいものです。 また、日曜日の山梨県と山梨中央銀行がコラボしたセミナーには若者を中心に38名が参加、盛況でした。6月にブース開設し、月の相談係数が200件を超えて人気だった山梨ですが、その頃はシニア世代が60%と他県に比べてシニア世代が多い特徴がありましたが、ここにきてインターネットでの発信も丁寧に行ってきた結果、若者の相談が増えてきているようです。 情報発信に工夫すれば、セミナーの参加者も変わります。当たり前のことですがこれがなかなかできないのが現実です。確実に、誰でもいいからわが町に来てほしいという段階は過ぎているようです。いまやふるさと回帰運動は対象者を絞った提案と、それに見合った・効果的な情報発信の仕方などの工夫が重要になってきています。

秘密保護法に異議あり

寒いと思っていたら、もう12月。11月30日から1泊2日で行った札幌は雪が舞っていた。今回の札幌訪問は、2008年に立ち上げた「ふるさと起業塾」の発展形ともいえる、農水省の6次化人材育成事業の北海道ブロックでの開会式でのあいさつのために訪れた。この事業は全国5か所で6次化による起業を目指す人材を育成するもの。 この時期の北海道は冬へのとば口にたたずむような季節。これから数か月の凍える季節の予感もあり、何かもの悲しい気分にもさせられる、そんな感じの時期だ。景気もあまり良くないようだ。 しかし、泊まったホテルで食べた遅い夕食の海鮮焼きそばは、具の素材がよくおいしいものだった。頭をよぎったのは最近の偽装表示、しかし北海道は食材も豊富、しっかり吟味した食材を使っているようで偽装表示とは無縁のようだ。   ふるさと暮らしセミナーは相変わらず盛況だ。 先の土曜日(11月30日)は、山口県が今年2回目のセミナーを開催した。内容は山口市での就農セミナー。参加者はなんと47人。就農のみをテーマとしたセミナーで50名近い参加は、非常に多い方である。中国地方の人気の高さが伺えた。 日曜日(12月1日)は、長野県が県下の9市町村と1団体の参加で開催し、40名を超える参加者を集めた。ただ、市町村の人気にばらつきもあったようで、受け皿の整備など移住者を受け入れるために必要なことを準備しての参加が求められるものとなった。   最近マスコミを賑わせている秘密保護法について、国民一人ひとりの意思表示が求められているように思う。この法は制度として精度が低く、解釈によっていかようにも取れる内容となっており、危険なものであるように感じる。何を秘密とするのかもあいまいであり、暗黒国家へ進んでいく未来に繋がりかねない。先の大戦時の特別高等警察や治安維持法による無法ぶりは、私らの世代でもそれなりに知っている。こうしたことは繰り返してはならない。それが世代の責任でもあると考える。従って、ダメなものはダメとしっかり発言したい。当面は国会での慎重審議を求めたい。なにも拙速に成立させなければならないことなど何もない。デモをテロとまで言ってしまう与党幹事長の表現の自由に対する認識には驚かされる。   今年もあと1カ月。風邪など引かないようにご自愛ください。忘年会シーズンとなりますが、お酒もほどほどに(ここは自分に言ってもいるものでもあります?)……。

ついに「くまモン」登場しました | ふるさと回帰支援センター VIEW MORE

ついに「くまモン」登場しました

ついに、噂の「くまモン」がふるさと回帰支援センターに登場しました。 先週の土曜日16日、久しぶりに熊本県のセミナーが開催されました。県内10自治体が勢ぞろい、その応援で「くまモン」が来た次第です。事前の周知に努めたこともあり、センター入り口には人の山ができ、大変な騒ぎとなりました。ゆるキャラの代名詞ともなっている「くまモン」だけのことはあると驚きました。副事務局長の嵩君も二人の女の子(小学生と幼稚園)を連れ、仲良く記念写真に納まっていました。 3・11の大震災以降、放射能を避けて子育て世代の移住先として九州は人気です。しかし、受け皿が盤石ではなくなかなか受け止めきれずにいましたが、久しぶりにその人気の高さを実感させられました。   アンケートも実施し、現在集計作業を行っていますが、ざっと目を通した限り、Jターンというか、九州出身者の移住相談が多かったようです。改めて、九州各県の移住者向けの受け皿の整備が望まれるところです。   翌17日の日曜日は、FIT地域(福島・茨城・栃木)と、群馬県、新潟県の5県合同の移住セミナーが東京交通会館3階で開催されました。こうした広域でのイベント開催は初めての経験でした。11月は農産物の収穫の季節ということもあり、一階のマルシェコーナーは黒山の人だかりで各地の農産物が販売されていました。3階も、何と91組の相談者が各県や20市町村のブースに押しかけ嬉しい悲鳴が上がっていました。しかも、かつてあった冷やかしの相談者は少なく、それなりの手ごたえを感じたようでした。出来れば、県単独も良いのですが、相乗効果や地域を幅広く知って頂く機会になりえますので、近隣の自治体なり、近隣県との合同のセミナーの開催なども検討してみてはいかがでしょうか。   時代はいま、ふるさと回帰です。 秋は夕焼けがきれいな季節です。そして、ふるさとが偲ばれる季節です。風邪などひかないようご活躍ください。 ふるさとを 捨つる勿れと 柿赤し  (山崎みのる句)

木枯らし一番が吹いた

一昨夜、木枯らし一番が吹いた。寒気団が南下しているようで今日も寒い。コートを引っ張り出し、首にはマフラーを巻いて出勤した。北国では雪も降ったようだ。   本日、毎月出している相談センターのマンスリーレポートがまとまった。東京、大阪ともに10月の相談件数は890件台、健闘しているといっていいようだ。 傾向は、50代、60代で全体の50%を占めていること。定年延長も終わり、やっと団塊世代が動き出したとみていいだろう。 さらに、特徴としては秋田県が健闘し、相談件数ランキングでも4位につけていることだ。秋田県は、東北では福島県に次いで早い段階からふるさと回帰運動に取り組んできた。しかし思ったほどには成果につながらなかったが、粘り強く取り組みを継続してきたことが功を奏している。加えて、3・11の東日本大震災以降、学生のUターンが増加傾向にあり、さらに成人のUターンも増えていることから、毎週土曜日にふるさと回帰支援センターで行っているAターン(秋田のA)も人気となり、成果を上げているのだ。この取り組み、半年や一年では簡単に結果は出ないが、継続的に取り組めば自ずと結果につながる。秋田は良い例のようだ。また、今年になって県内にNPO法人秋田移住定住総合支援センターが設立し、定年後Uターンした荒谷氏を理事長に迎え、受け皿づくりもできたことも大きいのではないだろうか。この荒谷氏、弁も立ち、行動力がある。地元秋田魁新聞にコラムを連載している優れ者、面白い展開になりつつある。   今日は朝から「ふるさと再生行動する首長会議」の打ち合わせを行った。たまたま上京した市段階の代表世話人の熊本県天草の安田市長と久しぶりに話した。安田氏は、かの細川護煕元総理の秘書だった人で、人脈も広く話題も豊富な人で盛り上がった。首長会議は、一昨年の9月に3年1期でスタートした。ちょうど今年が3年目、なにが出来て何が出来なかったのか大いに反省しなければならないところだが、解散するには惜しい。いま頭を悩ませているのは、これを今後どうするか。誰か運営を支えていただける方がいれば、何とか継続していきたいと思っている。   過日、山陽新聞の東京支局長が訪ねてきた。用件は、日比谷のプレスセンターに入っている地方紙8社の支局長会で最近のふるさと回帰運動の話をしてほしいということであった。それが、今日の昼食時にあった。大分合同、秋田魁、新潟日報、信濃毎日、高知の各新聞が集まった。初めてのことだが、こうした会に声がかかるのはそれだけ運動が社会化したことだ。これらのすべての新聞で過去に取り上げてもらったことがあり、和気あいあいで楽しいひと時を過ごした。

1カ所で全国の移住情報を手に入れられるのは国内で唯一、ふるさと回帰支援センターだけ。
移住先が決まってなくても、相談員があなたにぴったりの移住先をご提案いたします。
まずはお気軽にご相談ください。

センターで相談する センターで相談する